『偽大学生』『女の一生』『女の小箱より「夫が見た」』@増村保造特集
偽大学生
およそ学生運動を扱ったもので、こんなものがあるのだろうか、という変わり種。明後日の方向から来た“部外者”がその中まで偶然から入り込み、その内実を明かしてみせる様が見事。次第に白日に曝されるのは、学生運動の実に薄っぺらい全貌、それを取り締まる警察の愚鈍さも。しかし最後に「東都大(=東大)に入れなければうちの息子ではない、などとハッパをかけ続けた結果がこれなんですね…」という母親の一言で、この“部外者”を狂わせた偏差値重視の社会の歪みすら描き出していく。ラストの学生との対話での居心地の悪さと、彼ら総体の虚実を一気に映し出した。
今回の若尾さんは徹底して冷めた目と投げやりな台詞で、彼らの熱さに一石を投じる役どころ。集団主義的な男たちに自然に懐疑の目を向けることが出来る、彼女の純真さ、賢さが生きていてさすが。若尾さんの台詞には真実味があって、その台詞の重みをズッシリと感じるところがさすが。いつも頭が痛そうな彼女は、この世界の馬鹿馬鹿しさと一人で対峙しているため。
ミニマムでありながら鮮やか。
まるで社会派映画のように語っているけれど、むしろテンションの高いサスペンスのように、物語がどこへ進むか分からない手探り感が鮮烈。ジェリー藤尾のキャラによるカラッとした脳天気さが笑いを誘いながら、次第にブラックな諷刺が突き刺さる。見事!
’60年、大映
監督:増村保造
脚色:白坂依志夫
原作:大江健三郎
撮影:村井博
音楽:芥川也寸志
キャスト:若尾文子(高木睦子)、藤巻潤(木田靖男)、ジェリー藤尾(大津彦一)、村瀬幸子(彦一の母)、船越英二(国恭介)、岩崎加根子(国縞子)、
中村伸郎(高木次郎)、伊丹十三(空谷)
女の一生
こちらの原作、モーパッサンでも無ければ山本有三でもない。増村版は森本薫が原作なのでした。
京マチ子が十代の少女から晩年の老婆まで演じ切る。ひたむきで働き者だった少女時代から、バリバリのやり手の婦人実業家、大企業の看板を背負って立つ存在に成り上がる。成功物語かと思いきやそうではない。一家の頼もしい大黒柱として完璧に家を盛り立てていく出来た妻であり、全てソツなくこなす文句のつけようのない女性でありながら、金のために一国を戦争へと駆り立てる恐ろしい面もある。私利私益を貪るうちにいつしか、優しくて強い女であった姿のまま、自分の家族を売る冷たい女になってしまう。
しかし、周りの3人の男達が皆彼女に優しいんですよね。ここが胸を打った。“立派”とされている彼女に対して、一見すれば無力で頼り甲斐が無い男たちが(例えば叔父の章介(小沢英太郎)などは足を怪我したという設定であったりする)、戦争当時の日本にあって、人の心を失っていない優しい心根の人物たちとして描かれている。ちょうど冷たい彼女と対照的に。(あと、女たちの彼女に対する態度の変わり様も面白い)。
しかも彼ら全員が、彼女を心の底では愛しているのが分かる。離婚寸前の夫である伸太郎(船越英二)ですらそうで、最後の最後に彼女に頼み事をしにやって来る。今際の際に見せた優しさ。
伸太郎(船越英二)がもう一度家に戻ってくるよう説得するけい(京マチ子)に対して、「いつでも戻ってきてください、アナタの部屋はそのままにしてありますから」というシーンがある。二人がもう一度夫婦としての仲を取り戻すのか、と思った瞬間、ここで一瞬カメラが上から屋根越しに映るショットが凄い。けいの「部屋はいつでも戻れるようにそのままにしてある」という優しい言葉の一方で、屋根には枯れた草が映る。これまでも屋根越しのショットはあったけれど、こうした枯れ草は映ってはいなかったはずだ、とアッと驚く。その部屋は、ただ放って置かれただけの存在であった彼自身を表しているのか、ガランとした寂しさを一瞬で感じさせる秀逸なショットだ。あくまでも「家のために」という大義名分や世間体を語るけい。このシーンの不吉さはさらに伸太郎の心臓発作、死へと繋がっていく。最後に語られる愛の言葉。
叔父の章介(小沢栄太郎)、伸太郎、次男の英二(田宮二郎)。皆彼女を愛し、だからこそ許すのだなあと…。英二とのラストはじわっと感動が広がった。
’62年、大映
監督:増村保造
脚色:八住利雄
原作:森本薫
製作:永田雅一
撮影:中川芳久
音楽:池野成
キャスト:京マチ子(布引けい)、東山千栄子(堤しず)、船越英二(堤伸太郎)、田宮二郎(堤栄二)、浦路洋子(堤総子)、三木裕子(堤ふみ)、小沢栄太郎(堤章介)、叶順子(堤知栄)
女の小箱より「夫が見た」
変わったタイトル。「夫が見た」の部分にイマイチ納得がいかないけれど、そんなことは抜きにして、いつもながら面白い。
冒頭に映る若尾さんの入浴シーンは、顔以外のショットは明らかにボディダブルだ。たるんだ体の乳房にお腹など、中年女の裸そのもの。すると、夫が妻をないがしろにしること、子も無く、女としての喜びが薄い人生というところから始まる。どんな大恋愛の末結婚しようとも、10年も経てばどんな仲でも冷める時期が来ると私は思っている。女性には普遍的な悩みだと思っているので、このテーマは自分にはグッと来る。ましてやこの時代には、特にないがしろにされるのが、妻としてではなく“女としての人生”だっただろう。
こうしたテーマでありながらヒューマンドラマとして描くのではなく、乗っ取り問題に関する犯罪ミステリーのように同時進行してゆく。
自分を本気で愛し向かってくる男とのホテルでの密会の、風呂あがりの彼女の「灯りを消して…」という台詞が冒頭のシーンを思い出し、深みが増す。また、この少し前のシークエンスでは、“女の小箱”が何であったかが分かるのだけれど、これはクライマックスのあるショットに繋がってくる。
彼女が、夫の川代(川崎敬三)と石塚(田宮二郎)の二人に、立場は違えど意義が全く同じとなる難問を振り、その対処の仕方を見るところが面白かった。若尾さんが話すと、その台詞の重みはズッシリと胸に応える。苦しみ抜いた挙句の女の取捨選択。
そして、いつもながらの岸田今日子の怖さ…。彼女の怖さは、同じように女の幸せを望む、主人公那美子(若尾文子)と裏表に描かれても居て恐ろしい。ラスト、動かなくなった石塚の頭を抱いた手からさり気なく映る、那美子の真珠の指輪が切ない。
’64年、大映
監督:増村保造
脚色:高岩肇、野上龍雄
原作:黒岩重吾
撮影:秋野友宏
音楽:山内正
キャスト:若尾文子(川代那美子)、川崎敬三(川代誠造)、田宮二郎(石塚健一郎)、岸田今日子(西条洋子)、江波杏子(青山エミ)、千波丈太郎(吉野元男)他
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