18★おとなのけんか
’10年、フランス、ドイツ、ポーランド
原題:Carnage
監督: ロマン・ポランスキー
脚本: ヤスミナ・レザ、ロマン・ポランスキー
原作: ヤスミナ・レザ
製作: サイード・ベン・サイード
撮影: パベル・エデルマン
音楽: アレクサンドル・デプラ
キャスト: ジョディ・フォスター、ケイト・ウィンスレット、クリストフ・ヴァルツ、ジョン・C・ライリー
「おとなのけんか」。ひらがなで書いたって全然可愛くない(笑)。そして、子供の喧嘩よりよっぽどタチが悪いよねっていう。しかもこれ、原因はお互いの子供の喧嘩だったんですね。だからこそ余計、タチが悪っっっっ!自分のことで喧嘩するならいざ知らず、子供のこととなると、普段の自分では居られなくなってしまう。そんな大人は結構居そうです。
「おとなのけんか」だからこそ面白い部分もある。たとえば日本で最近行われた「大人の喧嘩」と言えば、町山×上杉隆の決戦とかありましたね。長いニコ生だけどなんだかんだ見てしまったりして。(無駄に尺が長すぎてキレそうになった!)
冒頭では子供の喧嘩のシーンが描かれるんですね。まるで『プレイ』(TIFF)で見たような1シーン。大人には大人のルールがあるが、子供たちには子供のルールがある。子供たちの世界はある種、大人の世界からは隔絶された別の世界に生きている。『プレイ』はぞっとするようなその怖さが描かれていた作品でした。子供の喧嘩の世界は、大人が踏み入れてはいけない領域もあるんですね。子供たちが自分たちのルールの中で解決することが出来れば、本来はその方がいい。だけど、中には子供たちが行き過ぎてしまうこともあって、どこまで子供たちが踏み外してしまうのか、大人はどこで手を差し伸べるべきなのか、その判断が非常に難しい。子供の世界は本当に怖いんですよね。子供たちが悪ふざけと称して行う単なる子どもらしい戯れの中に、ゾッとするような悪意も潜んでいて。『プレイ』は、言わば離島無しに漂着した、都市版『蝿の王』。秀逸でした。
この設定の面白さは、そうした子供の喧嘩を元にしているからこそ、余計上手いなと思うんですよね。子供の喧嘩の加害者側と、被害者側。初めはよくある子供の喧嘩だったのに、それが発展してしまったのは、加害者側の子供が武器を取り出して、いじめっこ側の子供にこっぴどく仕返しをしてしまったから。被害者側の子供の傷は深く、乳歯でない前歯2本が欠けるという大惨事に…。ここで、大人はどんな対応を取るのが正しいのか?答えが本当に難しいからです。これって、自分がいつそうした立場に追い込まれるか分からないんですよね。もしあなたが、子供を持つ親ならどういう行動を取るか?そんな風に、自分のこととして考えてみると、恐ろしいほど難しい立場だなあと。何をどう判断するべきなのか、何が正しいのか。そもそも、その「正しさ」は、自分の「気持ち」も充分に納得ゆくのか?そう、ここが一番難しいところなのです。人間ってやつあ。
正直、この冒頭のほんの数分で、私は「こりゃ絶対無理だわ!」と匙を投げました。そんな状況で親たちが話し合いをして、上手くなんて行く訳ないじゃないか…。前歯だしね。と、こう思ってしまった冒頭。こういう背景が上手いのは、さすが演劇。
たった80分足らずの作品なのに、人生のエッセンスが凝縮されている。これは会話劇ならではの濃さですよね。
知的で倫理的に正しいことをしようと努める妻1。寛大で気前がよく、時に鈍感そうに見えるが、その温かさで人好きの感じのする夫1。一見すると傲慢な、仕事人間でどこにでも仕事を持ち込む、優秀な夫2。この傲慢な夫によく耐えているなと思う、平凡なタイプの従順な妻2。これらは物語が始まってすぐの、彼ら2組の夫婦の第一印象です。イメージによるところも多分にある。でも、軽い人付き合いをする上では、こうしたイメージで世間の波を渡っていくには充分ですよね。
しかしいつの間にか、こうした4人のイメージが全て覆されることになります。彼ら本来の持つ嫌な部分が見えるようになる。むしろ、各個人がそれぞれ持っている人間の嫌な部分。どうしても受け入れがたい人間の愚直さ。こうであろうとする自分と、本来の自分とのギャップに苦しむ人物。その理想の高さやスノッブさが逆に、回りの人間に嫌な思いをさせていることも。もしかすると、初見でどうしても受け入れがたい人物のようにしか思えない、「傲慢な夫2」が、一番この会合の無駄さを分かっていて、だからこそ早くやり過ごそうとしていたのかもしれない。この会合をそもそも持とうとした、倫理性が一番高いと思われた「妻1」、つまりジョディ・フォスターの役柄。彼女は理想ばかり高く、寛大でありたいがために(世間にのみならず自分自身に対しても)、出来もしないこの会合をセッティングしようとしたんじゃないか…。私などは、そう思えてきましたね。
ブラックジョークのキツいコメディなので、好き嫌いはあるかも。それぞれの人物の欠点が垣間見えて、嫌な気持ちになったり、あーあるある、と思わず苦笑したり。元々が演劇というだけあって、人間の本質にグッと迫り、たった80分で彼らの人生が見えてしまう気持ちになる。彼らのこれまでの考え方も、これからおそらくやり過ごしていくであろう彼らの人生も。逆に人間にウンザリして、家庭を持つことを放棄したくなるほどに、諷刺の効いた作品でした。
ただ元が演劇であるせいか、少し演技が過剰に思えてしまうんですよね。テンションの高い演技の過剰さ、掛けることの4人で、たったの80分にも関わらず、冗長に思える瞬間も。 諷刺の効き過ぎか(笑)?、なんだかんだ皆嫌な人物だなあと、ゲッソリする瞬間も。まあそう思う人は、ことによると自分を省みることを忘れているという場合もありそうですけどね。自嘲気味ではありますが(苦笑)。
私の感想は、正直言えばこんな感じです。「ああ〜やっぱ人間て面倒くさいわ!」夫婦が順調に上手くいくよう努めることも面倒なら、子供を持ったら持ったで問題山積み。しかも自分がどれに当てはまるかと言えば、もしかしたらクリストフ・ヴァルツの役柄かもしれない。一番嫌な奴にしか見えないのは、常に人間の嫌な部分に自分が距離を置きたいと思っていて、それに自覚的であるから。さらに、理想が高くアート嗜好で、知的であることを目指し、だが本来の自分はその理想にはとても満たない。物語終盤では、一番ウンザリさせられる、ジュディ・フォスターの役柄に似ている部分もあるかもしれない。そう思うと、さらにガッカリなのでした。
※ストーリー・・・
ニューヨークのブルックリンである日、11歳の子ども同士のけんかが勃発し、それぞれの親が話し合いをもつことに。会話は最初、平和的に進められたが、次第に白熱していき本性むき出しに。本音を言い合ううちに、夫婦間の問題までもが露わになっていき・・・
2012/03/24 | :ヒューマンドラマ クリストフ・ヴァルツ, ケイト・ウィンスレット, ジョディ・フォスター, ジョン・C・ライリー, ロマン・ポランスキー
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コメント(4件)
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面白かったですねーこれ。すごい考えに考え抜いても人間のイレギュラーには勝てない、みたいな。 あんだけしゃべったらけんかそのものに疲れるよ。
子どもたちなんて次の日はけんかしたことすらどっちでもよくなってるんでしょうね(笑)
cucuroseさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
これ、結構roseさんお気に入りだったんですね。
大人同士の喧嘩だらこそ、面白い部分もありましたね。
子供も、ただの殴り合いだけならまだいいんですけど、傷が残ったりするとなるとね・・・。大人も何かしらそこへ介入したくなる。それは分かります。
これボクも見たよ。爆笑したけど、やっぱり舞台劇っぽい筋の運び方に、じゃっかんの違和感は残りますよね、みんながお酒を飲みだすとことか、いかにもって感じで。
出てたのは4人だけだけど、ケータイ電話も5人目の登場人物としてカウントしていいんじゃないかな。ラストシーンでぜんぶもっていってしまったことだし。あれはちっぽけな奇跡でしたよね。
裏山さんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
あーそうそう、確かに少し物語運びにわざとらしさは感じちゃいますよね。きっと、舞台劇を見ている時には気にならないんじゃないかとは思いますが…。
携帯は大活躍してましたねー。でもあんな携帯男ってば最悪〜。守秘義務違反にはならないのかなあ、ああいうのって。どーだっていいけど。。