13★断絶
’71年、アメリカ
原題:Two-Lane Blacktop
監督: モンテ・ヘルマン
脚本: ウィル・コリー、ルドルフ・ワーリッツァー
製作: マイケル・S・ローリン
撮影: ジャック・ディアソン
音楽: ビリー・ジェームズ
キャスト: ジェームズ・テイラー、デニス・ウィルソン、ローリー・バード、ウォーレン・オーツ、ハリー・ディーン・スタントン
「『イージー・ライダー』が勝ち得た自由は、『断絶』によって失われた。」
こういう言葉にシビれちゃいますよね。どこまでもクールに冷めた、アメリカン・ロードムービー。
主人公はザ・ドライバー。その助手席にはザ・メカニック。途中に乗ってくるどこの馬の者とも分からない女性はザ・ガール。彼らに名前がないなら、彼らが見るべき明日も、ゴールもレースもその場限りのものだ。途中始めたレースもおじゃんにすらなる。でも、彼らが徹底的にカッコいいのは、何よりも車が好きで好きでたまらないところ。人生哲学は一切ないどころか、劇中で「哲学」ぶることに対しては、否定すら見せる。
本来、ロードムービーというジャンルでは、主人公は旅を通して自分自身を発見する。自分を再発見するために、わざわざ遠くまで旅に出る。ところがこの物語は、そうしたありがちな全てを否定する。徹底的に好きなものに没頭し、むしろストイックに好きなもののために悩むことすら放棄する。まるで、生について悩むことが、格好だけの若者にすら思える程に。
GTOに乗った少しオヤジのクルマ好き(ウォーレン・オーツ)は、何故か車の性能だけでは到底、55年型シェビーには適わない。戦う間に、不思議な友情すら生まれ、途中ドライバーを交代すらしたりする。彼らにとってはレースにおいて戦うことが一番の意義ですらなく、「車への愛情」が最も重要なのではと思わせる。男同士の不思議な友情に、思わず心が和みもする。これまでの長いレースをどこかに追いやって。もちろん、その後のザ・ガールの仕打ちに思わず舌打ちしたくなる。これまた、男の世界では、女はただ単に気まぐれで意味の分からない生き物。そんなとこなんでしょ。
GTOは、55年型シェビーで戦い続ける青年たちの心そのものに、自分もいつしか同化してしまう。このラストが微笑ましい。彼は知らない若者に、「この車は55年型シェビーでGTOに勝ち、その記念にもらったものだ」などと吹聴すらする。よく言うよ、と思わず吹き出してしまう。相変わらず図々しいオヤジだ。だけど、戦わずして彼らの勝ちを認めているとも取れる。戦いじゃない。それは生き方なんだ。彼らの生き方のエッセンスを掬いとって、オヤジはまた余計に車好きになったんだろう。
私は映画好きとして、思わず他のシネフィルのことを思い描きながら見てしまった。彼らの中には、浴びるように映画に時間を費やす人も居る。私はいつだったか、彼らの一人に聞いたことがあった。「他人の人生を覗くことにばかり自分の時間を費やして、自分のプライベートの時間を放り投げる。この時間の使い方には、矛盾があると思わない?他人の人生をいい加減見て勉強したらその後、そろそろ自分の人生を生きるべきだ、という気分になったりすることはない?」
その時の彼女の答えは、安全圏の殻の中でのうのうと暮らす、鈍重さを感じさせるものでは決してなかった。自分と同じように、痛みを感じる繊細さを感じた。今この映画を見ながら、私は間違っていたかもしれない、などと思う。個人の小さな悩みなんてものに時間を費やすのは、勿体無いことかもしれない。少なくとも、哲学を捨てることの清々しさから、今を信じるポジティブさを私は感じた。この映画はやはり、冷めてなんかいない。
※ストーリー・・・
深夜のストリートレースで賭けた金を手に、レース用にチューニングした55年型シェビーを南東方面に向けて飛ばすザ・ドライバーとザ・メカニック。停まるのは食事、燃料補給、そして車の整備の時だけだ。途中のダイナーで拾ったザ・ガールを後部座席に乗せ、無言のまま車を走らせる。そしてあるガソリンスタンドでポンティアックGTOに遭遇、2台の車はお互いのピンクスリップを賭けた長距離レースでワシントンDCを目指すことになる…
2012/03/08 | :青春・ロードムービー モンテ・ヘルマン
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コメント(3件)
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これ途中で『ミー・アンド・ボビー・マギー』のオリジナルが流れるでしょ。
ボクは映画ってのも人生の一部、世界のもっとも大事な部分だとすら思うので、他人の人生に自分の時間を費やしているとは、あんまり思わないんですけど、たまに思ったりもするんですけど、この映画はたしかラストで画面が発火して穴が空くんじゃなかった? そうしてスクリーンに映し出されていた虚構が、その虚構性を焼き尽くし現実世界と地続きになる様を見せてくれる、稀有な映画じゃなかったかな。彼女の答えはなんだったんですかね。
じゃ、さいごはボクの素敵なダジャレ(こないだすべった)でお別れです。モンてへ・ぺろ(・ω<)マン。。。
裏山さんへ
おはようございます~♪コメントありがとうございました。
>これ途中で『ミー・アンド・ボビー・マギー』のオリジナルが流れるでしょ
そうなのそうなの!うん、あれねすっごく好きな曲だから、グッと来た。私ねジャニスのバージョンでコピーしたこともあるから、暗誦してるの。今すぐでも歌えるよ。今度カラオケで歌おうかなー。
映画と人生についての考察。これについての意見ありがとう。映画見てる時は幸せなんだけどさ、それだけが人生だと、映画館の暗闇から外の明るさに出た時がチト辛いんですよ。その辛さを感じないで想像力の世界だけに没頭できるのはある種の鈍感さが必要になると思いませんか。
ラスト、そんな風に解釈したんだ。私はチト違って、虚構の世界がアッサリとなくなって現実が明るみに出るように感じたな。今あるものを享受するのに、虚構は必要ない、ていうドライさを感じたのよね。「今あるものしか見ない、だからこその強み」っていう解釈だったのでした。
なんだかいつも、君とそういうこと話すと余計自分の考え方が見えてくる。そういうのすごくイイな。ありがとう。