『バードマン、あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』 アメコミ映画など葬ってやる!
冒頭辺りの天衣無縫なドラムがうるさくて、セッションの小僧が叩いていたドラムがまだまだ止まない気がしちゃいましたよ。
インプロビゼーションで叩いてるバリバリのドラムテクが、これ見よがしなカメラの長回しが、五月蝿くて辛い冒頭。
わざと集中力を削ぎ、心の中をかき乱すようなカメラが、辛くて辛くてやってられなくなった。
否が応でも追わせる、主人公の苦悩。
一度は世界を手に入れ、才能羽ばたく力を見せつけたはずの“バードマン”。リーガン・トムソンの過去の栄光はとうに過ぎ去り、飛べない鳥である今の自分が居る。まるで間違った方向にギアが入りっぱなしのように、空回りを続ける焦燥、胸をかきむしられるような限界ギリギリの心理状態に、観客まで追い込まれていくよう。術中にすっかりハマった私は、ゲッソリと疲弊してしまった。
しかしリーガン・トムソンは、奇跡を起こせる!(人智を超えた超能力を持っているが、そのことについては誰も知らない。少なくとも自分でそう思っている。)
そんな自分を信じ、起死回生を目論む。俳優を目指したかつての若き自分に戻るかのように、初心を取り戻すかのような舞台劇に挑戦する。マイケル・キートンがまるで自身を演じているかのような役どころだ。
再キャストしようと他の俳優達を探すと、「マイケル・ファスベンダーやジェレミー・レナーのような実力派俳優たちですら(実名が出てくる)、アメコミ映画に出ている」などという台詞まである。うん、ハリウッドの現状そのまま。そんな中、エドワード・ノートン演じるマイケル・シャイアーが何とか見つかり、彼が代役をやることになる。彼は、リーガン・トムソンより何枚も上手の、真に才能溢れる“俳優の中の俳優”だ。俳優ならではの芸術家的クレイジーさと有り余る才能とを体現する存在。エドワード・ノートンも『インクレディブル・ハルク』でアメコミに出ているけれど、彼はアメコミ世界が水に合わず役をクビになっているので、これまた含みのあるキャスティングだ。
ハリウッド界は言わずもがな、アメコミ原作映画ばかり。いつから始まったのか、次から次へと公開されるのはこうした作品ばかり。そんなハリウッドにあって、車がひっくり返ったり、火を噴き出したりしないアクションがある訳でもない、等身大の人間を描いた作品が、どうやって人々の心を掴むことが出来る?
その辺の主義主張は、私には納得行くものだった。人間の血肉の通った舞台劇(人間が、人間の力だけで勝負する、本来の“演劇の世界”)=ヒューマンドラマが、アクション映画やアメコミ映画に慣れた観客に一体届くのか?ニュースも何もかも一緒くたにして、どんどんSNSで消費されていく昨今にあって。そんな苦悩が映画から聞こえてくるかのよう。
虚しい、虚しさが加速する映画業界内幕モノ。そして疾走するドラムとウザいほどのカメラワークはまだ続いている。
私は正直、この映画を誤解していた。予告に騙されてのことだけれど、アメコミ映画好きがいかにも支持しそうなお話なのかと思った。ところが実は真逆で、これは猛毒が含まれた諷刺だった。マイケル・キートンをキャスティングしたのも、“アメコミ映画を葬る”ために他ならない。イニャリトゥってそういう人だもの。ただの苦悩する普通の俳優では何も伝わらない。だから逆にマイケル・キートンなんだな。
しかし、そうした物語など、脇に置いてしまいたくなる。
それより、人智を超えたかのようなカメラワークでもって、舞台劇に放り込まれたような“生きた心地の無さ”。まるで地続きに現実と繋がっているかのようなカメラ。これみよがしなカメラワークが、私はやはり好きだ!
ところで、『神々のたそがれ』の長回しを褒めた人が、どうしてこちらはダメなの?
ワンカット風の長回しは、本当の意味ではワンカットではなかった。それでも、天才的なルベツキの長回しでもって、予期せぬ何かを期待するかのよう。イニャリトゥ自身がこれまでの自分を超えるためのリアルを、喉の奥から求めているような。
私的には、これまでのイニャリトゥの中で一番納得がいく作品になった。少なくとも、パンツ一丁になろうとはしている。
レイモンド・カーヴァーは未見なので、読まなくちゃ。
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コメント(8件)
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とらねこさん☆
実に見事なカメラワークとドラム演奏だったねー
しっかり心かき乱れたわ。
精神性がかき乱れ安い人は要注意かも…
とらねこさん、大丈夫!
充分パンツ一丁になっているよ♪
他所のブロガーさんが言うキートンvsノートンってのがあったけど
ワタシはそこにカートンを入れて三つ巴の戦いにしたかった。
パンツ一丁になったのもたばこから始まってるし(爆)
ノルウェーまだ〜むさんへ
こんにちは〜♪コメントありがとうございました!
おや、ノルさんもご覧になったんですね!
カメラ、めちゃくちゃかっこよかったですよね。
舞台劇に似せるならこんなカメラしかありませんよね。
>精神性がかき乱れ安い人は要注意かも…
確かに、冒頭でストレスの多さに、嫌になってしまう人はいそう。
私はだんだんハマって見れましたが
私もパンツ一丁になってます?
毛、はみ出してない?大丈夫かしら?
itukaさんへ
こちらにもありがとうございます♪
>他所のブロガーさんが言うキートンvsノートンってのがあったけど
ワタシはそこにカートンを入れて三つ巴の戦いにしたかった
カートンジョークですかw
では、これはどうでしょう?
「キートンvsノートンvsストーン」
せっかく長回しにこだわってるのだから、パンツ一丁のシーンではブリーフじゃなくマワシを締めていてほしかった… ベタでごめんなさい
わたしは別に長回し撮影にそんなに思い入れはないけれど(大変だろうなあとは思う)、この映画の「疑似長回し」手法には感動しました。今までこういう映画は観たことがなかったから。前例的な作品って何かあるのかな? とらねこどんは知ってますか?
SGA屋伍一さんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございます。
マイケル・キートンの真っ白なブリーフは眩しかったですね〜。どうしてこう今年はブリーフ映画が多いのか。
>擬似長回し
あ、これは正確な言い方ではありませんね〜
長回しには違いないので、“擬似長回し”ではないのです。
“擬似ワンカット”と言ったのは、“1シーン1カット”の意味ではなく、映画全編で1カットという風に勘違いしていた人が多いので…。
>長回し作品
いろいろありますよ〜アンゲロプロスとか、一作品15カットぐらいで作ってたりするからw
ひとまず相米慎二の『ションベン・ライダー』オススメです!
名前からしてションベンとか楽しそうでしょ(笑)!
これ不思議と「セッション」と共通項が多くて、今年のアカデミー賞の表と裏という感じ。
アメコミ全盛の中、これに作品賞を与えるハリウッドはやはり侮りがたしだなあと思います。
まあこの映画、正しい解釈というのが無いと思っているので、どんな見方も出来るし、いくらでも語れるんですが、まず何よりもカタマリとしての映画の未見性に度肝を抜かれました。
私は元々イニャリトウけっこう好きなんですけど、確実に未知の領域に行っちゃいました。
ノラネコさんへ
こんにちは〜♪コメントありがとうございました。
本当に。これとセッションの2つは今年のアカデミー賞の中でも群を抜いてフレッシュで、ガツンと来ました。
私は『6ボク』も『イミテーション・ゲーム』も『博士と彼女のセオリー』も大好きなんですが、この2つには“新鮮さ”という点で脱帽します。
私はイニャリトゥに関してはさほど評価していませんでしたが、(これを見るまで「彼は『アモーレス・ペロス』を決して超えられない」と思ってた)
彼にはやはりアジェンダを上手に扇動させる力を持っているなと思わされました。