トルストイ 『アンナ・カレーニナ』
大学生の頃から何故かロシアの小説が好きで、それらは自分の心にどこかしっくり馴染むものを感じていた。よく周りに「私はきっとロシア人の生まれ変わりなの。」なんて言ったりして、ウォッカを特に好んで呑み始めるようになったりして。
この作品、昔読んだ時はそれほど良さが分からなかったんですよね。俗物的だなんて思って。誰と誰が不倫して、それを誰が宥めたとか、すると今度は誰々が不倫を始める…。半径50M範囲の世界について語るので「どーでもいいよ!」なんて。生意気な学生だったんです。
大人になって、仲良かった友人同士何人かで久しぶりに会った時、その時の会話で「誰々ちゃん、そんなに悪いことが続くなんて、なんかツイてないみたいね。お祓いでもして来たら?」「いや、この間して来たのよー。」なんて話してるんですよ。私はそれを聞いて仰天してしまいました。あなた、仏教徒でしたっけ?神や仏を信じてもいないのに、何故お祓いに行くの?霊的存在は信じていて、神道がその悪霊に立ち向かうとでも思っているの?なんて訊く私は馬鹿みたい。「んー、そういうんじゃないけど、でもなんか気持ち悪いじゃん。」みたいな答えが返ってきた。私の友人達は、私の知らないいつの間にオバサンになってしまったんだろう。ふと気づけば、私の母みたいに皆誰ソレの噂話ばかりしてる。
この小説『アンナ・カレーニナ』も、そんな風にとても庶民的な物語だったりします。人間を真っ直ぐに描ききった物語。人物たちの会話も心の中の描写も、あまりにも人間的で、よくこんなに人間に寄り添って描けるなあと感心してしまう。先ほど私が言ったように、“俗っぽい話”などでは全くなかった。人間の奥底にある感情や思いや思念の揺らぎ、そうしたものはただ“俗っぽい”と切って捨てれるようなものではないんですよね。
アンナ・カレーニナというタイトルだけれど、主人公は彼女一人ではなく、むしろ群像劇タッチだったりします。大都会の華やかな社交界と対極にあるものとして、田舎の農村も描かれている。誰の目線で語られるかといった点においても複数名の視点で描かれていたりする。まず冒頭にオブロンスキーの不貞とその妻ドリーが描かれ、結婚生活の破綻がまず描かれたかと思えば、次に社交界の花型であったアンナ・カレーニナとその浮気相手のヴロンスキーの物語が描かれる。また、その対極にあるものとして、田舎に住む地主の純情派、リョーヴィンとの恋を成就させるキチイの物語が配置されている。
映画化されたものは未見なので分からないけれど、ラストはアンナの死ではなく、リョーヴィンが信仰に目覚めるところで終わっているんですよね。何故人が絶望に陥るか。人間の一番尊いものとされた“真実の愛”が、何故、社会の中で育たず、いやむしろ人の内部から朽ち果てていくのか。答えは、人が自らの都合で勝手に“愛”を考えるから。こう結論づけているように思えるのです。それがただ自分のためだけでない、神への思いというものに昇華されて初めて、崇高なものへとなり得るし、本当の幸福というものが訪れる。不器用ながらも、リョーヴィンが得た信仰への目覚めは、これまで一度も祈ったことのない人が、自然と神に祈るという気持ちになってようやく得られるもの。書物や学問を“知の傲慢さ”、”知の愚かさ”と呼び、人間の本能から来る霊感や善なるものこそ自らの幸福へと導くものと結論づけているのです。
勝手な話ですが私にとっては、大好きな漫画『日出処の天子』を思い出しました。ラストに王子が悟るのが、「仏は人を救わない。人が人を救うのは、自ら救われようと思う気持ちからだ。」と悟る。そして、何も自らは何も出来ないと悟った後に、隋に初めて送る文を書くのでした。信仰の本質を語っているものとして自分が納得が行くのは、こんな風に、人の気づきというものの豊かさ、真実の力強さに裏打ちされているような気がしている。
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