『収容病棟』@恵比寿映像祭 ワン・ビン(王兵)監督トークショー付きプレミアム上映
これまで避けていたワン・ビンを、恵比寿映像祭にてどっぷり堪能。
いやはや何とも…「約4時間の精神病院内を映したドキュメンタリー」、そう聞いただけでもその重さに食傷気味でゲップ。しかし、なんだか究極の物が見れそうで、逆に食指が動いてしまうというのもまた、人間の性。映画好きの性。…監督が唯一撮った劇映画『無言歌』(これがまた壮絶だった!)を復習した上で、やって来ました!監督トークショー付きプレミア上映。
中国の南西部に位置する、雲南省にある精神病院。ここに3ヶ月密着。こうしたテイストのドキュメンタリー作家として、フレデリック・ワイズマンを思い出す人が居るのも頷ける。日本で言うなら、想田和弘監督より私は、刀川和也監督の『隣る人』を連想した。ナレーションにおける説明台詞は一切無いままに始まり、長回しが多く、観察映画的に目の前の風景を捉えてゆく。
今回の上映では2時間で休憩が入ったけれど、4時間たっぷりこの世界に居たためか、出る時にはフラッフラ。まるで自分自身、ここに住んでしまったかのよう。3階建てで、真ん中の空いた四角い建物、外には柵が設けられている。人々が決して出られないように。全く牢屋そのものなのだ。タイトルが“精神病院”ではなく、“収容病棟”であることにも納得がいく。ここに連れられた人々は、政府や病院の処置で精神異常とされるか、アルコール依存症であったり、認知症であったり、家族に厄介者、と判断され、家から追い払われた人も居る。政府の「一人っ子政策」に反対しただけ、という人も。「ここにいると、いつしか本物の精神病になってしまう」という人も居た。この言葉に納得するのに、きっとランニングタイム1時間とかからないだろう。来る日も来る日も何もせず、ただ一日の大半を眠って過ごすばかりの人々。この先、ネタバレで語ります***************
食に対して変質的なまでに執着して描くシーンは今回も強烈だ。食卓も椅子もなく、列に並んで配膳されたら、お椀とお箸だけ持ってその辺で適当に食べる。全然美味しそうには見えない。豚の餌みたい。栄養の献立を考えられているようには見えない、クソ不味そうな適当どんぶり。たまに家族が会いに来てくれる人は、「野菜や果物等が欲しい、ここはもらえないから」と言う人も居る。でもそれより、彼らが欲しがったのは煙草だったようだけれど(トークショーより)。
洗濯も自分でしなければいけない。ほとんどの人は着の身・着のまま。風呂に入るシーンは無く、水道で水をかけるだけ。いかにも寒そうだが、水浴びをする人はそれでもマシのようで、中には汚れて穴の空いた衣服のまま、顔も洗わないまま薄汚れた姿。運動がしたい人はグルグルとコンクリの廊下の上を走り回るだけ。…
排泄シーンも数多く撮られている。自分の洗面器(洗面器は一人に一つ配られるらしい。)の中で用を足す人も居れば、廊下のコンクリで放尿する者も。中には大ですらその辺でする人も。想像するに、ここの建物は相当臭かっただろうと思う。人間の基本的欲求を執拗に映すためか、放尿シーンも数多く収めている。食事のシーンと同様に、容赦なく、何度も。ところであの放尿シーンは、公開される時どうなるんだろう?下半身も何度も映っていたし、まさにその瞬間の亀頭と、そこからほとばしるオシッコを捉えた放尿シーンもありましたからね。ああした映像はまず、映画館では見れない。これまで見たこと無い。モザイクはかかるのだろうか?
私が一番恐ろしかったのは、ここに居る人達が、見るからに精神病を抱えてそうに見えない者が多く居るということ。『カッコーの巣の上で』のような作品とはまるで違う。淡々と映し出される映像の中で感じたのは、居場所の無い者達が、死までの残された命を全うするため、処分でもされるかのように集められて来たこと。中には、家族の許可が降りれば帰れる者も居る。だがそうした者の大半は見捨てられ、「治療」と称して厄介払いをされてしまった者達。中国は人口が多すぎて、まるで“命が余っている”とでも言わんばかりに思えた。こう考える思考自体が私には恐ろしい。働かず、生産的行動もせず、何もしない者は、社会にとって廃棄物であると。
映画を見ていて分からなかったのが、彼らの性生活。自慰行為をする者や性的行為に及ぶ者は一切描かれていなかった。そうしたものは厳重に禁止されていたのだろうか?彼らは人恋しくなって、他人のベッドに潜り込む者も居た。ただただ人肌が恋しかっただけなのかもしれない。男同士、気持ち悪いからやめろと言いながらも、添い寝するシーンはあった。ただラストシーンは、仄かに愛情的行為を指し示すものであったと思う。よく見れば下半身に手がそっと置かれた状態のまま、淡い相手への同情心を示す台詞が語られる。(で、映画は何とここで終わる)。淡い夕日の光。
王兵(ワン・ビン)監督はトークショーで、「映画は人の生活を垣間見ることが出来る行為である」と強調していた。病院内での撮影許可はなかなか下りず一旦諦め、やっとの思いで許可が下りたらしい。なるべく前もって計画せず、何が撮れるか分からない状態で臨む方が好みのものが撮れる、とのこと。そういうスタイルが好きなようだ。それぞれの患者については、「一人一人の中に物語や悲劇があり、カメラを向けている内に次第にそれらが個性となって、顔を見せ始めるのが面白い。」と語る言葉が印象的だった。
なお、監督はスペインの映画監督ハイメ・ロサレス氏(『ソリチュード:孤独のかけら)』と文通をしているのだとか。
’13年、香港・フランス・日本
原題:瘋愛
監督:ワン・ビン
編集:アダム・カービー、ワン・ビン
2014/02/23 | :ドキュメンタリー・実在人物 中国映画
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