『ベティ・ブルー インテグラル 完全ノーカット版』ネタバレ感想
私にとって初めて見たフランス映画と言えば、この作品。
衝撃を受けまくった。
今でも忘れられない映画の一つ。
去年は偶然、“ブルー”と名の付く映画をいくつか見た。アブデラティフ・ケシシュの『アデル、ブルーは熱い色』、ウッディ・アレンの『ブルー・ジャスミン』、デレク・ジャーマンの『Blue』。こちらはバウスシアターの閉館イベントで見た。
“ブルー”とタイトルに付く映画は意外と多くて、それも印象的なものが多いなあと思う。私の好きなものが多いような!?もしかしたら、そんな通念があったのかしら。「“ブルー”と付く映画は当たる」なんてものが。これについてきちんと考えてみても面白そう。
映像の世界でブルーというものをどう捉えているのか、考えてみるだけでも一考になりそうだ、ということで一発奮起することにした。これから毎月、何かしら“ブルー”と付くタイトルを、少しづつ見ることにする。一度に見るのは難しいので、毎月のお題として、勝手に自分ルールを課すことにした。
そこで、この超有名な映画の登場である。80年代映画の金字塔。サブカル女のご多分に漏れず、私もこの映画にドハマりした。リアルタイムではないけれど、フォロワーであるから尚恥ずかしい。そのため、これが好きだとすらあまり言いたくないぐらいではある。薄っぺらいサブカル女と見なされるのが怖くて、昔からあまり表立って言えなかった。そんな人は結構居そうである。そのくせ、私はこちらを再見するのが怖かった。昔の自分に対峙する気がして、この作品は避けて通っていた。
“ブルー”映画を扱うとなれば、自分はここから始めなければいけない。ベティにもう一度会うのが正直怖いし、しんどい、かったるいけれど。しかし見て良かった!改めて、この映画に完全にやられてしまった。一時期で流行して忘れ去られるような作品ではなく、後世に残る名作だと思った。
当時(というのは、私が気づいた頃ということだけど)、この映画はすっかりお洒落イメージとして定着していて、あちこちにポスターが飾ってあった。“Betty’s Blue”などという女性服のブランドもあり、私などはそちらの方を先に知った。「なんとなくお洒落っぽい映画」だと思っていたのに、見てみたら全く違うのに驚いた。こうした特殊な映画が一般的にこれほど拡がったこと、万人に受け入れられるのか、と。こうした文化の受け入れ幅、厚みを頼もしく思った。
初めて見た時はインテグラル版はなかったので、余計分からない部分が多かった。それとも、単に未熟な自分の感性には理解が出来なかったのかもしれない。いずれにせよ私から見ると、唐突にベティは狂った行動を取ったようにしか見えなかった。だが何故なのか全く分からなかった。素直で死ぬほどセクシーで可愛らしいベティに、憧れを覚え感情移入して見ていただけに、青天の霹靂だった。(おお、この語もまた“青い”な!)
ベティは、もともと少しおかしなところは見受けられたけれど、狂ってしまうような精神の持ち主だったことが恐ろしく思えた。しかし一方で、“愛”について痛々しいほど素直に描いた作品だと思った。このアンビバレンスをどうしたら良いのか、当時の私は途方にくれた。
そこで、原作本を読んだ。何かを掴んだように思った。ベティを狂わせたものが何だったのか。
本と映画の原題は「37°2 le matin」というもので、赤ん坊を授かることを夢見たベティが基礎体温を付けていた、その体温が元になっていたが、当時の自分からすると、何と体温が高いのだろうと驚いた。私はいつも35度何分しかなかったので、平均体温の高い彼女に漠然とした憧れを感じた。
激烈に愛しあう二人の姿も、平均的人間とは一線を画しているかのようで、途方もない“熱さ”を感じた。
周りの人間の描写もそうだ。彼らとは違う、マトモで平均的な人間であるはずなのに、登場人物たちはどの人もどの人も随分おかしな人達ばかりだ。
久しぶりにこのインテグラル版を見た私は、昔の自分が、ベティのことばかりを考えながら見ていたことに、一番驚いた。その作品が何を言いたいか、“1つの作品として”見る捉え方からは、それは大きくハズレたものとしか言えない。今見れば、これはゾルグの物語だ。絶望的に愛を信じ続ける、愛というものを信じる男のファンタジーだと思う。
あんなに憧れたはずのベティは、今見ると少しセクシーであるだけのメンヘラ女に見えた。ゾルグが作家になることを望むが、彼が仕事をクビになるよう暴れたりもする。自分の恋する男を等身大に見ようとしない、我儘勝手な女に思えた。
恋する相手に理想を見るという行為は、恋する者誰もが陥る罠ではある。相手に理想を見て、それに憧れる。“恋は盲目”とはよく言ったものだ。そもそも、目というものは本当に目の前のものを捉えているのか、自分の見たいもののみを見ようとしているのではないか?主観の世界なんて、あてにはならないものだ。
ゾルグは彼女の希望を全て叶えようと、全てを受け入れようとする。だがそれこそが、彼女を狂わせてしまう。彼女の望みはどんどん大きくなり肥大化してゆく。彼女はこれまで手に入らなかった愛を知ったからこそ、たがが外れてしまった。
ゾルグの献身ぶりは痛々しかった。愛を信じる姿の彼を見るのが、とても辛くてかなわない。狂っていく彼女を認めようとしない。あそこまで彼女を信じる事ができるのも、彼女の本当の姿を決して見ようとはしないからだ。ゾルグは彼女に真の純粋さを見て、それを守ろうとしていた。まるで自分自身にある何かのように信じ、大切にするのだった。
ベティが狂ってしまう少し前に、完璧に美しい夕焼けのシーンがある。満ち足りた幸せを感じる“完成”を思わせる、完璧な日没。二人の自我が溶解したような、太陽が闇に溶けていく日没は、何かの終わりの始まりでもある。
物語としてはその後に、ベティは突如として“現実”に向き合うことが出来なくなり、彼女の精神病が発症してしまう。“沈んでゆく人生の闇”に囚われてしまう理性。
ゾルグの献身が見ていて辛い。彼は美しく、痛々しい。あれほどまでに没頭し愛する男を、果てしなく愛しいと思う。自分を捨てて人を愛することが出来るベティだからこそ、同じぐらいの熱意で剥き出しに愛し合うことが出来たのだろうな…。
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