ヒアアフター #15
’10年、アメリカ
原題:Hereafter
監督・製作:クリント・イーストウッド
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、フランク・マーシャル、ピーター・モーガン、ティム・ムーア
製作:キャスリーン・ケネディ、ロバート・ロレンツ
脚本:ピーター・モーガン
撮影:トム・スターン
美術:ジェームズ・J・ムラカミ
マット・デイモン : ジョージ
セシル・ド・フランス : マリー・ルレ
ジェイ・モーア : ビリー
フランキー・マクラーレン : ジェイソン / マーカス
ジョージ・マクラーレン : ジェイソン / マーカス
ブライス・ダラス・ハワード : メラニー
ティエリー・ヌーヴィック : ディディエ
イーストウッドは『グラン・トリノ』以降、そのテイストには少し変化が見られるようだ。より表現欲は貪欲になったようであるし、何を語るについても「恐れる」などといった姿勢がまるで感じられない。これまでがそうでなかった、というのではもちろん無い。タブーと言われるものに対してこうまで大胆不敵に斬り込んでくるんだもの、なんだか私は胸が熱くなってしまう。表現者は、まず自分が自由でなければならないのだ!と。
冒頭近くの津波、洪水のシーンが迫力の災害モノのようで、まず仰天してしまった。イーストウッド映画でこんなシーンを、全く想像していなかったものだから。一体どうやって撮影したのだろう!?私などでは到底思いつかない。波が商店街に向かってグワーーーっと襲ってくるシーンだけでも見物だし、その後、一瞬でマリーが水に呑み込まれていく、水の感覚をカメラいっぱいに収めたあの迫力の映像。これひとつ取ってみても、感激してしまうものがあった。
静かな日常から物語が始まり、そこへ予告もなく災害パニックが襲ってきて、その恐ろしさ覚めやらぬ中、また静かでこれまで通りの日常が始まっていく。何気なく自然体にカメラが回っているのに、実はこんなペースの映画はとても珍しいと、新鮮な感覚が覚える。群像劇スタイルで同時進行に人びとを描きながら、少しづつテーマへ近づいていく。
”ヒアアフター”・・・「死後の世界」を描いたものというと、日本人にはすぐさま『丹波哲郎の大霊界』を思い出してしまってなんだか可笑しい。この作品は、死後の世界について描いたわけではない。死後の世界について想像を膨らませる人間たち、死という「生のその先」を怖がりながら今を生きる私たちに、優しく諭すような作品だった。
生は、死と隣り合わせでありながら、どこか禁忌の領域でもある。恐ろしいものとして、本気で考えることは棚上げしてしまう人たちも居る。でも私の考えでは、死も死後の世界も自然なもので、生の延長線上にあり、死について考えることは自然なことだ。友人が死んだり、親が死んだり、家族が死んだりした経験から、人は死を考え始めるのかもしれない。ペットの犬や猫でもいい。どんな人にとっても、身近な死を経験した後に、死について考え始め、すると生はその歩みのテンポを変えるように思える。もしかするとこの作品をケナしている人々は、死を忌むべきものとして切り離しているのではないか、と私は思ってしまう。
私は、イーストウッドが文字通り、「人間」のレベルをいよいよ超え始めたような気がしている(笑)。そう言ったら可笑しいだろうか?死について見つめた物語が、最後、未来を希望で彩る愛の物語で終わる。死はイコール生であり、愛であるかのように。
※ストーリー・・・
子供の頃に死の危機に瀕して以来、現世に残る霊たちと交信できるようになってしまったジョージは、霊能力者として有名になる。その能力を聞きつけて、双子 の兄弟の死から立ち直れない少年マーカスと、津波の災害で臨死体験をした女性マリーが近づいてくる・・・・
2011/02/19 | :ヒューマンドラマ アメリカ映画, クリント・イーストウッド, セシル・ドゥ・フランス, マット・デイモン
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コメント(42件)
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確かに死後の世界と言えば条件反射的に「丹波哲郎の大霊界」を思い出してしまいます。
あれはそのくらいインパクト絶大でした(笑
これは死後の世界はあくまでもチラ見せだったから、大霊界チックだったのは、むしろ「ラブリー・ボーン」かな。
まあ完全にテーマを纏めきれていない感はどうしても残りますが、これはこれで実にイーストウッドらしい作品だったと思います。
しかし、彼はここしばらく段々と遺言というか、自らの年齢と共に、作品も死に近づいている印象がありましたが、ここへ来て死の向こうへ到達してしまった訳で、いったいどこまで行くのでしょう。
なんとも凄い爺さんです。
サ行を作業中。。。←とりあえずつっこんどいて。。。
いま見てきたっち。これはあんまり誰もいってないみたいなんで、いつものよくあるボクの壮大なカン違いなのか、妄想なのか、確認したいのだが(ネタバレしま~す)、、、
最後、ガキにアニキの霊の言葉を告げるじゃん、そんとき『声が聞こえなくなってきた(もう交霊おわり)』みたいなことを言うと、ガキがもうダメだぁ、、、って弱音を吐く。それに対して、アニキの言葉として、『ふたりでひとりだから大丈夫!!』ってはげましたじゃん。あれって、マット・デーモンのアドリブだったんじゃないの? 声なんか聞こえてないけど、目の前のガキをなんとかしないと、、、で、テキトーな作り話をしたような気が。。。
その作り話の語りかけが、ガキのみにあらず、マット・デイモンにとっても、救いであり、希望だったんじゃないか説。。。ここが前半の、料理教室女に見たまんまを告げて破局した展開と対をなしているような。。。
つまり、マット・デーモンはホンモノだったわけでしょ、そんで自分自身にウンザリしてた。少年はニセモノ霊能者どもにさんざんウンザリして、ネットで見つけたマット・デーモンを求めた。
マット・デーモンはそこで聞こえてもいない声を届け=インチキ霊能者に連なって、楽になったんじゃないのかな。だから前向きに次の恋にも向かえた、そんなラストにボクはたいへん納得するのだが。。。
これは霊のはなしと見せかけて、ネット社会のはなしだったんじゃないのかな、いろんな意味で。スピリチュアル描写はとことん陳腐だったし(いまさら感たっぷり)。。。イーストウッド映画でこんなにケータイやネットが大活躍するのは、初めてなんじゃないのかな?
ノラネコさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
>これは死後の世界はあくまでもチラ見せだったから、大霊界チックだったのは、むしろ「ラブリー・ボーン」かな
あー、そうですね!私もラブリー・ボーン思い出しちゃいました。
大霊界に近かったのもこちらでした。「死んだら驚いた!」
そう言えば『グラン・トリノ』の時に、まるで遺言のような作品だ、とノラネコさんと話してましたね。
本当、どこまで行くんでしょう。私は、より力強く人に「遺すべき作品群」を急ぎ生み出しているように思えます。天命を全うしようとしているように思える、というか・・。
裏山&ひあふた@ウラヤマアンドさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました!
>サ行を作業中。。。
君だけだったよ、このダジャレに反応してくれたの・・ウッウッありがとう。本当はその後まで進んでて、今「英数字」まで行ったけど、「サ行を作業中」の方がライミングセンスあるかな、つーことでそのまんま東国原・・
>アニキの言葉として、『ふたりでひとりだから大丈夫!!』ってはげましたじゃん。あれって、マット・デーモンのアドリブだったんじゃないの?
えっと、「マット・デイモンのアドリブ」じゃなくて、「ジョージが目の前の少年に対して気を利かせて言った」でいいんですよね、一応確認ですが。
で、うん、私その通りだと思います!ありのままの死者の言葉を伝えるのではなく、少年マーカスを元気づけるために、「霊媒師」としての仕事を逸脱した行為を行った。「人間として」。そしてそれは、メラニーの失敗、これと対を成している。うん、おっしゃる通りだと思いますよ。
死者が言わなかったことを言ったこと。これをイコール「偽者」という言葉で表現するのは少し強すぎると思うけれど。マーカスにとってみたら、彼が本物だと信じていたからこそ、彼の言葉を信じた。そのとおりですよね。
最後の段落のくだりは、君のオリジナルで面白いと思います。確かに人々のコミュニケーションにテクノロジーが頻出しているとは感じますが。
スピリチュアル描写は確かにイマイチでした。ま、この作品多分、そこがメインではないんでしょうけど・・。
ところでこれ、君はつまらなかったのかと思ったよw
とらねこさん、こにちはー。
えっと、私イーストウッドって実はあまり興味あるお方ではなくて;あまり若い頃の出演作品とか監督作品とかを見てないし知らないんですよ;
なので彼の映画への表現力の変化とかはわかりましぇん。
それに津波が襲ってくるシーンなどは個人的にはあんまり感激しなかったゎ;
そんな私が思ってる最近の彼の映画のイメージは、「ミリオンダラー・ベイビー」だったりするんですよねえ。あれが一番スキかなあ。
事が起こってしまった後の人物たちを淡々と語っていくあたりは私にはピカ一。
マット・デイモンだっていつになく静かでアクションシーンなんてなくてもいい男に見えましたもん。(マットといえばディロンな私ですが爆)
役者を多角的な角度から見つめてちゃんと魅力的に撮ってくれる人だなあと思います。
80歳をすぎても第一線で活躍してるアーチスト達ってホント元気。どっからそんなパワーがわいてでてくるんでしょうかねえ。。。イーストウッド監督もどんどん大霊介へ進んじゃってこれからも私達を唸らせるような作品を撮って欲しいものです。むはは
シャーロットさんへ
こんにちは〜♪コメントありがとうございました。
映画より音楽の方に注目して観るのがさすがシャーさんだなと思いました。
ミリオンダラー・ベイビーはいい映画でしたよね、分かりやすくてヘビーで。
マット・デイモン面白い人ですよね。ラグビー選手を演じても霊能者を演じても有能なスパイを演じても
無理なく見えちゃうなんて。アクションも出来る人けど、『リプリー』みたいな演技の妙味を出せるところが
私は好きなんですよね。
本当、80歳でこの意欲はすごいですよね。ますます波に乗ってるようにしか見えないです。
もう何をやっても怖くないってそんな感じに見える!
大霊界に進んじゃう、ってのは冗談ですけどw、イーストウッドは同じこと何回もやらないんじゃないか、
って。一体次に何をやり出すのか分からなくて、飽きたらポイって違うことやり出しちゃうところが
目を離せなくて、面白くて好きですね。
こんばんは^^
はーい!ワタシもあのセリフはジョージの言葉だという解釈に賛成〜
というか、本当に兄ちゃんの言葉だったとしても感動的だし、ジョージの言葉としても味わい深い。
多様な可能性を残す映画です。
そういう解釈の余地と言う点では実に盛りだくさんな映画で、ある意味とてもスリリングに観ましたよー。
音楽はクリントさまのクレジットがあるとはいえ、ほとんどラフマニノフだったような気もしないでもないw
それもちょっと浮き気味だったから印象に残っているというw
それはワタシの頭の中の現象なんでしょうね
エンディングロールには実にたくさんの音楽がクレジットありましたもんねー
ということで、ため口コメントになってしまいましたm(__)m
manimaniさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
manimaniさんもジョージの意見だった、に賛成してくださいますか。うん、あの時の台詞が実際はどの程度兄ちゃんの言葉だったのか、それは分からないんですけど。こういう細かい映画の内容について話すのって楽しいですね!お兄ちゃんが「もう守ってやれないから、自分自身の人生を生きろ」っていうこの言葉、大人である私にはすごく言いたいことは分かるけれど。残される方にとってみたら、その意をきちんと汲み取れないと、ただ単に置いて行かれるのだ!と思ってしまうかもしれませんもの。
ほとんどラフマニノフだったんですか。なるほどー。
マニマニノフさんが言うんだから、間違いないんでしょうねww
こんばんは!
霊能者ってホントに存在すると思ってます。
「見える」「感じる」「聞こえる」だけの人ってけっこーいるらしいです。
でも本物の人は背景やらいろんなことがわかるらしいですね。
まんま伝えるだけではなく、思いやりのある伝え方、その人に伝わりやすい言葉、こんなふうに訳せる人が本物だと思います。
だから双子の弟に伝えたときのジョージは「腕あげたじゃん」と思いました。
だって弟くん、笑顔がもどったもん。
今の状況を乗り越えて前向きに生きていけるように導くのも本物の役目の一つなのではないかと…。
AnneMarieさんへ
こんばんは〜!コメントありがとうございました。
今日はすごい大地震でしたね。アンマリーさんはご無事でしたか?
私はまだ実家の安否が確認出来ないので、とても心配です。
霊能者は本当に居ると私は思ってますよ。
ただ、私の意見はですけど、霊能者が人に聞こえたことでなく、
相手を喜ばせるためのことを言うのであれば、それは霊能者ではなくて
「霊能カウンセラー」になっちゃうんじゃないか、と思ったりもします。
でも、ジョージの場合は、今までしないことをしたんですよね。
彼の“心”とってはきっと、逆にそれが大事だったんだろう、と思います。うん・・。