少女ヌードが魅惑的でゾクゾク 『ヴィオレッタ』
これ何と映倫が通らず一旦公開が頓挫してしまい、別の配給に変わり今回の公開に至るらしい。児童ポルノに日本は五月蝿いからなのか?さしてヌード的表現と該当するシーンが無いにも関わらず、映倫が通らないのですって。首都圏ではかける劇場が限られてはいるけれどあるとしても、地方の劇場では恐れて断られてしまうところも多々あるのだとか。
イザベル・ユペール様主演、ドニ・ラヴァンが出てるのにですよー。少女のヌード的表現については絶妙に逃げていると思うけれど、服の上から乳首が透けているシーンはあった。映倫の審査では「何となく全体的に」エロティックなムードが漂っている、と。これはせっかくの映画が可哀想。ただ、見終わった感想で言えば、なるほど、これは問題作って言われちゃうのは分かるな、とも思う。そして“問題作”って何も、過激な性表現だけではないんだな、と。
この先、ネタバレで進みます。*************
母親アンナ(イザベル・ユペール)は何かしら表現欲があり、アーティストとして名を成したいという強い願望がある人物。絵ではあまりパッとせず、恋人のエルンスト(ドニ・ラヴァン)の勧めで彼にもらったことから、カメラに着手する。娘のヴィオレッタ(アナマリア・バルトロメイ)をモデルに撮ってみたところ、評判がうなぎ上り。もともと成人のヌードも撮っていたアンナは、ヴィオレッタのヌードも撮るようになり、どんどん名声が上がっていく。
ヴィオレッタにとっては、初めの頃こそポーズを取ってみたり、たまにしか遊んでくれないお母さんが自分の相手をしてくれる。これは嬉しかったろう。しかし、思春期の芽生えと共に、男を絡めてのヌードは(シド・ヴィシャスと)はキツく感じるようになる。男の目線に居心地が悪く感じるようになるのは、その意味が分かり始めてきたから。しかし子供らしさをすっかり失い、クラスの中でも浮く存在になってしまったヴィオレッタ。撮りたくないヌードを強要され、母親に対する不信感は募っていく。そして母親と決定的な喧嘩をしたその最悪のタイミングで、彼女は自分の出生の秘密を聞いてしまう。これがまたショッキング…!
イザベル・ユペールが人間嫌いの母親を演じていて見事。不十分な自己愛を持った母親は、一人の母が娘を愛するというより、むしろ自分のお気に入りの人形遊びでもしているかのように、ヴィオレッタを可愛がっていた。娘を愛するのがまるで自己愛の延長線上にあるように。世間一般の人々を「凡人」と言って切り捨て、自分と同じような価値観を娘に植えつけようとする。アーティスト気取りのように見えるかもしれないがしかし、何かを成し遂げようとする時に、それを理解しない世間に対して、断固とした姿勢を崩さない彼女は、それはそれで芸術家らしいのかもしれない。というか、そうした強い意志がないとあのような写真は撮れなかったのだろう。さらに、彼女自身の過去の話がとても痛ましい。
この作品は、ここで見られるみずみずしい姿の少女、ヴィオレッタ=エヴァ・イオネスコが、自身の半生を描いた作品だった。彼女は母親に対する怒りをまだ消し去っていない。それどころか、母親に対して猛烈に怒りを抱いており、その憎しみがラストに来て表面化する。怒りと憎しみは映画の魅力を、一瞬で凝固させてしまうのだった。原題の「My Little Princess」は虚しい。実はこの映画の冒頭で母親が娘にかける第一声がこの言葉であり、モデルであることをヴィオレッタが拒否するその瞬間、シド・ヴィシャスが彼女にかける声もまた同じこの言葉だった。
見終わった瞬間こそ完成度の高い映画と思わなかったものの、後から後から反芻するものがあった。性への目覚めと葛藤を自覚したことで初めて彼女自身が気づく、その意味性の禍々しさ。当の本人が監督であることで、その彼女の怒りが作品中で露わになるのだが、おかげでそれまでの作品のムードがぶち壊しになる。観客としては、作品の完成度を保つために客観性を維持して欲しいと願ったラスト間際。当事者による作品への正しき距離感について考えざるを得なかった。当事者が監督として自分の半生を描きながら、そうすることで自分が一番憎んでいた幼児の性を売る行為、これをなぞらえている矛盾。それについては目をつぶるのか?しかし依然として、この作品の一番の魅力はそこにある。と言ってしまうと、子供の性を利用した母親その人の肩を持つことになる。母親失格の烙印を押されようとも、芸術家として自分の名を成すために娘を利用した母親を。芸術の基準点と臨界点は何処にあるべきか、答えがなかなか出ず、そこが面白い。
’11年、フランス
原題:My Little Princess
監督:エヴァ・イオネスコ
製作:フランソワ・マルキス
脚本:エヴァ・イオネスコ、マルク・ショロデンコ、フィリップ・ル・ゲイ
撮影:ジャンヌ・ラポワリー
音楽:ベルトラン・ブルガラ
キャスト:イザベル・ユペール、アナマリア・バルトロメイ、ドニ・ラヴァン
2014/05/30 | :ドキュメンタリー・実在人物 フランス映画
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コメント(2件)
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とらねこさん、こんにちは。
この作品、日本公開までかなり難航したみたいですね。
児童の性を題材にした映画は露出だけではなくデリケートな雰囲気が描かれるけど、
露出はぼかし入れればなんとかなる場合もあるので、
案外デリケートな雰囲気がネックになるのかもしれないですね。
エヴァ・イオネスコが自身の少女時代をベースに描いているから、客観的に描くのは無理だとは思うので、
映画の完成度という次元よりも情念的なモノが出てしまっていて、
それでも構わず撮っている感じでしたね。
だから、手放しに良かったとか共感出来たとは言えないけど、
答えを明示しないからこその妙味がありましたね。
BCさんへ
こんにちは〜♪コメントありがとうございました。
こちら、それほど直接的な表現ではなかったし、そこまでピリピリするほどでも無いと思うんですが、映倫の審査がかなり厳しかったようです。日本では児童ポルノ法もありますし、時節柄何かと厳しかったようです。
エヴァ自らの手による作品というところがポイントでしたよね。
それでも前半は、その映像的な美しさが魅力に感じてしまう。しかし、それを裏切る終盤の展開。
これ後からいろんな考えが浮かんでくる作品で、一概に出来がいい悪いで答えの出ない作品なんですよね。
仰るとおり、不思議な妙味がありました。