乾いた風合いの賢者の言葉 『ジェラシー』
フィリップ・ガレルのコチラ新作の公開に先立って、フィリップ・ガレルの特集がアンスティチュ・フランセにてかかっていた。残念ながら人気が高過ぎて、私は二作のみしか見れず、二度に渡って満席で帰るはめになったので、途中で嫌になってこの特集は通わなくなってしまった。正直言えば、こちらの新作よりも、旧作の方が心に響いた。
見たものは『救いの接吻』と『自由、夜』。他には『愛の残像』と『灼熱の肌』は見たぐらいなので、未見作多し。
途中に引用されるセネカの「賢人は執着せずに生を思い切り楽しむ」、この言葉が響く。
愛に夢中になってしまった人間は、執着せずにその愛を全うすることなんて至難の業であるから、苦しみつつ愛する羽目になる。
途中、「心から愛してしまったり、愛を最上のものとする考えは危険である」と、友人から二度に渡って言われる。彼はその考えは受け入れられず、彼女から別れを言い渡された後に、自殺未遂。
彼は愛に溺れずに生きていくことを、痛い目を見てようやく知ることになる…。
これ、自分も経験したことあったわ…。自殺未遂こそしていないものの、死にそうになりようやく這い上がった経験が。ジェラシーが原因、と言ったらそうかもしれない。愛情を持て余して自分でも制御不能のモンスターみたいになってしまった経験が。
私の周りにもそんな恋愛モンスターみたいになってしまって、どうしようもないズブズブの関係になってしまった人、いくらでもいる。
それこそセネカのように、「賢人は執着せずに生を思い切り楽しむ」なんて、痛い思いをしてようやく這い上がった人が、これを出来るようになるもの。
誰もが経験したことのある“ジェラシー”を、あえて乾いた風合いで表現してみせた作品、というところ?
けだるいモノクロで愛を描き、ビックリするほどドライだったこの作品。
自分は正直、ここで描かれたドライさは自分そのもので、身に沁みて分かるようになってしまった(経験値も年もだけれど…)。おかげで、私のような類には納得の行くシロモノだったとは言えるけれど。正直に言うなら、ジェラシーを描くのにこうしたドライさは表現として物足りないのでは。
’13年、フランス
監督・脚本:フィリップ・ガレル
製作:サイド・ベン・サイド
撮影:ウィリー・クラン
音楽:ジャン=ルイ・オベール
キャスト:ルイ・ガレル(ルイ)、アナ・ムグラリス(クローディア)、レベッカ・コンベナン、エステル・ガレル
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