ボネロの美学に震える 『サンローラン』
去年公開された『イヴ・サンローラン』の時にすでに書いたけれど、元よりこちらを本命と楽しみにしていた私だった。公式認定されたのはあちらでであるし、向こうもなかなかに良く出来ていた作品だったけれど、こちらは圧倒的だった。アートが好きな人なら、“公式認定”という言葉に特別な有り難みを感じる人が居るのかどうか。“政府認定”であるとか、“企業の公式認定”なんてものに、アート的反骨精神やロマンは期待出来ないものなのかもしれない。
アートの国フランスであっても、規制を受けてポスターが全回収の憂き目に遭ってしまった前例がある。『ココ・アヴァン・シャネル』。シャネルの若い頃を描いたフランス製作の作品だが、1920年代を映し出した煙草を片手にしたココの姿を映したポスターがフランス国内で違法とされてしまったのだった。喫煙に関しては何かと五月蝿い国もあり、例えばインド映画では喫煙シーンで必ず文字で「喫煙は健康に害を及ぼす」的な文言を映画中にも文字で入れる。日本でも何かと喫煙シーンがどうと言う人が居たりするし。だからこそ、この映画でプカプカと煙草を吸いどおしなのは余計に素晴らしく感じる。とまあ、喫煙問題はこの位にして。
こちらの作品について言えば、サンローランの実生活のパートナーであり共同経営者であったピエール・ベルジュにとって、何かが引っかかったのだろうか。ボネロのサンローランにはとにかく、公式認定が降りなかった。私にとっては残念なことだ。しかし、ボネロがそうしたことで挑戦への手綱を緩めず、自分のやっていることをしっかり見定めた上で作品を作り通したことは、フランス映画にとって少しも損失ではなかったはずだ。こちらは開けてみればフランスの映画人たちからも賞賛され、ボネロの才能を確かなものとして、今後ますます期待をかけることが出来るようになったのだから。
ファッションやサンローランその人について詳しい観客にとって、この作品は一体どれだけ価値のある、至福の時間なのだろう。私については、学生時代はファッションはまあ十人並みの女性程度に興味あるつもりだったけれど、ブランド物にさして興味も関心もないので、もはや後進国のようなものかもしれない。雑誌などを見るより、自分のセンスでウィンドウショッピングで選ぶのは好きだった。ブランドに頼ることなく“自分に似合う服”をそれなりに探してきたつもりではあった。サンローランについてはあまり良く知らなかったけれど、ファッション通信を見てサンローランの服が欲しくなったことがある。しかし店頭に並んでいるその服たちには全く興味が持てないと思ったことがあった。この作品中では、企業としてのイヴ・サンローランというブランドと、サンローラン自身のクチュールとを切り離すというピエール・ベルジュの英断を表したシーンがある。なるほどあれはそういうことだったのか、と今頃知った。
イヴ・サンローランを描いたその時期は、あえて最も浮き沈みのあった10年間のみを選んだという。ボネロによって切り取られたこの作品は、伝記ではなく映画が芸術作品となり得ている。圧倒的だ。
サンローランの成功や人生、彼の作った作品のそれら全てのピースをバラバラに語るのではなく、その最も深い苦悩から浮かび上がってくる彼のアーティストとしての性(さが)をネットリと抽出している。
ギャスパー・ウリエルのその佇まいだけでもうすでにノックアウトされそうだった。彼の根底深くにある不安、エロティックさ。濃厚な感触と死の不穏さ。
特に好きだったのは、ベティ(エイメリン・バラデ←シャネル、クロエの広告にも使われたモデル)の登場シーン。“I Put a Spell on you”のジャズバージョンをBGMに髪を振って踊る。あの瞬間の彼女の永遠性をそのままに映し出すかのようなウットリとするシーン!
そしてカール・ラガーフェルドの愛妾であったジャック(ルイ・ガレル)とのベッド上でのネットリしたキスシーン。映像として蛇が出てくるシーンはあるけれど、ここでのキスシーンは蛇が絡み合う音がする。ベッドの上で革がきしむような、蛇腹がのたうつ音。官能的に舌が絡み合う音と混じり合う。加えることのパグの死。才能も余りある彼ではあるけれど、本能的に向かう先に何が待っているか、その予感だけで震わせる。
それから、時代を表現したスプリット・スクリーン。ラストのサンローランのモンドリアンルックでの分割画面は、彼を象徴するかのようだった。ファッションが永遠になる瞬間。美を閉じ込めるそのスプリットシーンで、永遠性を持つかのように。
レア・セドゥは今回ただの脇役で、特に何の活躍も無し。むしろ男性陣、ギャスパー・ウリエルやルイ・ガレルの魅力を引き出すかのような凡庸な存在。でもこれで良いのだ。
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