39★少年は残酷な弓を射る
’11年、イギリス
原題:We Need to Talk about Kevin
監督: リン・ラムジー
製作: リュック・ローグ、ジェニファー・フォックス他
製作総指揮: スティーブン・ソダーバーグ、クリスティーン・ランガン他
原作: ライオネル・シュライバー
脚本:リン・ラムジー、ローリー・スチュワート・キニア
キャスト:ティルダ・スウィントン、ジョン・C・ライリー、エズラ・ミラー
とても恐ろしくて、とても不快。
目をガッと見開いて全てを逃さないようにしようと、見ている間中、緊張感たっぷりに臨んでしまった。どこから来るのか、心の底からゾッとするような怖さがずっと持続する。恐ろしいほど力のある画面作り。
じゃあ、このストーリーが好きかと言えば、そんな訳はないんですよね。あまりにも怖くて、生きた心地もないほど。「うわあ、これホラーだよ、いや、ホラー以上に怖いよ」。こんな風につぶやきながら見てしまった。心の底からシンと冷えるような恐ろしさがずっと支配している。安定出来ないものの上に世界が構築されているような、グラグラ来るような不安定さ。前作の『モーヴァン』も当時見た時は、ジワジワ来る何とも言えない思いに心がいっぱいになった。こちらの作品はずっと巧妙になり、手際が鮮やかになっている気がする。
「結局何が原因だったんだろう?」終わった後に、こんな疑問が誰しも湧いてくると思う。「エヴァは、母親としては精一杯やっていたじゃないか。」「生まれた時から悪魔みたいな子って居るんだなあ」。112分、ずっと見続けていたのに、どこか謎が謎のまま残されているような。何かがスッポリ抜け落ちているような、不思議な非達成感。表現されていることの裏に、何かが隠れているような気がしてならない。
自分が母親で、もし自分の子供が母親である自分になつかなかったら?あるいは自分自身も、子供にそれほど愛情を抱けなかったとしたら?そして、子供について、自分を投影する存在として、良い意識を持つよりむしろ悪感情しか抱けなかったら?(例えば、自分で気付きたくない自分の悪いところを子供の性質に見つけてしまう、など)。こうした思いって、おそらく母親という存在にとってみれば、あまり口には出さない怖いことなんじゃないかなと。誰しもが「母親」という存在になった時に、きっと一度は抱きそうな、子供と対峙することへの恐れ。口に出してはあまり普通の人々は言わないようなこと。この話の底知れない怖さは、むしろその辺りにあるような気がしている。
「子供の育て方を、いつ頃から間違ってしまったのか」、「ケヴィンがこうなってしまったことに、何か原因はあるのか」そうしたことは、この作品中ではあまり問題とされていない。この作品は、社会に向けて何か表現を表明したりする、社会派のそれではない。さらに、映像で描かれた文学的表現が、より大きな表現力へと向かっていくこともない。
しかし、もし「観る者の感情を揺さぶる何かが映像の中にあること」。これを一番評価するポイントとするなら、この作品は何か未完成の良さを持つ不思議な作品であるように思えた。
ところで、以下、少し気になったこと。
以
下
、
ネ
タ
バ
レ
*********************************************************************************
下の娘が失明をしてしまったことを、エヴァはすっかりケヴィンのせいにしている。しかし事の真相は描かれず、「もしかしたら」という疑問を抱かせたまま、物語は終わってしまう。
私が気になったのは、以下の事。母親が台所の溶剤を、戸棚の奥から自分で取り出したこと、こちらをすっかり忘れて全てケヴィンのせいにしていることだ。もちろん、それ以上描かれていないので、分からないけれど。母親の意識全てを信用するのもどうなのだろう?ということ。
さらに、この物語が誰の視点で描かれているものなのか?もしかして、母親から見た視点しか描かれていないのではないか?ということなのです。このことを、物語の中できちんと説明づけたりしていないため、表現が今ひとつ良く分からないものになっている。
完成度が高い作品ではなく、疑問点がたくさん残る作品ではあるのです。しかし、だからこそ気になってしまう。誰かと語る必要がある。そんな面倒臭い作品ではありました。
※ストーリー・・・
自分のキャリアをあきらめて夫の望みを叶えるために息子ケヴィンを出産したエヴァ。しかし生まれた時からケヴィンとの仲は上手くいかず彼は母にだけ反抗する。心が通わないままにケヴィンは恐るべき少年に成長。そしてある日、彼は“ある事件“を起こし・・・
2012/08/05 | :ヒューマンドラマ エズラ・ミラー, ジョン・C・ライリー, ティルダ・スウィントン
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コメント(3件)
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確かに、失明の件、「・・・じゃないか?」的なまとめ方でしたね。
あるいはケビンがわざと垂らしたのかもしれないとか、観客にいろいろと想像させてしまったりとか。話全体がそうなのかもしれないけど、全部語らないことによって、個人で完結して下さい的な意図が監督にはあるような気がしました。
rose_chocolatさんへ
おはようございます〜♪コメントありがとうございました。
そうですね、いろいろなことを描いて、それらに答えを与えていないんですよね。妹の目の件に関しても、ケヴィンがやったとは必ずしも描いていない。分からないままなんですよね。