『伊丹万作エッセイ集』を読んだ
伊丹十三の父、伊丹万作のエッセイ集。これが大変に面白い。
この時代の映画界のみならず、おそらく現代においても通じると思える数々の随筆。しっかりとした道徳感に裏打ちされる、真面目な人間性が感じられるし、この時代特有の文体が大層心地がよい。
映画監督を志す人、もしくは演出者を目指す人のみならず、俳優、映像業界に属する人なら必ず一度は目を通した方が良いと思われるし、そればかりか今の映画業界にも通じる部分がいくらでもありそうだ。まず映画について興味のある人であれば、間違いなく誰が読んでも面白いものになるだろうと思う。
特に演出論について述べた『演技指導論草案』は、絶対監督を目指す人なら絶対読むべき代物!演出はこうあるべきだなどと、素人の私ですら思う。また『病床に映画界を思う』ではいかにも責任感の強い筆者らしく、積極的にアイディアを草案している。壮年期は体を壊してしまったらしいが、おちおち病に臥せってもいられなかったのだろうな。床に寝ながら、それでも映画界を思う姿が目に浮かぶ。
しかしこのエッセイでよく人に引用されるのは、何と言っても『戦争責任者の問題』。その他、彼が元々目指していた画家の話や、貧乏だった下宿時代の話、映画業界を目指すキッカケになった出来事などの書かれた『私の活動写真傍観史』なども面白い。
以下、少し長くなるけれど引用する。忘れたくない言葉だから。
多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。〜(中略)〜多くの人はだましたものとだまされたものの区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思っているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上にほうへ行けば、さらにもっと上にほうからだまされたというにきまっている。すると、最後にはたった一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。
すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かったにちがいないのである。しかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分かれていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になって互いにだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。このことは、戦争中の末端行政の現れ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といったような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである。〜(中略)〜
しかも、だまされるもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである〜(中略)〜そしてだまされた者の罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に事故の一切をゆだねるようになっていまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
このことは、過去の日本が、外国の力なしに封建制度も鎖国精度も独力で打破することができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力でつかみ得なかった事実とまったくその本質を等しくするものである。〜(中略)〜「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在もすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである。
いやはや、ここまではっきりと語る人が他にも居たのだろうか。その時に感じていた空気に流されず、真実を口にする勇気。今の日本はここから進歩しているとはまるで思えず、それどころかまた同じ愚かさに向かっていくのか。この言葉が耳が痛い。不思議なまでに当たってしまっていて、それなのに何の進歩もない我々の姿が何とも情けない思いでいっぱいだ。
そんな現在の日本社会だからこそ、ここまで長く引用してしまった。自分の意見などよりむしろ、彼の言葉をそのまま書き残したい気持ちがあるだけだ。
2015/03/18 | 本
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