『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名も無き男の歌』 猫が表わす魂の物語
時々言われていることだが、「twitterの猫アイコンにはオッサンが多い」。これを聞いた時はいかにもありそうだと笑った。同様に私は、「ウサギアイコンには童貞が多い」と言ったことがある。“童貞、もしくは心が童貞の人”と言ってもいいかもしれない。一方私は前者、猫好きの男達を、実は女のワガママを受け入れる度量がある人なのだ、とも思っている。だから成熟した人、つまりオッサンが多いのだろう。という自説の持ち主なのだけれど、いかがかな?(ビバ!オッサン♪)
アイコンの話をしたが、映画の顔に当たるポスターチラシ、この作品のそれを見てパっと思いつたのが、ボブ・ディラン『the FreeWheelin’』のアルバムカバー。ディランが名を上げたアルバムの存在だ。
この作品の主人公ル-ウィン・デイヴィスは、実在したフォ-ク・シンガ-、デイヴ・ヴァン・ロンクを元にしている。ボブ・ディランの憧れたシンガ-だ。ポスターの彼は、ボブ・ディランのように恋人を隣に歩く代わりに、猫を抱えている。
作品の底音として流れているのは、主人公ル-ウィンの味わった大きな喪失だ。元はコンビを組んでいた相棒を、自殺によって失ってしまった。この相棒の喪失が、音楽を信じていた彼自身の魂の喪失となり、生きる方向性を見失わせてしまっている。音楽を生きる糧にするプロであると言いながら、その実ジム&ジ-ンのように(ジャスティン・ティンバ-レイクとキャリー・マリガンが歌ってる!)、器用に商業的成功を収めることに向いていない。そんな一人のフォ-クシンガ-の物語。(そんな彼だからこそ、ディランが憧れたのだね…)
この先、ネタバレで語ります*****************
映画を見た後にシネフィル数名と語り合い、その時の話を以下に引用してしまうのであるが。猫と旅する男の話でありながら、彼は実は猫の区別がついていなかった。これは何故か、どういうことであるか。これが実は重要なキ-ワ-ドになってくる。猫の部分が実は分かりづらいので、詳しく書くことにする。
まず初めの猫(ユリシ-ズ)が失踪して、別の猫をル-ウィンは連れてくる。だがこの猫はユリシ-ズではなかったと判明する。ル-ウィンと旅に出るのはこの2番目の猫だ。
旅の途中で、猫と別れる(車に置いてけぼりにする)。在る夜、猫を轢いてしまいハッとする。少し後に目を凝らすと、びっこを引きながら歩く猫の姿を見かける(←ル-ウィンはおそらく、この猫を轢いた猫だと思い込んでいる節がある/真実は不明)。
「動物が何キロも離れた我が家へ一人で帰り着いた」という奇跡のニュ-スを彼は見る(←ルーウィンはある夜轢いてしまった猫を、一緒に旅してきた2番目の猫だと思いこんでいる)。
「ユリシ-ズが帰ってきた」という夫妻に会う。ところがそこにいるのは2番目の猫だ。ところ変わってル-ウィンの部屋。彼は最初の猫、ユリシーズと一緒にいるラスト。
音楽に対して純粋な気持ちを失いつつある彼が、とうとう音楽をやめようと決心した。だが上手くいかなかった。ルーウィンが猫と一緒に居るラストで分かるのは、彼にとって生きていくことが、おそらく幾分かは楽になったであろうこと。彼は、失いかけていた彼自身の魂を取り戻した。これを、猫をアイテムとして用いて表現しているのだ。
私がこれを象徴表現として素晴らしいと思うのは、猫の無名性の表記である。猫の名前が初めに出て来ないのはそのためであり、途中に出てくる“ユリシーズ”は一匹目と二匹目とを区別する表現のための“名前”だ。猫の顔自身、一匹目と二匹目で大分違うのは、この無名性に気づきやすくするための演出の一つだった。これは、ゲ-テが『ファウスト』の中で描いた、彼を救った“女性”グレートヒェンの表現方法と同じだ。グレ-トヒェンは、特定の固有名詞である一女性を表現するのではなく、それが誰であってもよい、女性そのものとしての表記であった。
同様にこの猫は、彼が何とか生きていかざるを得ない人生の、その魂そのものについて表していたのだ。つまり、初めに猫に名前が無かったのは、彼自身に名前が無いことを意味している。事実彼自身が売れていたミュージシャンでないことも同時に含ませているし、同時に、彼自身が単純に“人間であること”を表現している。だからこの物語は、単純に猫を可愛がる男の話ではないし、もちろん“猫映画”ですら無いのだ。
’13年、アメリカ
原題:Inside Llewyn Davis
監督・脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
製作:スコット・ルーディン、コ−エン兄弟
製作総指揮:ロバート・グラフ
撮影:ブリュノ・デルボネル
音楽:T=ボーン・バーネット、マーカス・マムフォード
キャスト:オスカー・アイザック(ルーウィン・デイヴィス)、キャリー・マリガン(ジーン・バーキー)、ジョン・グッドマン(ローランド・ターナー)、ギャレット・ヘドランド(ジョニー・ファイヴ)、F・マーレイ・エイブラハム(バド・グロスマン)、ジャスティン・ティンバーレイク(ジム・バーキー)、スターク・サンズ(トロイ・ネルソン)、アダム・ドライバー(アル・コーディ)他
2014/06/06 | :音楽・ミュージカル・ダンス アメリカ映画
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コメント(7件)
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インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌
「この映画のポスター、ありませんか?
あれば売っていただけませんか?」
いつものシアター・キノ。
鑑賞後、良き感触を胸に私、ググッと館主奥様に迫ります。
「すみません。 …
映画を実に巧みに
“読み”ますな~とらねこさん。^^
人生ぜんぶ盛り下がっている歌うたい男の話。
薄暗い画面、隅々まで使ってコーエン節。
好物でございます。
コンドームで表す叱責セリフの数々、
2枚重ね発想までは私でも行き着きますが
全身を覆うコンドームのくだりは
まさにブラボー!でございました。(笑)
主人公を朝起こしにくる茶トラ君のあの表情、
いかんともしがたい愛らしさ全開であります。
茶トラ、三毛類は絵になる用いられる。
ウチにいるような黒猫は愛想がないから
せいぜいが運送屋の看板どまり。(^ ^)
映画:インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌 1961 NY 冬 のリアリティ,一方 ボブ・ディラン!
1961年 冬 NY グリニッジ・ヴィレッジ。
主人公ルーウィン・デイヴィスは、売れない 男性フォーク・シンガー。
極寒なのに、コートもないような生活。
定住する場所はなく、友達やツ…
vivajijiさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
はい!私も好物でございました。
そして、ありがとうございますー!ちょっぴりこの記事は自信作だったりしてw
や、でも、もし映画を見っ放しで感想をアウトプットしようと思わなかったら、こんな風に思わなかったかもしれない…という部分はありました。
こういう時にブログやってて良かったな〜なんて思ったり。
いやー、キャリー・マリガンの口汚さ!すごかった…
コンドーム二枚重ね…うわ、そんなこと言うんだ、と思いきや
全身コンドームしとけ!て本当すごい
私聞いてるだけでものすごい落ち込んできちゃいました。本当生まれてすみません…としか言い様がない。アメリカ女怖いよ〜。
茶トラ(特に一匹目のユリシーズの方)、何とも言えない愛嬌のあるブサ猫でしたね〜。でもスタイルがよくて、しっぽがピーンとしててカワエエ!
あっ、vivajijiさん宅の猫は黒猫だったんですね。不吉なイメージにされちゃって、かわいそう…ていうか、今気づいたんですけど
それでvivajijiさんだったのですね!
確かに黒猫ちゃんだったら、jijiって名前つけたくなっちゃいますよね〜
私の猫は、外れ猫だったんですけど(猫って当たり外れありますよね?)、実家で飼ってた猫は茶トラでした。「茶々ちゃん」でした。ありがちィ♪
こんばんは。
私はこの映画、楽しみにしていたのに、また、疲れていて途中眠ってしまった。
猫映画ですらないのですね。
コーエン兄弟はいろんな仕掛けをしてくるんですな。映画読みの達人の分析は鑑賞の手引きとしてとても参考になります。
ま、寝ちゃった者が参考もへったくれも無いですが。
肝心な事を書き忘れました。
とても参考になる分析なので勝手にリンクで拝借しました。
すんんません。
imaponさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
おお〜!imaponさんもご覧になられましたか!
そっかー残念、寝ちゃったのですね。
確かに、テンポとしてはゆっくりですし、眠くなってしまう部分もありますよね。
いやあー、映画好きの人達3人に会って、(と言ってもその内2人とは初めて)
いろいろ話したのですが、すっかり楽しくて時間を忘れてしまいました。
最近は忙しくてほとんど映画を見れていない、なんていう人も居たんですが、
映画好きって、やっぱり本数じゃないんですね。
ディープな見方が出来る人はセンスだなあと思いました…。