『マジカル・ガール』 費用対効果と魔法と呪いについて
こちら後を引く面白さ、スペインの不条理風な闇ドラマ。監督は脚本も書いてるカルロス・ベルムト。これまた楽しみな監督が一人増えましたことよ。
一見すると物語は淡々と進むように思えるし、謎は映画中でほぼ解決される。
だから見た直後は「まあまあカナ」という感想だったのだけれど、翌朝この映画の事ばかり考え、仕事中もず~っと考え続けてしまった。
ところどころモヤモヤと残る部分があって、ふとそれらが記憶の中で暴れ出す。
額に開いた裂目にパックリとねじ込まれていくように、パズルのピースを自分の中で嵌めようとし続ける。
この感覚が堪えられない!
なにせ、気づいたらこの歌を口ずさんでる私
物語は、白血病の少女の願いを叶えてあげようとするお父さんの望みから始まる。
「願い=呪い」とは宇多丸の至言だけれど、この作品でもまさにその通りであった。
少女の願い、これは彼女が“自分一人では叶えられないもの(魔法)”。これを叶えようとした(善の思い)父は、彼自身も自分一人の力でそれを叶えることが出来ない。つまり、彼にも魔法が必要となる。だから他の人の手を借りようとする。とある女性を脅し彼女を強請(ゆす)ることで、それ(魔法)を無理矢理に叶えようとする(悪の思い)。
私は今、便宜上“善”と“悪”とここで言ってみた。だがこの作品ではむしろ、魔法には善も悪の区別なく、それが全て一緒くたになっている。つまり魔法の力そのものが、元もと善も悪も無く、むしろそれ(魔法)自体が“呪い”そのものなのだ。
この作品は、それが引き起こした悲劇についての物語だった。
この先、ネタバレ
しかし、我々は“費用対効果”と言う言葉を知っている。現実には、“労働”をしたらその“対価”が支払われる、それは当然のこととしている。
バルバラは自分の“罪”の対価として、不当に高額な金額を要求される。
そこで彼女は、とある“労働”と引き換えに高額な金額を得ることになる。驚くべき高額の報酬であり、我々から見るとまるでこれも“魔法”のようだ。
こうした“罪”や“労働”がその“対価”を払う歪んだ様を見せられる。“費用対効果”と“報酬”のバランス、これが崩れたものが“魔法”と言えるのかもしれない。
だとすると、この作品中で“誰かが誰かに何かをさせる”行為が、全てそのバランスを崩しており、
そういう意味で“次の人に魔法”を引き起こしているとも言える。
しかしこの中に、“自分のため”=“対価”を求めることなく、完全に“他人のため”に動く人物が二人居る。
それは、少女アリシア(ルシア・ポシャン)の父ルイス(ルイス・ベルメホ)であり、
もう一人はバルバラ(バルバラ・レニー)のために働くダミアン(ホセ・サクリスタン)だ。
ダミアンがバルバラのために動くのは、彼にとって何の得にもならない行動だ。単純な正義感、善の行為だ。だから彼女にとって彼は“天使”だ。
(どうやら以前も彼は彼女のために罪を犯しており、そのために服役する羽目になったようだ。だが、作品中ではそれが何かは明かされていない。)
つまり、“マジカル・ガール”=“魔法を実行出来た少女たち”は二人居たことになる。
少女アリシアと、バルバラだ。
父ルイスがダミアンと一騎打ちになったのは、その“魔法”の力を叶えようとしてしまった男の末路、その一騎打ちという構図になっている。
しかし現実世界に当てはめて思うに、こんな“魔法”を願う人は至るところに居る。
たとえば、我々はアイドルや女優の活躍を願う一方、彼らが何か(例えば不倫など)をしたら、当然のように彼らの不幸を願ったりするが、これを“有名税”、当たり前だと一般人である我々は思っている。彼らが法外に高い報酬を得ているからという理由から、彼・彼女たちに対して何の疑問も抱かずに“願望”や“呪い”を口にしている。
自分の背丈に合わない“望み”を、何の対価も無しに得ては居ないか?
もしくは、“自分のため”に誰かが動く時、誰かが血を流しているかもしれない。
自分が自分のために幸せを願う行為、そこにはもしかしたら誰かへの不法な対価があるかもしれない。
自分の話ではないけれど、実は身近な者がまさに“誰かの願い”のために不当な労働を支払わされている状況だったりする。
これが一年後に、もしかしたら悲劇を呼び起こすかもしれない。
詳しくは言えないけれど。
さらに私自身が、実は不当な利益を得ていると思い当たるふしもある。
この“対価”をいつか支払わなければならない日が来るのかもしれない。
実はゾッとするほど現実世界にも似て居るかもしれない!?
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自分もこの映画観たあとしばらく「春はサラサラ」が止まらなくなってしまってね… こないだカラオケにもちゃんとあることを確認しました。ちゃんと歌えるように練習しておきたいものです
>さらに私自身が、実は不当な利益を得ていると思い当たるふしもある
そ、そうなのかね…? とりあえずとらねこどんは魔女のコスプレが似合いそうではある。「魔女っ子」ではなく
SGA屋伍一さんへ
おはようございます〜♪コメントありがとうございました。
「春はサラサラ」、止まらなくなりますよねー!
私も未だに時々風呂に入りながら歌ってます。
カラオケ、今度友人と行くので早速歌おう☆
あと、石川さゆりの「ちゃんと言わなきゃ愛さない」も今、歌いたい曲ナンバー1です。
魔女のコスプレって…『オズ はじまりの戦い』で、ミラ・クニスが途中で本来の姿が出てしまった、あの不気味な姿じゃないでしょうね?!