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マイ・バック・ページ #33

’11年、日本
監督:山下敦弘
プロデューサー:青木竹彦、根岸洋之、定井勇二
原作:川本三郎
脚本:向井康介
撮影:近藤龍人
音楽:ミト、きだしゅんすけ
美術:安宅紀史
編集:佐藤崇
VFXスーパーバイザー:小田一生
主題歌:真心ブラザーズ、奥田民生

 

妻夫木聡   : 沢田
松山ケンイチ : 梅山
忽那汐里   : 倉田眞子
石橋杏奈  : 安宅重子
韓英恵   : 浅井七恵
中村蒼   : 柴山洋
長塚圭史  : 唐谷義朗
古舘寛治  : 中平武弘
あがた森魚 : 飯島(東都ジャーナルデスク)
山内圭哉  : 前園勇

 

「山下敦弘はすごい人気だよね。一時期の岩井俊二みたい。最近の若い子(映画好きの)はみんな、彼の名を挙げるよ。」なんて話をこの間聞いた。なるほどー、そんなに山下敦弘って人気なのね。何となく分かる気はする。私はこのオフビート感を、ハッキリと説明しずらい感覚的なものとして感じている。これが山下作品を身近に思える理由なのかな。

この作品でも、学生運動や浅間山荘事件のすぐ後の時代を描いてるにもかかわらず、今の時代性を感じさせるテーマだった。美術やら小道具やら、画として映るものにはすごくコダワリが感じさせられ、いつもの如くリアリティがあるのに。

涙を流すことができない沢田。彼はどこか考え方が甘くて、新聞社員にしては未だ一人前に成りきれていない。「新聞社員」らしからぬ半人前の沢田だからこそ、学生である梅山と気が合った。初めは、優しげな妻夫木のルックスで、新聞社員は全く合わないだろうと思ったけれど、人が良い、情に流されやすい性格の沢田という役柄は合っていたのかもしれない、などと後半では思った。

この物語は、後半に差し掛かってようやく、彼らの偽者ぶりの輪郭が明らかになってくる。それでも途中までは、彼らが本物になれたかもしれない、少なくとも「可能性」があると思いながら見ていたのだ。事が起こるまでは「もしかしたら」という気持ちがどこかにあった。「本物にさせてくれよ」と言う梅山の台詞は、私は「Go ahead, make my day」というダーティ・ハリーの台詞を思い出してしまった。事が起こってしまって、取り返しがつかなくなって初めて、彼らの誰にも共感出来ないことにハッと気づく。彼らの中で唯一、少し共感を抱くことが出来た沢田ですら、後半の彼の甘い判断基準に、だんだんついて行けないと感じる。ただ、客席で映画を観ているだけの自分には。

作品中、映画館に行くシーンが何度も出てくる。『ファイブ・イージー・ピーセズ』、『十九歳の地図』『洲崎パラダイス 赤信号』(教えてくれた えい さんありがとう!)。私は(以前も言ったことがあるけれど)、ヘミングウェイの『殺し屋』を思い出した。本物の殺し屋が、「映画をよく見る」という人物に向かって、「映画でも見てな。」という台詞を言う。これには皮肉がこめられていて、リアルにスリル満点の毎日を過している殺し屋が、映画というフィクションの中でしかスリルを味わうことの出来ない人に向かって言う台詞だ。映画館で擬似的にしか「熱さ」を味わうことが出来ない。それはこの作品を観ている私たちの姿でもある。

何故この作品が、どこか私たちの心に近しいものに感じるかというと、自分たちと同じ”ニセモノ”が描かれているからなんだろう。何とかそこから這い出し、本物になろうと行動を起こす梅山他、登場人物たちの誰も「本物」は居ない。それは私たちの姿でもある。松山ケンイチ演じる梅山が「『真夜中のカーボーイ』は自分のことだ」と言うように、この作品の登場人物たちは、僕たち自 身の姿でもある。宮台真司ではないけれど、「もう、デカイ一発はやって来ない、終りなき日常を生きる」。そこからどうやって生きるかという問題に、この作品も向き合っていた。

この作品、観終わってみれば確かに彼らの薄っぺらさや愚かしさばかりが目につくのだけれども、沢田や梅山他の者たちが、ある熱気にヤラれた者たちの集合体であるのは確かで、 初めから冷め切って行動を起こる熱さを持ち得ない現代の若者には、 おそらくグッと心に入り込む作品ではないかと思った。だって僕らは、偽者になるのが怖くて、行動を起こす事ができないだけかもしれない。
個人的には、さらに「全共闘そのものが本物ですらあったかどうか疑わしい」、という描写があると、尚、良かったように思う。もちろん、この作品はそれを主題にした物語でないのだけれども。

正直、震災後の今という時期にこの作品を見ると、「新聞社員」という設定には、それ自体を懐疑的に見てしまうところがあった。新聞社や週刊誌だけでなく、メディア全体、特に記者クラブの実態というのが明かされてしまった今だから。左翼寄りの報道、義侠心に燃えるという設定ですら、何となく皮肉っぽく感じてしまう。しかし時代も違うし、見た時期が悪かった、というだけのことかもしれない。もちろん、「それはそれとして」見ることが出来たけれど。

 

※ストーリー・・・
’69年、激動の時代。理想に燃えながら新聞社で週刊誌記者として働く沢田は、日々活動家たちを追いかけていた。それから2年、取材を続ける中で、梅山と名乗る男から接触を受ける。沢田はその男に疑念を抱きながらも、不思議な親近感を覚え、惹かれていく・・・

 

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コメント(21件)

  1. こんにちは。
    文中でのご紹介ありがとうございます。

    「もう、デカイ一発はやって来ない、終りなき日常を生きる」。
    宮台真司のこの言葉、最近、他の方のところでも目にしたのですが、
    本来なら、今回の災害が
    日本を変えていくはずなのに、そうはならない。

    ノラネコさんの「ノラネコの呑んで観るシネマ」での、
    >社会変革の夢に破れた日本社会全体の、
    今に続く内向化、幼児化の原点として描こうとしている様に思える」
    というレビュー。

    はたまたクマネズミさんの「映画的・絵画的・音楽的」での、
    >「沢田が失敗した原因」は、彼の人を見る能力のなさにあるわけではなく、
    むしろ「他のジャーナリストが見ることができなかったものまでをも梅山の中に見出すことができたこと」にこそある。
    という大澤真幸氏の論評の引用等、
    刺戟的な文章を数多く目にしました。

    ところで、『真夜中のカーボーイ』を『真夜中のカウボーイ』にしているのは意図的?
    ちょっと気になっちゃいました。

  2. 先日はお疲れ様でした。
    鑑賞から半月も経ってますが(笑)、何か書いておきたくて。

    あの時代にもし学生してたら、熱気に巻き込まれないぞという
    信念が果たしてあったかどうか。
    普通の女子学生が世の中に流される様子見てるとそう思うんですよね。

  3. 今日はお疲れ様でした。
    私はこの映画、現代を映し出すために設定された過去という虚像だと思います。
    だから、時代に対するセンチメンタリズムが一切なく、終始批判的ですよね。
    思うにこの映画を観てどう反応するかによって、観客の内面がある程度客観視される仕掛けかと。
    過去を描きながら今を考える作品として、なかなかに興味深かったです。

  4. えいさんへ

    こんばんは。コメントありがとうございました。

    >本来なら、今回の災害が日本を変えていくはずなのに、そうはならない。

    この作品は今回の災害を念頭に置いてはいませんよね?
    今のところは大した変化はありませんね。でも、私は少しづつ変わっていくことを「期待」してますよ。実際、人々の意識が変わりつつあると思うのですが。それでも変わらない人も居るとは思います。でもいつの時代にもそういう人は居るかも。

    そうですね、クマネズミさんのコメントを引用していただいたように、沢田は梅山の中に人が見出さないものを見出そうとしていたのだという意見は共感します。
    沢田は梅山の中に、自分が見たかったものを見ていたのかもしれませんし、自分自身がやりたかったことでもあったのかもしれないと思ったりもします。

    真夜中のカーボーイの件、訂正ありがとうございました。

  5. rose_cholateさんへ

    こんばんは。コメントありがとうございました。
    こちらこそ、この間はありがとうございました!また機会があれば是非ご一緒しましょう♪よろしくお願いします。

    なるほどー。roseさんは、学生運動に加わっていたのは「流されて」のことだと考えられたのですね。
    私はむしろ逆で、そうした時代のアツさこそ羨ましかったりしました。「ジェネレーションX」なんて言われていたのですが、そうした時代の流れに逆らって学生運動や、アメリカのヒッピー文化や、ベトナムの反戦運動には大いに憧れたクチですw
    「世界が変われると信じていた時代」って羨ましくて。

  6. ノラネコさんへ

    こんばんは。コメントありがとうございました。

    >過去を考えながら現在を考える作品

    本当にそうですね。

    >時代に対するセンチメンタリズムが一切なく、終始批判的ですよね

    そうですね、センチメンタリズムは感じませんね。ただ、「本物」と「偽者」に関して、こういう台詞があるんですよね。「梅山はアイツ(捕まった全共闘の首謀者)じゃないから」。
    私は、この台詞のせいで、「本物」に関する定義が決まってしまうのではないかと危惧しています。

  7. >そうした時代のアツさこそ羨ましかったりしました

    あ、言葉足らずでした。 もちろん、アツさを感じたから、そしてそこに希望を見出したからこそ「流された」訳ですよね。
    ここにいれば明日が見えてくるかもしれない、的な感じっていうか。
    あの彼女たちがすーっと梅山にくっついていくのを見てそう思いました。

    とらねこさんが当時学生だったら真っ過ぐ、飛びこんじゃいそうだね・・・ ((+_+))

  8. rose_chocolateさんへ

    こんにちは〜♪コメントありがとうございました。

    あの女子たちは、心の底から自分が信じてついていったというより、半分疑っていたような感じでしたよね。
    そういう風について行くタイプの人も居そうですよね。
    いや、こないだ友人と話していたんですけど、みんながマルクス読んでいたりとか、「世界は変わる」と信じている時代が羨ましいよね、そういう意味で気持ちが分かる気がする。という会話をしていたんですよ。
    ゲバラだったら信じてついていくかもしれませんけど。
    あ、アジトの壁にかかっていた、ゲバラと毛沢東が白々しく思えましたね。
    本物はあそこだけ、か。

  9. こんにちは。

    自分は全共闘運動にも、日本のジャーナリストにも批判的なので、観る前は『どんな全共闘万歳映画なんだ』『ジャーナリストが御高説ぶってる自伝映画なんだろ』っとボロクソに馬鹿にしていたのですが、観てびっくりしました。

    僕は青春映画に感じました。

    それと、今までの全共闘の映画は、全共闘ど真ん中の世代か、一つ下の世代がとっていて「全共闘は正しかったんだ。間違いじゃないんだ。行動も起こさない今の若者達は冷めているんだ」と、全共闘万歳ばかりで、今の世代や若者を嘆いているばかりでしたが、山下監督は全共闘とは無縁の世代のせいか、今までに無い描き方をしていましたね。

    全共闘の活動家達が「カンパ」と称して活動していない学生やOBやマスコミから金をせびるのは珍しくなく、全共闘の男の活動家が「自分の気に入った女子生徒」を革命云々と云いくるめて、強引に性行為におよぶのも珍しくありませんでした。
    そう云った全共闘の負の側面は今まであまり語られてきませんでした。
    それもそのはずです。語っている世代自身「全共闘は正しかったんだ。間違いじゃないんだ」と思っているんですから。

    そう云った意味を含めて、松山ケンイチ演じる活動家の「何を考えているのか。何をやろうとしているのかわからない」様は非常にリアルでした。

    妻夫木聡演じる若手の記者も非常に共感が持てました。
    業種や業界が違っても、若手の誰もが感じる、ぶつかる理想と現実の壁。
    身にしみて共感できました。

    なので、ラストに妻夫木聡が泣くシーンは『ジョゼと虎と魚たち』を思い出してしまい、「10年も経つのに、変わってないなあ」と思いつつ、その事が何故か嬉しかったです。

  10. 健太郎さんへ

    こちらにもありがとうございます♪

    健太郎さんは全共闘には否定的な思いがあるのですね。
    おっしゃる通り、山下監督の描き方はとても新鮮でしたね。

    私はこの作品は、全共闘や学生運動そのものを描いたわけではなく、「遅れてきた時代」を描いたことがより意義深かったように思います。
    もちろん、原作のジャーナリスト、川本三郎氏の自叙伝を元にしている、という点もすごく大きいと思いますが。
    そう、青春映画なんですよね。
    全共闘をそのものズバリ描くより、ずっと自分たちに身近に感じる部分があるのは、「あの時代に生まれていたら自分はどうしていただろう」と考えさせる部分があるからのような気もします。
    宮台真司が、やはり大学生になったら暴れよう、と思っていて、いざ自分が大学に入ってみたらそうした時代は終わっていた、「しらけ世代」だった、などと語っていましたが・・。
    こうした時代に生まれたからこそ、冷静に見れる部分がありますし。私たちから見たこの時代、というテーマが、とてもリアルに感じられるのは、この「時代から取り残された感」であったように私は思いました。

    『ジョゼ虎』お好きでしたか!私も大好きでしたよ。確かに妻夫木、ずっと変わってませんよね。
    この間の『悪人』も妻夫木の演技がすごく良かったんですよね!
    あ、あとさっき実は『ノー・ボーイズ、ノー・クライ』を見終わったところだったりしますw




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