ホドロフスキー一家の神話 『リアリティのダンス』
ホドロフスキーが意外にも好々爺であることは、『ホドロフスキーのDUNE』を見れば分かったのだけれど、こちらの作品は、彼自身が熟成したウィスキーのように味わい深く、まろやかに丸くなっているのを感じた。長年の夢だった『DUNE』を世に出すことは出来なかったにしても、その積年の思いについて正確に追ったドキュメンタリーの存在がある。そうしたことも良い方向に彼を向けたのかもしれない。でなければ、ここでのホドロフスキーがこんなにも温かく、安定し、満ち満ちていることに説明がつかない。
もちろん、往年のホドロフスキーならではの荒唐無稽さはそのままにある。しかし、自分史の総体系としての長い長い物語を、語り継ごうとする丁寧さや熱心さが第一義にあって、もう終わりに近づいた自分の人生を振り返るような、ラストの温かい味わいに漂着する。
人は自分の人生を語る際には必ず、両親を語ること無しには居られないのだなあ。とりわけ自分の子供時代に絶大な影響を与えた父親ハイメについては、本人(アレハンドロ)について以上に思い入れたっぷりに語られる。むしろ彼の半身が父親なのだ。この父親の役を、ホドロフスキーの息子のブロンティス・ホドロフスキーに演じさせていることも意味があるように思える。
彼の母親は、自分の父親の生まれ変わりであると信じていたようだったが、父親ハイメはそうした思い込みを打ち砕き、母権的教育から父権的教育に立ち戻ることから、彼一流の風変わりな教育が始まる。
ハイメは見た目のようにイカツい人物そのままではなく、実は共産主義者でり、オカマ達という当時偏見の目で見られる人々と交流もあり、商売上世間の目を誤魔化さなくてはならなかった。さらに癩病が蔓延した時分には病を恐れず人々を助け出そうという、ある種無謀な英雄的行為を平気でする人物でもあった。そうした彼の行動は、ついにイバニェス大統領を殺害する旅に向かわせる。
信心深く優しい、そして巨乳な母親は、いつもオペラを歌っている。ハイメとサラとは“割れ鍋に綴じ蓋”的な夫婦だが、このズレがまた楽しい不調和となっていて、二人の家での排泄シーンやセックスシーンまで何故か楽しい。母親の、こうした大分世間ズレした雰囲気がまた、アレハンドロ少年の心には癒しになっていたようだ。彼の優しい性質の幾分かを担っていたのかもしれない。母親はハイメの病気を治すという奇跡の瞬間もある。祈りのオシッコをかけるという荒々しい祈祷だが(笑)、彼女の聖女性を感じさせる。夜が怖いと泣く少年に、タールを全身に塗りたくり、一緒に真夜中にダンスをするシーンがある。とても美しくて優しくて、大好きだった(私も子供が出来たら真似したいw)。まさしく魂の放浪を終えたハイメが戻ってくる瞬間にも、母親は十分に貢献し、彼を受け入れていた。
一人の人間史(アレハンドロというよりはハイメ)を語りながら、どこかギリシャ神話のような荒々しさと、民話のような普遍性を持つところが、さすがのホドロフスキー・ワールドだった。目の前の現実に灰色の色合いを見るばかりでなく、カラフルな幻想の入り混じった混沌を見ようとする。乾いた砂の色合いが印象的な彼の世界に、何故あんなにも鮮烈な幻想が混じってくるのかが良く分かる。
案外とこの作品の評判が良く、「思ったよりずっと楽しめた」という人の意見を聞くのもなんだか嬉しい。
P.S.…渋谷UPLINKではボカシ無しで見れました。これだけ気前よく性器が出てくる映画には、やはりボカシ無しで見れると楽しい。今後もボカシ無しの映画をここで見たいっ!
’13年、チリ、フランス
原題:La danza de la realidad
監督・原作・脚本:アレハンドロ・ホドロフスキー
製作:ミシェル・セドゥー、モイゼス・コシオ他
撮影:ジャン=マリー・ドルージェ
音楽:アダン・ホドロフスキー
キャスト:ブロンティス・ホドロフスキー(ハイメ)、パメラ・フローレス(サラ)、イェレミアス・ハースコビッツ(幼少期のアレハンドロ)、アレハンドロ・ホドロフスキー(大人のアレハンドロ)、バスティアン・ボーデンホーファー(カルロス・イバニェス)、クリストバル・ホドロフスキー(行者)、アダン・ホドロフスキー
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コメント(7件)
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やはり、この作品はホドロフスキー自身が制作する契機となった「ホドロフスキーのDUNE」と対で見たい作品ですよね。
見てない人は「リアリティのダンス」の後でも是非とお勧めしたい。
黒く塗るシーン、サラの母性は本当に素晴らしかったですね。真似するんですか、とらねこさんもサラのような母親になるのかな。
『リアリティのダンス』 (2013) / チリ・フランス
原題: La danza de la realidad
監督: アレハンドロ・ホドロフスキー
出演: ブロンティス・ホドロフスキー 、パメラ・フローレス 、イェレミアス・ハースコビッツ 、アレハンドロ…
皆さんの仰せに従いましてUPLINKで観て大正解でした。
私もサラがよかったなあ。正しい方法で敢然と家族を守り切れる母親って最近減りました。誰かのせいにする母親ばかり。
サラはとことん息子に、だんなに向かい合っていった、傍目にはそれは不恰好かもしれないけど、どう思われてもいいっていう潔さが私は好きです。
imaponさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
おっしゃる通り!『ホドロフスキーのDUNE』とこの作品とは対ですね。
ホドちゃん復活ブリブリスペシャル〜〜〜〜!!
あちらを見ると余計、ここで立派に監督業やってるホドちゃんの姿が眩しくなるってもんでさァ…(泣)
そうそう、サラはとっても母性たっぷりで良い母親でしたね。
うん、私、会話の代わりにオペラ歌っちゃる!
そんで、闇を怖がる子供には、全身素っ裸の上にタールを塗って「ホ〜ラ闇に紛れてしまえば怖くな〜い」って、一緒にダンス踊るんだ。
rose_chocolatさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
>誰かのせいにする母親ばかり
あー、そうなんですか?何となく説得力のあるお言葉。
サラは人気ですね。やっぱりあの父権的教育の中で、基本文句を言わず寛容な人物、且つのほほんとした性格が(そして巨乳)みんなの気に入るのかな。
とらねこさん、こちらにも^^
duneは未見だし、恥ずかしながら、この監督さんのことは良く知らないで、表紙の写真に惹かれてレンタルしちゃったんですが、なかなか面白かったです。
色づかいとか好きだったし、お話もテンポ良くコロコロ進んで。
>夜が怖いと泣く少年に、タールを全身に塗りたくり、一緒に真夜中にダンスをするシーン
私もここは、すごい!って感心しちゃった。
こういうお母さん、素敵ですね。
latifaさんへ
こちらにもありがとうございます♪
『ホドロフスキーのDUNE』、まだ未見ですか。
そしたら是非、これの後に見ることを薦めますよ。
何故って、こちらより面白いですもん!
ホドロフスキーがどういう人なのかも、すごく良く分かると思います。