王家の谷、ツタンカーメン王墓
5日目。
この日は一日、ルクソール観光でした。
午前中は西岸観光。午後は東岸観光。
ルクソールは、太陽の昇る東側には ” 生 ” を司る神殿たちが、
太陽の沈む西側には ” 死 ” を司る王墓・古墳・葬祭殿が位置しています。
これは、一日が朝に生まれて晩に死ぬという死生観をエジプト人が持っているためだそうです。
私は思わず『はてしない物語』の砂漠に住む、ライオンを思い出しました。
午前中の西岸観光は、王家の谷、ツタンカーメン王墓、貴族の墓、ハトシェプスト女王葬祭殿。
王家の谷!
ここは絶対に人生で一度は来てみたい場所でした。
長年の王たちと盗掘団との抜きつ抜かれつの関係があり、王たちは盗掘を防ぐため、わざと離れた場所であるここに王墓が造られました。もちろん、きらびやかな埋葬品も一緒に埋められました。
険しい谷の入り口には門番を雇い、一日中見張りを立てていましたが、盗掘は行われました。なんとその門番が盗掘団と結託していたとか。エジプトの財産には痛い話です。
次に、ツタンカーメン王墓。
ハワード・カーターの遺言のために、ツタンカーメン王のミイラは現在もここに眠っています。
エジプト3000年の王墓の中で唯一、一度も盗掘されずに発見されたツタンカーメン王墓。18歳で急死したツタンカーメン王の墓は、思わぬところに掘られた、とても規模の小さな墓だったため、こうして盗掘を免れたのでしょう。1922年に発見されたのはまだ90年前の話。当時、世界は初めて目にするエジプトの財宝と歴史に、どれほど驚いたことでしょう。その頃の世界の興奮を、見てみたかった気がします。
ところで半年前に、DNA鑑定によりツタンカーメン王の死因が分かったというニュースがありましたね。暗殺されたのでは、と言われていたツタンカーメン王ですが、死因はマラリアだったそうです。 ( → ツタンカーメン王の死因)
カーナボン卿の急逝のため、王の呪いとまことしやかに噂されたようです。
たとえ古墳にあった埃や塵の中にあるウイルスのせいだ、と言う人が居たとしても。関係者の何人かに死が訪れたのは事実ですし、カーナボン卿とハワード・カーターが二人同時に墓に入って、一方のカーナボン卿は3日で急死、一方のハワード・カーターは普通に天寿を全うした・・・。私は、ハワード・カーターがエジプトにした多大なる恩恵を考えるだに、王の呪いを信じたくなります。だってその方がロマンチックじゃないですか!
2010/11/08 | :エジプト
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