まるで万華鏡のように真実が姿を変える 『ある過去の行方』
『別離』『彼女が消えた浜辺』のアスガー・ファルハディ監督。極めて緻密に計算づくされたような、精巧で上品な作り。脚本の端正さは一分の隙も無いほどで、思わず「ほーぉ…」と溜息が漏れてしまいそう。今回もやはりテイストは同じような、細かい模様の寄せ木細工のような作品。人の気持の襞を存分に描写し尽くさせながら、まるでミステリのように、次から次へと飽きさせずに展開を見せていく。クルクルと見る者に違う印象を少しづつ与えながら進んでいく、まるで万華鏡みたい。
まず冒頭で、声も無いままにガラスの向こうとこちらとでやり取りをする、空港のシ-ン。ほんの僅かなシ-ンなのに、何故か丁寧で心を惹かれる。場面を変えると、作品が生き生きと走りだす。ファルハディ号は音もなく出航したようだ。
邦題がまたとても良い。この作品の「ミッシングピース」最後まで観客を牽引していく“謎”の部分を、それとなく伝えている。謎のまま取り残された「過去」の行方を追って、登場人物達のそれぞれの思惑が交差していく。いろいろな人の目線からパースペクティブを映し出し、炙り出してゆくごとに、真実はまるで生き物のように形を変えるようだ。人々の交錯する思いはまるでほどけないパズルのように、酷く難解な知恵の輪のようにこんがらがっていく。なるほどこんな風にして人々はすれ違ってゆくのだなあ、と深く打たれた。
ショットガンでも、ナイフでもないのに、人の気持ちを抉(えぐ)って心に深い傷を追わせる、言葉というもの。人は皆、何か間違ったタイミングで言葉を発することによって、取り返しのつかない事態を引き起こしてしまう。人と人との絆や関係性は、何ともろく儚いものだろう。そして、どれだけ自分がしっかりとしているつもりでも、見えていない真実があるのだろう。
ラストショット、植物人間状態になってしまった奥さんの、物も言わぬまま、繋ぐ手にほんの僅かに力をこめる。鬱と絶望を超えて、それでも愛そうという人の気持ちが痛くて、最後自然と涙が出てきてしまった。相も変わらず、優秀すぎる一作。
’13年、フランス、イタリア
原題:Le passe
監督・脚本:アスガー・ファルハディ
撮影:マームード・カラリ
音楽:ダナ・ファルザネプール、トマ・デジョンケール他
キャスト:ベレニス・ベジョ(マリー)、タハール・ラヒム(サミール)、アリ・モッサファ(アーマド)、ポリーヌ・ビュルレ(リュシー)、ジャンヌ・ジェスタン(フアッド)、エリエス・アギス(レア)、サブリナ・ウアザニ(ナイマ)、ババク・カリミ(シャーリヤル)、ヴァレリア・カバッリ(ヴァレリア)
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コメント(3件)
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ある過去の行方
先週観たアメリカ家族けんか映画「8月の家族たち」の
超対局に位置しているこちらはイランの複雑系家族映画。
「8月の〜」が言いたい放題率それでも8割、隠してるの2割。
…
人間の心を巡るミステリだけで、映画を構成する事にかけてはいまやこの人の右に出る人はいないでしょうね。
スタイルがどんどん洗練されてきていて、淀みないテリングはお手本の様。
ベレニス・ベジョの手の怪我とか、あちらこちらに一見未回収の要素があるのですが、この辺も何か含まれていそう。
ソフト化されたらもう一回観ようと思ってます。
ノラネコさんへ
私は、似たような路線とはあまり思わなかったですよ。『彼女が消えた浜辺』も『別離』もこの作品も全然違うと思います。だってテーマも違えば、ミステリ要素の使い方、構成の仕方、着地点の落とし込み方…どれも全然違いますし。
もちろん、“脚本が凝っている人間劇”という点ではどれもそうだけれど、まさかそれらを一緒くたには出来ませんよねw
マリーの手の怪我、確かにあれについては説明が無いままでしたね。
一瞬本当は嫌な予感(自傷行為?)がしたのですけれど、彼女はそういうタイプとは違うよなあ…ということで勝手に打ち消し。
サミールの奥さんこそそういうタイプだった訳ですが、マリーはむしろ誰かの不幸の上に乗ってでも自分の幸せを築くタイプだなあ、と。ましてや彼女はサミールの奥さんが自殺した原因について疑っていなかったわけですから。
アーマドとの関係は良好であったけれど、彼自身がそこを離れなければいけなくなり、別の誰かを探した(それがサミール)という感じでしたよね。結婚もこの次で4度目でしたっけ。ちょっとしたたかなタイプですよね。