『タンジェリン』@EUフィルムデーズ2015
もっとたくさん見ようと思ったのだけれど、一本しか見られずでした。
『タンジェリン』
素晴らしい!
戦場と化した土地に住む、一人の老人の家の中。
ごくごく小さな単位である“家”という場所で、敵同士が介抱されるなんて、まさに“ノー・マンズ・ランド”的な状況。
志の高い映画。
No mand’s land in da house! を実際にやってしまうという、恐ろしく心の広いこの主人公。“心が広い”というのは言い得ているだろうか。自分にとっての倫理で物事を考えるという人間の姿。自分もそうありたい、崇高な人間の姿だった。アブハジア戦争の始まったジョージア国境近くの、小さな家に住む老人。
彼自身はエストニア人なのだが、大勢が故国に帰っていく中、戦争が始まっているのになおも住み着いている。
せっかく収穫時期を迎えた蜜柑を集荷してしまいたいのか、爆撃の音が鳴る中、蜜柑の収獲に励んでいる。隣家の男もまた同じく、蜜柑が気になりまだ引き上げていない状態だ。
そこに傷ついたチェチェン人が運ばれる。
自分の家に運び込み、介抱をする老人。傭兵である屈強な男も老人には素直に従うが、そこへさらに老人は、重体のグルジア人も助け別の部屋に連れて来る。
まさに家の中で敵同士が面突き合わせるという状況になる。
一国同士で戦えば、顔の見えない憎しみだけが人間を駆り立てる。
だが人間同士、一人ひとりということであれば、憎しみがそう長くは持続しない。
人間は、一緒に食事をした相手とは殺し合いが出来ない、という説を聞いたことがある。
それが本当かどうかは分からない。でもまさにこの映画はそうした表現だった。
人間一人ひとりで面突き合わせるとなると、最後にモノを言うのは人間力。
この老人は誰しも愛したくなるような、また会いたくなるような、妙に惹きつける人だった。
13年、エストニア=ジョージア
原題:Tangerines
監督:ザザ・ウルシャゼ
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