『奇跡のひと マリーとマルグリット』 盲目の少女が主演!
『奇跡の人』と言えば有名な劇。三重苦のヘレン・ケラーをサリバン先生が教える話だ。このヘレン・ケラーを彷彿とさせる、まさにそっくりの実話が19世紀フランスにあったとは。
『奇跡の人』では、「水(“ウォーター”)」と言う言葉が分かるくだりに一番の驚きがあった。ごく小さい頃に、三重苦を背負ってしまったヘレンが、奇跡的に覚えていた たった一つの語、水(“ウォーター”)を思い出す場面。それはサリバン先生が、「言葉が無ければ光が無い世界」と言い、「言葉さえあればその暗闇から抜け出すことが出来る」と、信念を持って“言葉”を教えようとする。それらが見事結実する瞬間だった。
考えてみれば、私達が自由に意思疎通することが出来るのも、言葉のおかげであり、何もかも“言葉”に頼って生活している。これにまず気付かされる。
サリバン先生同様、マルグリットも周囲の反対を押し切ってマリーを教えようとする。聾唖者の学校で子供たちを教えるマルグリットの学校は、盲目の障害を負っている子は扱えないというのだ。何故なら、手話を覚えることも出来ないから。しかしマルグリットは「知性の部分は残されたまま、耳が聞こえず目も見えないのだとすれば、彼女は暗闇に居るだけ。言葉はその暗闇から引っ張りだすことが出来る」として、彼女に教えようとする。私は、「おお、サリバン先生がここにも居る!」と感動してしまった。
しかし、ヘレン・ケラーが最初にそうであったように、マリーも心の中の闇の世界に生きている。髪はボサボサ、風呂には入らない。髪を櫛で整えようとするマルグリットから、ひたすら嫌がる。そりゃあ“見栄えを良くする”という概念がないのだから、いきなり暗闇の世界で髪をメチャメチャ引っ張られたら、ただ痛い思いをするだけだ。思い切り暴れまくる。
いつまでたってもマリーは“野獣”の如きまま、なかなか成果が上がらない。むしろ、マリーの世界から優しい父親と母親を引き剥がされた、そうとしか思えない。こうした彼女に礼儀作法を教えるのが第一段階。サリバン先生もヘレンをしごき、フォークとナイフを使ってご飯を食べさせることを教えたっけ(ナプキンもたたんだ)。そして母親が静かに感動するのが、奇跡の人の前半のスポットライト。
とまあ、このような感じで、この作品では心の中でヘレン・ケラー×サリバン先生の『奇跡の人』が、というよりむしろ『ガラスの仮面』の北島マヤと姫川歌子の台詞が延々と木霊しながら見てしまった。
実は、マリー役のアリアーナ・リヴォアールちゃんは、聴覚障害を負っている。この作品で主役として来日し、その際にトークショーを見たのだが、手話で堂々と語っていた。体を張った相当大変で難しい役柄なのに、彼女は体当たりに演じていた。
実はヘレン・ケラー役は、並の才能では出来ない役柄だ。天才的な演技的勘が無いと出来ないと言われている難易度の高い役。見るからに、相当タフな撮影だったに違いない。それなのに驚くほど見事にこなしていて素晴らしい!
映像や物語も、シンプルでありながら雄弁な素晴らしいものでした。
特にラストは涙が止まらなくなった。なのに不思議とベタベタした感動ではなく、爽やかな思いがするところもまたお気に入り。
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とらねこさん こんばんは
こちらこそすごくご無沙汰しています。
この作品,私もアン・バンクロフトの映画と
北島マヤの演技と両方を思い浮かべながら観ました。
特にあの「ナイフ」の意味が理解できたシーンは
「ウォーター」のシーンと被りましたね。
言葉の存在に気づくということは
コミュニケーションの手段を得るということで
一気に扉が開くような、光明がさすような・・・そんな大きな力があるのでしょうね。
数年前に重い自閉症の子供を教えたことがありまして
ひらがなを形としては覚えていたけれど、それの意味することが分からないお子さんでした。
その子が初めて,文字は物の名前を綴るためのツールであると気が付いてくれた時の喜び。
その子は嬉しさのあまり,指で空中に何度も何度も既知の単語をひらがなで綴り続けました。
映画を観ながらその時の感動を少し思い出してしまいました。
ななさんへ
おはようございます〜♪コメントありがとうございました。
ななさんはアン・バンクロフトの映画と北島マヤを思い出したとは!
そうそうガラかめでも、奇跡の人のオーディションでマヤが「アン・バンクロフトが日本にも居たとは!」と言われるんです。
私まだアン・バンクロフトの映画見たことないんですよ。なんか子供の頃の自分にとっては自分の知らない別世界だと思っていたんです。よく考えたら探せば見れるはずなんですよね!(と、いうことに今更気づく有様)
ナイフのシーンは明らかに「ウォーター」の代用なんですが、それでもジーンとしてしまいました。
ななさんもサリバン先生の体験がまさか、あるとは!
これも一つの「ウォーター」!奇跡の瞬間だったのですね。
その子の初めての言葉は何だったのでしょう?
私は『ガラスの仮面』を読んでいないので^^;
やはりアーサー・ペン監督作品のイメージが強いです。
パティ・デュークも素晴らしかったけれど、
今回のアリアーナ・リヴォアールちゃんも本当に素晴らしかった!
ラストの手話の美しかったこと…
私も涙、涙…でしたが、
仰る通り決してお涙頂戴ではなかったのが良かったですね。
amiさんへ
こんばんは〜♪
パティ・デューク版奇跡の人、早く見なくちゃー
結局、まだ見てません^^;
アリアーナ・リヴォワールちゃん、本当に素晴らしかったですね。
彼女のおかげで、映画にどれだけ説得力が増したことか…
私はトークショーを見たのですが、適切なことを無駄なく述べる彼女の知性は目を見張るものでした。
きっと初めての演技で苦労したと思うのですが、そうしたことを全く感じさせるでもなく…
彼女の姿を見て、それだけで思わず泣きそうになってしまいましたよ。