『イマジン』 至福の映像体験
なんと幸せな映画体験…!
何が起こるかを何も知らずに見たため、余計に心を動かされた部分もあるのかもしれない。
タイトルに「イマジン」とあるように、人の想像力を掻き立てられる映像体験だった。五感は鋭くなり、自然と研ぎ澄まされる。
映像の映像たる所以を十二分に味わい尽くすような、そんな素晴らしい体験をした。
古びて少し朽ちた感じが美しい、白い壁。
その白壁の窓から顔を出す登場人物たち。
鳥が来ることを期待して、ひまわりの種が撒かれるパラパラという音。
静かに、だがハッキリと感じる、そよそよとした初夏の風のそよぎ。
こうした音が、これほどまでに心地よく感じる映画を私は知らない。
そして、この作品ほど光の眩しさを「温かい」と感じる映画を、私は知らない。
物語はこうして観客の五感を鍛えてから、ようやく始まりだす。
おもむろに。だが恐ろしい。
“目の前の映像をただ見る”という行為が、これほどまでに興味を掻き立てる経験になり得るとは。
この作品ほどハラハラし、緊張して手を差し伸べたくなる映画は、今までになかった。緊張で胃が痛くなってくるぐらい。
そうした一方的なサスペンスの連続から解放されるのは、彼の冒険的な試みが失敗に終わったと悟る時だ。
解雇され、落胆とともに出発する彼を追いかける。
このシーンのゆっくりとした重ね方が好きだったなあ…。
「見えている者には見えていなかった」ものが見える瞬間!
それに続くラストショットの見事さは、筆舌に尽くしがたい。
ショットを切っているのは気づく。だがその後の、路面電車から映す長いエンドロールときたら!
私達は、一時あの時間を共有していた、と思う。
そして、今どこかへ運ばれていく。
まさに映画の魔法そのものを、目の当たりにした。
この先、ネタバレ
出演者達が皆実際に盲目の人たちなので、“あの女優さん”が実は見えているな、と気づくのにそれほどの時間はかからなかった。(というかその前に、知ってる女優さんなのだから、当たり前なのだけれど。)
それを差し引いても彼女の方が演技が下手で、だから晴眼者と気づいてしまう。
そうして疑いが深まっていた頃に、エドワード・ホッグが眼球を取り出すシーンでは、本当にアッと驚き、眼球を取り出すシーンでは声を上げそうになるほどだった。
(これで遊びな!というシュールな台詞と次の朝のショットがまたブラックで面白い。)
私などは、その後すっかりエドワード・ホッグが本当に盲人だと信じていたぐらいだった。
(一生懸命ネットの情報を調べちゃった!w)
いやあ、すっかり騙されたなあ!
2015/05/20 | :とらねこ’s favorite ポーランド映画
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とらねこさん、こんにちは。マイ記事にコメントありがとうございました!
>この作品ほどハラハラし、緊張して手を差し伸べたくなる映画は、今までになかった。
緊張で胃が痛くなってくるぐらい
そうそう、ホントそうでした~。特に岸壁を歩くシーン、俯瞰で撮っていたでしょう?
二人が溝に落ちるんじゃないかって。
で、ネタバレ以降にとらねこさんが書かれている部分についてなんですが・・・。
(以下ネタバレ)
あの眼球を取り出すシーンは、本当に取り出してるって受け取っていいんですよね?
彼が両義眼だと。
翌朝、ベッド脇のコップに入れていたでしょう? ちょっと。あれ?って思ったんですよ。
眼を入れずに寝たりするかな~って。
「ネタ」なんじゃないかと一瞬、思ったんですが、考え過ぎですかね?^^;
真紅さんへ
こんにちは〜♪お返しありがとうございました。
あのドキドキ感、凄かったですよね。
私は、上にも書きましたけど、エドワード・ホッグを知らなかったので、本当に文盲の人なのかと疑ってしまったぐらいです!
両義眼は、”本当に取り出している”というシーンだと思いますよ。CGなのでしょう。
それにしても、うわっと驚いてしまうシーンでもありますよね。
あのシーンは、彼は盲目の生徒たちに「両義眼であること」を疑われていました。
だから、彼が本当に両義眼であり、目を使わずに歩くこともできるし、いろいろなことが出来る(普段教えている通り)ということを証明するシーンだったのだと思います。
このシーンのおかげで、観客である私達まで、同時に騙されたと思いませんか?
おかげで、その後ひやっとしてしまうシーンに、より真実味が加わりましたね。