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『愛を語るときに我々の語ること』 by レイモンド・カーヴァー を読んだ


久しぶりに文学に触れた気がして、嬉しくなった反面、少し緊張したりもした。
読みたい本のリストには載っていた。タイトルがカッコ良くて気になっていた本だったし。『バードマン、あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を見てようやく手に取ったなんて、本好きとはもはや言えないけれど。

今回、村上春樹の翻訳のものを選んでしまったんですよね。それが良かったのかどうか。ただ、最後に短編一つひとつに対して春樹レビューが載っていて、これが読み応えがある。

カーヴァーの短編には色々なバージョンがあり、その時々で同じモチーフをカーヴァーが何度も書き直し、修正の手を加えたという。ラストが違っていたり物語の細部を描き直したり、テンポも違ったり。それぞれの時代における短編の微妙な色合いについても、春樹レビューには言及がある。これが当然ながら膨大なものになっている。加えて、春樹ならではの鮮やかな主観による感想も読める。村上春樹ファンにはたまらないことです。

カーヴァーを読んで、村上春樹のレビューを読んで、もう一度カーヴァーに戻る。
春樹ファンでなくても、氏のカーヴァーに対する並々ならぬ情熱は感じられるかと。カーヴァーファンも、その知識の厚さにも舌を巻くに違いない。

カーヴァーの短編は何度も読み返すほどに味わいが深まるようで、これが堪らない。
ヘミングウェイの短篇集に似たテイストも感じる。同様の鋭さを持った言葉たち。表現に出ているのは氷山の一角であり、水面下深くにはもっと大きな塊が埋もれている。

『出かけるって女たちに言ってくるよ』の恐ろしさ。二人の男同士の人生とその闇を写し取ったあの鮮やかさ。
『デニムのあとで』で描かれたホワイトトラッシュの日常では、『8マイル』のエミネムのビンゴキチガイの母を思い出した。まるで切り取ったかのようなリアリズム。
『私の父が死んだ三番目の原因』、これはすごく好きだった。アメリカの沼の近くに閉じこもった、気の触れた男と彼を気に入っていた父の話。

表題の『愛について語るときに我々の語ること』は、このレイモンド・カーヴァー全集2の短篇集のうちの一つ。
愛について我々がどういったスタンスを取るか。直接的な問題に触れているかのようで、普遍的なものに思える。
4人が会話をするというスタンスで語られているが、その実ただの会話ではない、それぞれの愛と人生に対するスタンスが垣間見れる。自分も誰かとこんな会話をしたことがあるし、おそらく誰もが話すような普遍性のある会話だ。

たとえば私の友人(Mと呼ぶ)は、浮気症の旦那(Jさんと呼ぶ)を愛するがあまり理性を失ってしまったかのような生活を送っていた。私はMさんとは毎日のように会話していたのだけれど、彼女が悩める人だったのでこちらが話を聞くことが多かった。だが、途中からお互いを攻撃し合うかのような“危険な話題”が現れた。それが、愛についての話題だった。

その頃Mさんはすっかり神経質的で参っていたのだろうと思う。旦那の動向を携帯で伺っては、やれ浮気をしている、これが証拠だ、という話を毎日のように聞かされた。その内旦那のJの動向は、プロの探偵を雇って行うようになった。その結果を見ては怒り狂い、大喧嘩をしては殴られたり、警察沙汰になったり、彼女の方が病院で処置を受けなければならなくなったことが何度もあった。話はだんだんヒートアップしていった。それでも、彼女にとっては旦那のJは大事な人だったようだ。

むしろ、そうした話を聞かされる、私を初めとした彼女の友人たちに対して、時々腹を立てていた。内心では心よく思っていないのが分かるからだったのだろう。彼女は常識も理性も超えてしまうのが愛だとよく言った。一方私の方はと言えば、特に波風立つことなく普通に上手くいっていたが、そのような愛は偽物にしか思えないと彼女は言うのだった。

深い感情のため何かを超えてしまうことを経験したが故に、それ以外の経験が薄くなってしまう。そういう経験をしたという意味は分かる。彼女は雇った私立探偵の浮気調査で、一財産失うほどお金を失っていたし、もう後に戻れなかっただろう。そうした感覚が分からなくもない。底なしの泥沼にどんどん沈んでいくような彼女の話は、途中から聞くのが辛くなってしまったけれど。

小説の方に戻るが、テリという女性は自分を愛するが故に自殺未遂を図ったエドと別れ、メルと結婚する。テリは、エドが自分のことを愛していたのだと言う。そうした会話が交わされる会話劇だ。

要は、経験の問題ということなのだと私は思う。
愛は時に人の気を狂わせるし、未熟であるが故にそうした間違いに邁進してしまう。その間違いとしか思えないやり方を経験すると、感情の振れ幅が細い愛とは“質が違う”ように思える。そうした話だと思う。

未熟のままであれば「あの時のあれは間違いであった」というような事は起こる。自分が十分に理性的であるなら(もしくはそう思いたいなら)、感情の揺れと共に行動してしまわずにいられるのだろうか。むしろ傷つきたくないがために間違いが起こらないだけなのかもしれない。その代わりに、ただ退屈で安全な日常が過ぎゆくだけであって。そうした範囲のものが愛と呼べるのかと。うーん、分からない。答えは無い…。

 

2015/07/07 |

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