『毛皮のヴィーナス』 心の奥底のセックスファンタジー
マチュー・アマルリック演じる演出家トマ(兼脚本家)が一人の女優ワンダ(エマニュエル・セニエ)にオーディションを行う設定で物語は始まる。このワンシチュエーションの舞台劇風の作りが、まるで万華鏡のように二人の立場もポジショニングも姿を変えて見せる。立ち稽古を行う傍ら、演出を作り上げていく中で、ただ単純に一方的な演技指導にはならない。役者として演技をするというアクティングメソッドで、まるで彼の本当の欲望を引き出すという精神分析でも行っているかのよう。
ワンダが彼よりリードしているのは明らかだ。何故ならトマの脚本である彼の世界をワンダは先に読んで理解しているのだから。初めこそ軽んじられているワンダだが、実は戯作を正確に分析し、文学的な理解度を示すのだった。彼女の演技の見事な変身ぶりにトマが驚くなど、一つのリアクションがまた別のリアクションに連なっていく様が面白い。そこで見え始めてくるのはトマ自身の本来の姿と、彼女の底知れなさ。もちろん次第に上手に相手をリードしコントロールし始めるのもワンダの方だ。
まるで高級SMクラブで行われているかのような世界。誰もが心の奥底にしまってしまい、表にはなかなか出さない愛の幻想。“セックス・ファンタジー”と言い換えると少し下世話になるかもしれない。人によってはもっとロマンチックで知的な渇望であるかもしれない。愛の幻想であるかもしれない。もしかすると人によっては、ただ自分の究極の理想の相手に出会うことかもしれない。でも、本能という話になるなら、人によっては紳士的な姿ばかりではないはずだ。「誰もがセックスファンタジーを心の奥底で持っている。」というのが私の信条なので、この作品とはまるで自分の性器の形にピッタリと吸い付くかのように、共鳴し合ってしまったのでした。「そう!そう!これよこれ!」と両手でガッツポーズしたくなるような快感に陥ったんだけど、皆さんはいかがでしょうか。
ええと、思わず暴走してしまった。もともと演劇好きな私にとっては、立ち稽古の演技指導という形で始まるところがたまらない。マチュー・アマルリックのマゾ開眼ぶり、思わず嬉しそうな顔を見せるところなど可愛くて仕方なかった。思い出しても吹き出しちゃう。エマニュエル・セニエは、まるで一人とは思えないほど様々な顔を見せる奮闘ぶり。心理戦で状況が変わってしまうところは、思わず『おとなのけんか』を思い出す。人間がただ会話をしているだけですごく面白い独特の世界が成立してしまう辺り、最近のポランスキーがノリにノッている印象を与える。さらに今度は4人ではなくその半分。たった二人だけの世界でありながら、男と女が普遍的に行ってきた縮図であるかのように思わせる。男と女の支配権をめぐる戦いの面白さは、『ゴーンガール』同様だ。
’13年、フランス、ポーランド
原題:La Venus a la fourrure
監督:ロマン・ポランスキー
製作:ロベール・ベンムッサ、アラン・サルド
原作:L・ザッヘル=マゾッホ
脚本:デビッド・アイビス、ロマン・ポランスキー
撮影:パベル・エデルマン
音楽:アレクサンドル・デプラ
キャスト:エマニュエル・セニエ(ワンダ)、マチュー・アマルリック(トマ)
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お~これはなかなか過激なレビューですね~(笑)
私は兎に角エマニュエル・セニエに魅せられました。
トマの反応はほとんど私の反応だと言っていいかもしれません(笑)
安物の毛糸のショールが本物の毛皮に見えて、思わず鳥肌が立ちました。
amiさんへ
おはようございます〜♪コメントありがとうございました。
あらまっ。そんな変なこと言ってましたっけ…
おかしな記事へ誘導してしまってゴメンナサイm(_ _)m
エマニュエル・セニエ、彼女の役に描かれていた知的さがたまりませんでした。
ああーフランスはたまらんたまらん