心の傷に効く、大きな優しい木 『パパの木』
言葉にならないほど映像が美しいの。 ここで描かれている一本の大きな樹の美しさはため息が出るほど。
風に梢のそよぐ音、虫の声、やわらかな光。何の飾り気も無い、そこにあるがままの自然だけで素晴らしい音響・映像効果。
心が折れてしまった時、思わず立ち止まってしまった時。そんな時を想像してみれば、この物語の優しさが分かる。
胸全体で抱きしめるかのように、大きなものに包み込まれたような。
何よりも、木自体が目を奪うような雄大さで、いつまでもいつまでも見ていたい。そんな気持ちになった。
あんな家に住めたら理想だなあ。
物語性の無い映像詩タイプの作品ではなく、むしろストーリーはしっかりと語られていく。
それは、家族の喪失と再生の物語だった。
父の不在を哀しむ家族、特に悲しみに打ちひしがれる母親、少しづつ立ち直っていこうとする彼ら自身の姿を、丁寧に彼らの気持ちを汲み取って描いていく。
「哀しんでばかり居るより、幸せであることを選んだの。だから自分は幸せなの。」と語る少女の台詞には、思わずハッとしてしまう。
母親をミニチュア版にしたかのような、しっかりした気の強い、でもとても可愛い少女。彼女がとても印象的だ。
父親の居なくなった悲しみに浸るのとはちょっと違う。父親が木の精霊になったということを本気で信じ、そこに居ない声を聞き、話をし始める。汚れた大人の私達には聞こえなくても、彼女には本当に聞こえているかもしれない。
大きな木のうろに抱かれるように、木の腕の真ん中で佇む少女の姿が、あまりにも美しくて、自然の優しさが嬉しくて、涙が溢れた。
おそらく彼女には、こうした時間がとても大切なんだ。そう悟った。心が無くなるまで泣き暮らすよりも、きっとこんな風に、優しく木々に抱かれる。そんな“時間”が必要なんだ。
初めはまるで子供の信じる他愛もないお伽話だったのに、いつしか木には本当に父親の精神が宿っているかのように思えてくる。母親の情事に木が暴れたり、家そのものを破壊するようになったり。そこに留まっていた無数の鳥達も、まるで「旅立ちの時が来た」ことを知ったかのように、一斉に飛び立っていく。
観客の私たちは無論、心の底から信じている訳ではないけれども、どこかで信じるような気持ちになってくる。立ち止まるより前に進むことを、まるで木自身がそう願っているかのように思えてきた。不思議なことに。
’10年、フランス
監督・脚本:ジュリー・ベルトゥチェリ
原作:ジュディ・パスコー
撮影:ナイジェル・ブラック
音楽:グレゴワール・エッツェル
キャスト:シャルロット・ゲンズブール(ドーン)、マートン・ソーカス(ジョージ)、モルガナ・デイビス(シモーン)、クリスチャン・バイヤーズ、トム・ラッセル他
2013/06/04 | :ヒューマンドラマ
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コメント(3件)
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この映画ね、一番最初に思ったのは「なんかオーストラリアすげー」って事(笑
木はでっかいし、カエルはトイレにいるし、コウモリ飛び込んでくるし、屋根無くても平気で暮らしてるし。
監督がフランス人だから良い意味で、オーストラリアって世界をリアリズムだけでは描いてないんですよね。
その辺りの視点がアニミズム的世界観にうまく繋がってたと思います。
ノラネコさんへ
こちらにもありがとうございます〜♪
ですね!本当、オーストラリアすげー!賛同します。
私の場合は、この作品見て第一に思ったのは、「木の家」の撮影場所を発見した見事さでした。
原作が先にあったのが嘘みたい!って。
蛙がトイレに居たのも、コウモリにも驚きましたよねー!あれ下手するとホラー的。
なるほど、フランス人監督による、オーストラリア的アミニズムへの寄り添い。うんうん!納得納得。
おっしゃる通り、この辺フランス人らしい柔軟で見事な発想かもしれませんね。
文句があるとすればあれですね、衣装です。オーストラリアの人はもっとダッサい、ボロいTシャツ着てるはずなんだけどナ。