『野のなななのか』大林監督渾身の遺作シリーズ!
『この空の花』に続く、大林宣彦監督の真骨頂。これ、“遺作シリーズ”なんて呼んだら聞こえが悪いかな?震災以来続く、今の日本の人々へ伝える、熱~いメッセージのような作品達。真っ直ぐに届くような、傷を癒やすような。そして、何より未来へ残すべき思い…。
大林監督の作品は、編集がすごくて台詞の間隔を短めに編集していて、まるで『ソーシャル・ネットワーク』みたい。少しでも情報をたくさん詰め込もうと、せわしない編集で紡いで行く。いろいろなものが繋がっていき、膨張する宇宙を形成するかのように。『この空の花』ほどの爆発力はないけれども、こちらの方も相変わらずの“大林ワールド”。見ているうちに、次第次第にのめりこんでしまう。
映画の中で映る時計は全て、“14:46”で止まっている。あの暗黒の“14:46”。映る時計全てがこの時刻で止まっていた。「おじいさんの時間が止まっているから」という台詞がある。きっとこれは、震災以来、立ち止まってしまっていた、私達の思いを弔う物語だ。
物語は初七日から始まって、“なななのか”(七掛ける七)ー四十九日の法要を終えるところで、「もう後には引けない」。未来へ動き出して行くために、じっくり私達が考えるべきこと、喪失をゆっくり悲しむこと、亡くした人の思い出について語ること、それぞれが抱えていた個人の歴史について、思いを共有すること反芻することが大事だよ、って。だから震災のあの時刻で時は止まっているんだ。弔いが終わっていないから。
“なななのか”が来る頃に、複雑に絡み合う時の中で、おじいさん(光男)の物語が語られていく。
この先、ネタバレで語ります*****************
おじいさんの恋の話がまず2つ。一つは戦争中の初恋。おじいさんの青春は戦争の真っ最中で、とても悲しい恋の終わりを迎えてしまう。相手は綾野(安達祐実)。おじいさんはきっとずっと心の傷を抱えていたのだろう。
二つ目は、清水信子(常盤貴子)。おじいさんとの同行二人(”どうぎょうににん”)。彼女は本当は14歳で列車事故で亡くなっている。だがおじいさんが呼び戻し、一緒に暮らすこととなった。妻と呼ばず同行二人と呼ぶ。亡くしてしまった綾乃の生まれ変わりとおじいさんは思っていて、おじいさんは信子と呼ばず、「綾野」と呼ぶ。(生まれ変わりの幽霊、って面白い言い方!)
おじいさんには子供が二人、長男冬樹と次男春彦がいる。医師だったおじいさんは、亡くなってしまった妊婦の子供を引き取って育てていた。冬樹の子供が秋人とカンナで、春彦の子供がかさね。
おじいさんは死んでようやく信子と一緒になることが出来る。
なななのかが済んだら、私達の未来のために、この後に来る大きな変動のために、一歩踏み出していく。そんな我々の決意についての大いなる意志。
遺作と敢えて呼びたくなるのは、何より大林監督の熱いメッセージが、“未来に何を残すか”をテーマに語られているから。とても共感する。我々の思いが一つになればいいのにと思う。本当に語りたいことを、自分たちの子孫に語っていきたいことを語っている。そう思える作品だった。大林監督らしい、派手な祝祭色の濃い弔い。とても鮮烈で、だけどしっかりと心に刻み込まれていく。
’14年、PSC、TMエンタテインメント
監督:大林宣彦
エグゼクティブプロデューサー:大林恭子
プロデューサー:山崎輝道
原作:長谷川孝治
脚本:大林宣彦、内藤忠司
撮影:三本木久城
音楽:山下康介
キャスト:品川徹(鈴木光男)、常盤貴子(清水信子)、村田雄浩(鈴木冬樹)、松重豊(鈴木春彦)、柴山智加(鈴木節子)、山崎紘菜(鈴木かさね)、窪塚俊介(鈴木秋人)、寺島咲(鈴木カンナ)、内田周作(光男の青春時代)、パスカルズ(野の音楽隊)、安達祐実(山中綾野)他
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コメント(4件)
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いやあ前作に続いて凄まじい映画でした。
正に映像と音声のキュビズム。
過去からの声がどんどん重なって、最後には観客の中で完成する。
既成概念からこれ程自由な映画を76歳のお爺ちゃんが撮るとは恐れ入ります。
もしもピカソが映画を撮っていたらこんな作品だったのかも。
ノラネコさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
凄まじかったですよね〜。“観客の中で完成する”って、言い得てますね!
なんか私はもう、大林監督の映画が見れたらもうその年は、十分邦画に満足してしまうぐらいですー。なんて言い過ぎ?^^;
ふむ、ピカソですか…そうですね!と言いたいところなんですが、ピカソ大好きすぎるのと、ラストのあの絵が全くピカソと似通っていないので…。
むしろ、ゴヤの『裸のマハ』を思わせるポーズでしたね〜
http://art.pro.tok2.com/G/Goya/Goya013.htm
とらねこどんと『この空の花』を下高井戸で観たのも、ちょっと懐かしい話になっちゃいましたね。あの時劇場は満員に近かったけど、今回『野のなななのか』を観た沼津の映画館には3人くらいしかいなくて図らずも過疎化する芦別の空気とマッチしておりました。
そういえば北海道が舞台で霊とコミュニケーションしてるところは『思い出のマーニー』と一緒ですね。北海道には幽霊がおどろおどろしいものでなく、普通にいとおしいもののように思わせる空気があるのでせうか
SGA屋伍一さんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
あ〜、そうそう、『この空の花』下高井戸で見ましたね!
二番館なのに、人が多くて嬉しかったなあ。私も『野のなななのか』見た時はあんまり人入ってなかったです。
“過疎ってる”=芦別の空気、なんて言ったら芦別の人に怒られるのでは^^;
そうなんですよね!マーニーといいこの作品といい、北海道に居る霊映画。SGAやんいいところに気づきましたね!