BIUTIFUL ビューティフル #50
’10年、スペイン、メキシコ
原題:BIUTIFUL
監督・原案:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
製作:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、フェルナンド・ボヴァイラ、ジョン・キリク
製作総指揮:デビッド・リンド
脚本:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ、アルマンド・ボー、ニコラス・ヒアコボーネ
撮影:ロドリゴ・プリエト
美術:ブリジット・ブロシェ
編集:スティーブン・ミリオン
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
キャスト:ハビエル・バルデム、マリセル・アルバレス、ハナ・ボウチャイブ、ギレルモ・エストレラ、エドゥアルド・フェルナンデス、ディアリャトゥ・ダフ、チェン・ツァイシェン、ルオ・チン、ルーベン・オカンディアノ
この作品が、黒澤明の『生きる』にインスパイアされて作った作品だったとは、見終わった後に知った。ズッシリと人生の重みを感じる作品。ハビエル・バルデムが俳優として素晴らしいのはいつものことだけれど、こんな風に作品の重厚さを思う存分表現出来るのは、やはり彼ならではだなあ、なんて実感する。『生きる』と同じようにハビエル・バルデム扮する主人公もまた、末期ガン患者だ。
そして、主人公が霊能者、というのは奇しくも今年のイーストウッドの『ヒアアフター』と同じ。こちらの主人公のウスバルもまた、劇中に霊能力を使い、死者と対話するシーンがある。
ウスバルは霊能者としてのみ生活しているのではなく、不法移民に仕事を紹介したり、警察と裏取引をしたりなど、汚れ仕事にも手を染めている。躁鬱病を患っている妻とは上手くいっておらず、二人の子供は彼が育てている。そんな彼が末期ガンを申告され、化学療法は行わずに最後の身辺整理をする。というストーリー。
子供たち、妻、それから仕事で関わった、自分の周りの人々。整理すべき問題が山積みだ。これまで彼が生きてきた人生そのものの問題は、死の間際だから綺麗に片付く訳ではない。彼の責任もあって死なせてしまう不法中国人労働者たち20数名。そのボスのハイとリウェイの末路。それから彼が何とか救おうとしたイヘも。
死に様そのものが生き様でもあると、深く沈思させられる。彼は醜い人間ではなく、むしろ精一杯良くしようと努力している。せめて自分の後悔しないように旅立ちたい、というそれだけの思い。「美しい」人生なんて程遠い。でも人の「人生そのもの」を「評価」するなんて、もちろん誰にでも、とても出来ないやしないもの。
冒頭の、林の中の雪景色のシークエンスが、後にもう一度出てくる。ここがとても印象的だ。霊能力を持つ彼ならではである、誰かとの対話なのか、と冒頭近くでは思うが、後に彼自身の旅立ちのシーンだったのだと分かる。つまりこの髭面の若者は、天使なのかな。海の音と風の音がするだけの場所。
不法移民を題材にした物語は、個人的に最近気になっている。9.11以降かもしれない。不法移民を扱っている作品というと、『そして、一粒のひかり』を初めとして、『扉をたたく人』、『君を想って海をゆく』、『マチェーテ』なんかもそうだけど^^;、『歓待』も。今後こうした物語が増えそうな予感がする。
※ストーリー・・・
バルセロナの裏社会で闇取引を生業にしているウスバルは、愛するふたりの子供と躁鬱で不安定な妻を支えて暮らしていた。ある日、ウスバルは自分が末期のがんであることを知る。死の恐怖に怯えながらも、ふたりの子供のために新しい決断を下すのだが・・・
2011/07/21 | :ヒューマンドラマ アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ, スペイン映画, ハビエル・バルデム
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コメント(2件)
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こんばんは!
ほんとずっしり重い作品でした。私は『生きる』を観ていないので、いつか観たいと思いました。
どう死んでいくかはどう生きるか、と同義なんだとすごくすごく感じてました。ウスバルが死を目前にして、とにかくダイレクトに残される者のために、と懸命になる姿に共感を覚えました。ゴールがどこかわからずに生きているのが普通の人間なんだけれど、でも必ずゴールはあるわけで・・・なんて。
私も林の中の雪景色の風景が二度目に出てきた時は「ああ!」と思いました。髭面の若者は、亡くなったウスバルの父親だと解釈していました。幼くして亡くなってしまった父親とともに境界線を越えて行く・・・という風に思えました。そこに一つの救い、あるいは大きな意味での赦しを感じてました。
rubiconeさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
なるほど、おっしゃる通り。どう死ぬかで、その人がどう生きたかを示している。私も見ている間、そんな風に思いながら見ていました。
本当、ゴールなんて、生きている間は考えもしないですものね。
死を目前にして初めて、自分がそれまで生きてきた生について、振り返ってみるのかもしれません。
なるほど、rubiconeさんは髭面の若者を彼の父親だと解釈されたのですね。おっしゃる通り、ウスバルにとって懐かしい、父親の面影・・。そう取ることも出来るかもしれませんね。
私は、この世とあの世の境目で会った人だったので、死神、もしくは死の世界との渡し人かな、なんて思いました。
人それぞれのいろんな解釈を聞くのは楽しいです。rubiconeさんのご意見、聞かせてくださり、ありがとうございます!