『チャップリンからの贈りもの』 駄目男のしょうもな強盗譚
ダメダメな男たちのしょうもない強盗話。実話を元にしている。
ふんわりとした物語でコメディというほど強くユーモラスでなく、テンポはゆったりめに進んでいく。勿体無く感じながらも決して嫌いになれないのは、どこかフランスらしさを感じるから。(物語はスイスが舞台だけれど)
奥さんの入院費を捻出することができなくなり、チャップリンの遺体を強盗する、なんてことを考え出すエディ(ブノワ・ポールブールド)。
途中の台詞にあるように、「チャップリンは社会の底辺に居るダメ男たちの話を、たくさん作った。決して馬鹿にはしなかったし、いつだって民衆の味方だった。たとえ自分たちが強盗したとしても、きっと許してくれるだろう」。
この台詞は、その後の展開をどう見守ればよいのか分かるという、方向付けになっているようだった。これをキッカケにどっしり腰を落ち着けて、作品を楽しむ余裕が生まれる。
どう考えても罰当たりなアイディアから墓を暴き出すものの、強盗のやり方など分かるはずもなく、素人丸出しの二人。途中でなんだか可哀想になってくる。毎度毎度同じ公衆電話から電話をかけるシーンなど、「もっと上手くやればいいのに…!」などといつの間にか応援してしまう始末。
お調子者のエディの口車に載せられたオスマン(ロシュディ・ゼム)は、顔こそ強面(コワモテ)なのに要領が悪い。真っ直ぐで善良な人間であるのに、いつしか強盗の片棒を担ぐ羽目になってしまう。
この先、ネタバレ
判決文の最後の言葉で、思わぬ感動がふわっと広がった。あまりわざとらしすぎない、ほのかにペーソスの漂う一言。
チャップリンがいかにスターであったか、恵まれた人生の内にたくさんの映画のヒットがあり栄光と幸せに包まれているか。一方、“強盗を行った当人である二人は、その人生が惨めであり、決してその人生が映画化されようもない人物。不幸であることですでにその罰を受けていると言える”…。
この“その人生が映画化されようもない人物”にスポットを当てた物語であるというところに、しっかりとした意思が見え隠れするように思った。
いやいや、彼らの人生は“映画化する価値があるでしょう”と。こうした堅固なヒューマニズムを土台にした物語であるからこそ、笑いが真にヒューマニスティックでありえるんだ、と。
さらには彼らにお金まで与えてしまうなんて、なんて寛大なチャップリン一家なんだろう。あの時点で奥さんは死んでしまっていたから、その決断を下したのは奥さんではなくお子さんなのかな?いずれにせよ、その志をよく受け継いでいる結果と言えそう。
チャップリンの偉大さが死して尚伝わってくる、いい物語でした。
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こんばんは。コメントありがとうございました。
とらねこさんは随分前にご覧になっていらしたのですね^^
今時のスピーディな展開に慣れてしまった身には、
じれったくなるほどのスローペースでしたが、
私も嫌いじゃないです^^
>不幸であることですでにその罰を受けている
最終弁論のこの言葉、ぐっときました。
そして彼らの様な”決してその人生が映画化されようもない人物”を
あたたかい眼差しで見つめ、描き続けたチャップリンは
やはり偉大だったのだなぁとしみじみ感じました。
amiさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
そちらは今公開しているんですね。
>彼らの様な”決してその人生が映画化されようもない人物”を
あたたかい眼差しで見つめ、描き続けたチャップリンは
やはり偉大だったのだなぁとしみじみ感じました
“事実を元にした物語”ってどこからどこまでが真実でどこまでが違うか、時々気になってしまうこともありますが、私はさほど細かいことまでは気にしない性質だったりします。
この作品、一番最後に残るのがこの“偉大なるチャップリンへの敬意”なんですよね。
きっとこの不幸な強盗たちも、チャップリンに対する敬意は持っていたのではないか、と思ったり。