“消費されない映画を作る”とは 『郊遊 ピクニック』
どんな話なのか説明せよと言われたら、ストーリーなど無いと答えるのが正解かもしれない。しかし映像から伝わってくる感情はそこに在る。
私はこの感触が決して嫌いではなかった。
ここから何かを感じようと手を伸ばすことが気持ちが悪くはないし、止まったような時間の長回しにも、ある種の退屈を感じながらとは言え、見入ってしまった。“永遠性”に辿り着くための、自分の心の奥底にあるものに対峙するためのプロセス、なのかもしれない。
こうして切り取られた画の1つひとつを眺め回す時間というのも悪くは無い。
冒頭では子どもたちが寝ているところを背景に、女の斜め横顔の顔の一部分が、顔にかかる長い髪を梳かす度に、僅かに顔を覗かせる。これだけで延々と10分間程度費やされ、ようやくタイトルが浮かび上がってくる。ここでまず観客は腹をくくるべきだし、ここで気に入らない人には「もう駄目だ」としか言えない代物だった。
無邪気に遊びに戯れる子供たちと、絶望的な空気の中で何かに必死で耐えながら生きる大人たち。
看板を抱える仕事にオーバーラップされる、尊厳失った自分の拠るべき物を失った男の哀しさ。長い漢詩を心で呟きながら、自分の尊厳が帰ってくる日を待ちながら、じっと堪える苦しい“生”。
遊び道具のない子供は、自分の想像の中でキャベツ人形をこしらえる。
お腹を空かせながら、遊び場も無いまま、郊外のスーパーや壊れた家々を寝床にしながら点々と過ごす。
舟で子供と心中をしようとした父親から場面は移転する。しかし彼らを救った年寄りの女の存在が無く、若い女が登場することで、前シーンとの繋がりが無いことに気づく。彼らはあの子どもたちが成長した姿だ。(主人公の俳優は同一人物が演じているようだ。)
今度は彼らは子供を連れていて、同じような屈従の人生を送っている。持ち主を失ったかのような家は、そこに住む彼らの心のようでもある。
「どうしてこの家は壊れているの?」
「壁が病気なのよ」
「なんで病気なの?」
ラストシーンの彼らは、壁一面に描かれた画をじっと見つめている。彼らの見つめている壁の絵はどんなものかと言えば、手前に小石が積まれていて、向こう側に小高い丘がある。これだけの絵だ。この積み重なった小石は、水がすっかり干上がってしまった姿の川のように見えた。かつて深い水を湛えた川が、干上がってしまった絵。
おそらく、彼らが子供の頃に見たことのある絵だったかもしれない。同時に、彼らの思い出と心情を表す絵でもあるように思う。
このシーンはこれまた、ラストの延々と続く固定ショットの長回しだ。画を見つめる彼らの表情を捉えて10分ほど、カメラは切り返して、後ろ側からの姿を捉えて10分ほど。
私のシネフィルの友人曰く、「フィルムで撮影しているために、10分が限界なのだろう」とのこと。つまり、あのショットは限界の長さに達したショットだったのだなあと思う。長い長い時間。
私は思わず、観客はきっと皆寝てるだろうと思った。“絵を見ている人物”のショットを、延々見つめる観客は、一体どんな顔をして見ているのかと。この考えがだんだん気になってきた。“絵を見ている人物を見ている観客”。つまり、彼らは私たちそのものであり、痛ましい表情をして厳しい芸術をしっかと見つめる私たちそのものというメタ構造を表現していたのかもしれない、と。
私は映画の最中に振り返って、観客の顔を見つめた。
誰も寝ている人は居なかった。念のため、一番後ろの座席に座っている観客の顔が見えるように、途中で移動してまでしっかり見た。
たったの10人しか居ない客席だったけれど、誰も寝ていなかった。
頼もしく感じた。
みんなしっかり目を開けているんだ!
少なくとも、「見ようとしている」。
何かを感じようとしている。
監督がインタビューで語った言葉、「映画を商品として消費する、ただ刺激を求める観客からは評価が低いだろう。」を思い出した。それが全てを表現していると思った。
ツァイ・ミンリャンの引退作を、しっかり見届けた。
残念である・無念であると感じるべきなのに、不思議と私の心は軽くなった。
’13年、台湾、フランス
原題:郊遊 Stray Dogs
監督:ツァイ・ミンリャン
製作:ビンセント・ワン
脚本:ドン・チェンユー、ツァイ・ミンリャン、ポン・フェイ
撮影:リャオ・ペンロン、ソン・ウェンチョン
キャスト:リー・カンション(小康 シャオカン)、ヤン・クイメイ(髪を梳く女)、ルー・イーチン(子供を連れ去る女)、チェン・シャンチー(涙を流す女)、リー・イーチェン(兄)、リー・イージェ(妹)
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