■49. スプリング・フィーバー
’10年、中国、フランス
原題:春風沈酔的晩上
監督:ロウ・イエ
脚本:メイ・フェン
原作:『春風泥酔の夜』 郁達夫
チン・ハオ ジャン・チョン
チェン・スーチョン ルオ
タン・ジュオ リー
ウー・ウェイ ワン
ジャン・ジャーチー リン・シュエ
中国ではご法度とされている天安門事件のシーンを扱い、性描写もあった前作『天安門、恋人たち』が、中国電影局の許可が降りないままカンヌ映画祭に出品したため、’06年より5年間、中国政府当局に映画制作を禁止されていたという。それをかいくぐり、、香港とフランスに資金援助を得て、ようやく製作したという、何とも骨太な作品なのだ。撮影には家庭用デジタルカメラを使って。・・・これを聞いた時は、中国にもそんな気質の映画人が居るんだ!と目を瞠る思いがした。ちなみに去年’09年のfilmexでかけられ、カンヌ映画祭では脚本賞を、南京インディペンデント映画祭ではグランプリを得ている。
私がこの作品を観に行こうとした日は奇しくも、尖閣諸島の情報流出DVDが出回って、朝からニュースがひっきりなしに流れていた日。仕事帰りに渋谷に到着してみれば、右翼の街頭演説がハチ公周辺で大声を張り上げている真っ只中。
自分はそんな中をつっ切り、中国の映画を見に来たのだ、という気持ちになった。普段より映画館に到着するのがとても遠いことのように感じた。芸術なるものが国という単位、境界線を取り払った、世界共有のものであるかのように感じながら。大げさかな。
東京ではシネマライズで上映されたが、今回の企画はシネマライズではなく、uplink浅井隆氏が企画したものであった。おかげで、twitterのキャンペーンは「この映画の感想を呟けば、なんとuplinkの3ヶ月フリーパス券(他いろいろ)がもらえる抽選もある」という、アッパレ・太っ腹企画もあった。凄いゾ。
今年、twitterを使った映画の宣伝は数多くあったけれど、最も効果的だったのがこの映画だったのではないか、なんて思ってる。
何より、映画自体が本当に素晴らしいものだった。これが嬉しい。
冒頭、いきなり男性同士の性描写が映し出される。思いがけずパンチを喰らわせるかのように。そう、これが彼らのリアルな生活なんだ、という印象を受ける。上手いなと思う。これは、概念だけの美しい妄想的BL世界ではないのだ。普通のルックスの、ゲイのカップルの日常。家庭用デジタルカメラで撮影されたことも相まって、「今ここで行われている」、そんなリアルタイム性まで感じてクラクラする。これが狙いなら狙い通りだよ!一気にこの映画に対する期待が膨らんでしまった。これは私の好きなタイプの映画に間違いは無さそう、って。
ストーリーの筋も面白い。このゲイのカップルは実は不倫で、男の一人(ワン)に妻が居て、彼女は浮気調査でそれを知る。その浮気調査をする探偵のルオは、調査していた相手のジャン・チョンが気になり、声をかける。しかしルオは本当は隠れゲイで、ガールフレンドが居て・・・とこういったあらすじ。錯綜する男女関係は、シーンを繋ぎ合わせることで新たな発見があり、進んでいく。ナレーションもないままに。
『天安門、恋人たち』はとてもいい映画だったけれど、ヒロインの心理についてナレーションが多用されているのが少し気にかかった。こちらではそれがないのがいい。何故なら、どの登場人物に自分が共感すべきか、自分はどのタイプなのか、価値観が似ているのは誰なのか、それを見極めようとしながら映画を見ていく事ができるから。
たとえばラブストーリーを見る時に、私たちは自然と、男は自然に主人公の男の目線で物語を見、女は女のキャラクターに寄り添って見る、そういう強制がない。ここでは、男も女もゲイもいる。男だからとか、女だからとか、単純にそのジェンダーではなく、そう、ジェンダーから離れて一個の個人として一人ひとりを見ることを強いる。こうまで複雑に男と女が絡み合った愛情関係のこの設定の中で、私たちはより自由に愛を、孤独を感じ取ることができる。
孤独を抱えながら、それでも愛すべき人を探しているジョン・チャン。なかばウンザリし、どこか空虚な思いを抱えながら。
人の温もりを求め、抱きながらも、孤独がぬぐえない。もしかして今度はと期待をしてみる。いや期待はしすぎないように努め、また愛に傷つく。その傷がどこかでいつまでも疼くかのように、飄々としてみせるジョン・チャンの、乾いた表情が忘れられない。たとえば彼に会わなかったら、ワンとリンの夫婦は破滅しなかったかもしれない。ルオとリーのカップルは「普通のカップル」としてその深さの愛で満足していたかもしれなかったのに。
重ね合う体と、それでも重ね合わない部分の、心の僅かな隙間。自分の中の、極めてパーソナルな部分に訴えかける作品だった。
カラオケのシーンで感じた人の心の温かさに涙した。その時感じた絆は微妙なバランスを保ち、確かに存在したと思ったのに、また崩れ去っていく。
3人で船に乗るシーンがまた素晴らしい。意地でも3人を一つのカメラに収めようというぎゅうぎゅうの顔のアップ。風を顔に受けて進む一艘の船の中で、しかし、ジョン・チャンと二人の顔の向きは違っている。
冒頭で睡蓮の花のシーンがあって、愛に傷つき、また人をも傷つけたジョン・チャンが、不死身のように蘇って、艶やかな花の刺青を入れる。
ちなみにカメラはパナソニックAG-HV200MCだそうです。

教師のリンは、夫・ワンの浮気を疑い探偵に調査を依頼する。その結果、相手がジャンという青年であることが判明。夫婦関係は破綻し、ワンとジャンの 関係も冷え込んでしまう。その一方で、ジャンは恋人のいる探偵の男と惹かれ合い、やがて彼らは旅に出るが・・・
関連記事
-
-
『沈黙』 日本人の沼的心性とは相容れないロジカルさ
結論から言うと、あまりのめり込める作品ではなかった。 『沈黙』をアメリ...
記事を読む
-
-
『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』 アメリカ亜流派のレイドバック主義
80年代の映画を見るなら、私は断然アメリカ映画派だ。 日本の80年代の...
記事を読む
-
-
『湯を沸かすほどの熱い愛』 生の精算と最後に残るもの
一言で言えば、宮沢りえの存在感があってこそ成立する作品かもしれない。こ...
記事を読む
-
-
『ジャクソン・ハイツ』 ワイズマン流“街と人”社会学研究
去年の東京国際映画祭でも評判の高かった、フレデリック・ワイズマンの3時...
記事を読む
-
-
『レッドタートル ある島の物語』 戻ってこないリアリティライン
心の繊細な部分にそっと触れるような、みずみずしさ。 この作品について語...
記事を読む
前の記事: ■48. マチェーテ
次の記事: ■50. フローズン
コメント