キム・ギドク最新作がまたまた熱い!『ONE ON ONE(原題)』@フィルメックス映画祭
ギドクらしさ満載ではある。
政治的な問題を扱った映画でありながら、通常の物語の手法では全くなく ー というのはギドクのどの作品でもそうではあるけれど ー ことそれが政治的な問題や社会機構について扱ったものであるから余計、描いた内容との噛み合わせの悪い部分があった。それは、『嘆きのピエタ』や『メビウス』などの“復活後のギドク”が雄弁に語る“得意分野”とは全く違っている感触であり、しかしだからこそギドクの本気の新機軸が見えるとも言えるものだった。ギドク好きでない様々な方から見たら、さぞかしツッコミどころの多い物語に見えることも否めないけれど。しかし、人間社会のそのしくみについて真っ向から立向かうこうした野心に喝采を送らずには居られない。
社会への不満を抱え、隠密裏に“とある事件”について復讐を企てる集団が居た。例えばアイヒマンのように「それが自分の仕事だったから」で、人々は納得するだろうか?制服を着てその役割を果たすのはまるで「コスプレ」のようだと描く。しかしそこに少しも個人の“感情”や“思念”が挟まれていない…そう言い切れるだろうか?とギドクは切り込みを入れる。一方、テロリスト集団たちは様々な制服を着てあらゆる場所で姿形を変え、人々を拷問してはその罪の重さを突きつける。服装、制服というものは“肩書”と同じで、その人の役割を指し示すだけの存在だ。
ギドクは、その制服の奥にある人間の“魂”について描こうとした。一対一で(“ONE ON ONE”)対峙する、罪を犯した“人間”と、それについて復讐せんとする“人間”の真っ向勝負。“社会機構”のネジの1つではない人間の本来の顔。
以下、ネタバレで語ります*************
最後に、とある復讐に対する反撃が行われる。これは、その形だけ見るなら、結局は“テロリスト”が“警察組織”に敗れる姿のようにも見て取れなくはない。ギドクはトークの時に、「このラストについては、どのように終えるべきか、本当に悩みに悩み抜いた。」と言っていたけれど、それもそうだろうと思う。私怨が勝利するのが納得の行く結末か。その逆が政治的に正しいものであるかどうか。
私は、テロリストもその逆の立場の者も、お互いが自分の役割(“制服”に象徴される)を捨て去り、本来の人間同士としての戦いになったが末に、あのラストがあるのだと思う。警察側の人間もその本来の役割ではない行いであったと思うし、自らの私怨・復讐に命を捧げた人間が最後の最後のそれを行うことなく終わったのも、彼なりの“救い”を得られたが故のものであったと。
単純に消化出来る物語でないし、どう捉えるべきかは難しいけれど、少なくても商品化されラベルを貼られ、“消化”されてゆく物語でないものを、また新たにギドクは創り上げた。そうは言えると思う。
P.S.…ギドク脚本作品(&プロデュース作品)でありながら、社会性とドラマのバランスが悪く、大失敗している『メイド・イン・チャイナ』(’14年、キム・ドンフ監督)を見たばかりであるせいか、少々辛口になってしまったかも。何となく似ている部分もあったので…。
’14年、韓国
原題:ONE ON ONE
監督・脚本:キム・ギドク(KIM Ki-duk)
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