■58. 玄牝 げんぴん
監督・撮影:河瀬直美
プロデューサー:内藤裕子
音楽:ロケット・マツ
編集:金子雄亮
出演:吉村正
思わず子供が産みたくなった。
自然分娩をテーマにしたドキュメンタリー。愛知県岡崎市にある吉村医院を中心に、出産について描いていく。
江戸時代の伝統的建築方法の古い小屋「古屋」を移築した、藁葺き屋根の「吉村医院」。院長の吉村氏は、現代医学の薬や医療機器を信用せず、「江戸時代そのままの出産」を推奨する。
現代の我々は機械に囲まれ、機械の診断にのみ頼っているからこそ、出産が恐ろしいものになり、妊婦たちの不安を助長する、と彼は言う。
パーセンテージ・・・。現代ではこの言葉を使わざるを得ない。可能性ということで語るなら、「出産」は母体にとって安全なものと言い切ることは出来ない、という。だが、母体にとって一番悪影響を与えるのは、不安そのもの。吉村医院は、その母体の精神性と肉体とを、徹底的に鍛えることで、心身ともに健康を育んでいこうとする。
毎日300回スクワットしなければいけない妊婦たち。250年以上前の江戸時代の藁葺き屋根を移築した「吉村医院」の、壁と床とを、雑巾がけする。これはスクワット代わりの運動「労働」だ。
おかげで、木の床と壁は磨かれてピッカピカ。
べっこう色をした木の壁は、触ってみたくなるほど美しい色に磨かれている。
裏の畑では、おばあちゃんの指導で、鋤を持ってサクサクと土を耕したり。
「土の匂いや、サクサクという音そのものが気持ちいいのだ」、と臨月の大きなお腹を抱えた妊婦が言う。
または、木陰から陽光差す林の中で、薪割りなどもする。腰を落としながらゆっくり、だが着実に体重をかけて下半身の重心を落とす。これまたスクワットの運動、「労働」だ。
吉村院長をはじめ、助産婦さんたちの「顔の見える」医院で、精神と肉体を鍛えながら、健やかで逞しい母なる体を「作って」ゆく。人間らしい生き方だ、と直感的に感じる。本来、分娩室の機械に取り囲まれた状況より、土着的な生という行為そのもののダイナミズム。
人間を人間として扱う「顔の見える医療」は、こと産婦人科には、とても女性に喜ばれる考え方なのではないか。
心身ともに健康そうな、笑顔の妊婦たちの嬉しそうな顔が、何より物語っている気がした。
驚くのが、出産のその瞬間を捉えた場面だった。
子供を産むその瞬間の女性たちが、体の奥から振り絞るような不思議な喘ぎ声を発する。「気持ちいいー」と絶叫している妊婦がいる。性的なオーガズムを得ているのか、それとも精神的に何か恍惚としているのか、はたまたその両方なのか。何とも言えない絶頂の表情をカメラは容赦なく映し出すのだ。これは衝撃的。
出産の痛みと苦しみを超えた先の、母体のオーガズム。
禁忌の領域を、その神秘性を残したまま、等身大にカメラは余す所なく捉えている。ドキュメンタリー作品としての真骨頂の瞬間。
しかしながら、出産には危険も付き物。母親がいくら自然分娩を望んでも、危険と判断するケースには、他の大病院に搬送されることももれではない。また、悲しいことに、死産となってしまうこともあるのだ。それらについても語る姿勢を見せる。
河瀬監督の目線は、自然分娩について賛同派である一方、様々な視点を用意して見せる。吉村院長の人としての姿。他人の母親を診ることにばかり熱心で、自分の家庭を顧みない一面。または、吉村院長と助産婦さんたちとの微妙な意見の相違。助産婦から見ると、時に独断的に過ぎる院長が、妊婦の精神面を支えるには、時に物足りなく見えたり、今後の課題として、助産婦たちの意見をもっと取り入れていくべきだという意見を持っている人も。
そして最後に、最近の吉村院長の哲学的思考傾向。このドキュメンタリーを見て、ここが一番違和感の感じるところとなる。医師というよりは、仙人じみてきた彼は、自然分娩について考えを進めるうちに、「生きるべきものは生き、死ぬべきものは死ぬ」という思考に近づきつつあるようだ。院長の言葉では「生と死の境目を考えない」、それは院長個人の心の奥底にある本当の気持ちではあるかもしれない。だが、もし自分が妊婦として目の前に座る一人だとしたら、それが「自然の法」「ありのままの姿」という考えに納得は到底出来ないだろう。
私は女性だからか、この作品を見て考えさせられるところがたくさんあった。特に、「明日は我が身」と感じながら見たから余計に。男性にこの話をすると、「自然分娩は危険なことがたくさんある」、という返答になってしまう。
もちろん、他にもいろいろな分娩の方法はあるだろうし、勉強しなければいけないことはたくさんありそうだ。
でももし「無痛分娩」で産んだら・・・?もし自分が母親になるという心構えや準備が出来ないままに産んだら、子供を可愛く思えないかもしれない。もちろん、自分だったらの話。
院長は、「命をかけて産め」とピシャリと言う。
出産というものを、ただ「産む」というだけの行為ではなくて、この先子供を育てる20年間を、いや 現代では人によって50年近くに渡る長い時間、
女性という生き物を、「母」という存在に変えていくプロセス。そう捉えている気がした。

愛知県にある産婦人科・吉村医院では、薬や医療機器などの人工的な物を介入せず、女性が本来持っている力を信じる“自然なお産“(自然分娩)を行ってい る。さまざまな想いや経験を持つ妊婦、そして助産師たちは生まれ来る小さな命のために心をひとつにしていく・・・
2010/12/26 | 映画, :ドキュメンタリー・実在人物
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