■23. あの夏の子供たち
’09年、フランス
原題:Le Pere de mes enfants
監督・脚本:ミア・ハンセン=ラブ
製作:フィリップ・マルタン、ダビッド・ティオン
撮影:パスカル・オフレー
美術:マチュー・ムニュ
編集:マリオン・モニエ
キアラ・カゼッリ シルヴィア・カンヴェル
ルイ=ドー・ド・ランクザン グレゴワール
アリス・ド・ランクザン クレマンス・カンヴェル
エリック・エルモスニーノ セルジュ
とても悲しい話なのに、見終わった後はふんわり、生きる希望の湧いてくる映画。
「ケ・セラ・セラ」の歌がぴったり合って、「ああそういうことなんだ、」って、何とも言えない気持ちに。
以下、ネタバレ部分を含みます。注意:::
下
、
ネ
タ
バ
レ
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映画を心から愛しその身を捧げた、とても良心的な映画プロデューサーが財政難に陥る。借金を返済し、巻き返しを図るべく、あらゆる策を講じるが、その手立てはない。
この借金に奔走する部分が、割と長い。事態はいくら待っても好転してゆかない。だが映画の権利も決して売ろうとはしない。「そうなったら、全てが水の泡だから」と。
だが決して絶望的になったり、自暴自棄になったりはしない。自殺の直前に、映画監督になろうとしている若者と話すシーンがあるけれど、そこでも決して自分らしさを失おうとはしない、グレゴワールの姿。
妻との話し合いのシーンを思い出すと、より悲しくなる。事態を静かに見つめ、そして、「夫のしたことは間違っていなかった」、と彼にハッキリ言う、素晴らしい妻。このような女性と娘たちを残してしまうことに、後ろ髪を引かれる思いだったのではないか?
その後の物語の方こそ、本当は言いたかった話かもしれない。だがこうした物語の構成、特に前半部分の逡巡に、この間見たエリック・ロメールの『獅子座』を思い出した。物語がどこへ向かうのか定かでないまま、グルグルと回る。
夫の意志を受け継いで立て直そうとするも、にっちもさっちも行かず、全てを失う、残された家族たち。
だがラストに流れる音楽が「ケ・セラ・セラ」だ。
「大きくなったら私は何になるの?」「私は綺麗になれるかしら?」「お金持ちになるかしら?」「ママはこう言いました」「ケ・セラ・セラ、なるようになるものよ」「将来は私たちは見えないものだから、ケ・セラ・セラ」
この映画の母シルヴィアの一言は、忘れられない。
「その死のために、彼の人生を否定しないで」「死は人生の一部だから」
この一言のおかげで、娘の辛さはどれだけ軽減されるだろう。
私は、父親との別れを描いた映画が、実は弱点だったりする。
父は自殺した訳でもないし、亡くした訳でもないけれど。
父が戻ってくる夢は何度も見たし、もしくは夢の中で、私は何度か殺している。
出て行った時のあの一日のことは、何度となく思い出した。
あの畳の感じとか、どう いう会話をしたかも、よく覚えている。
確か、ハリウッド映画でドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」が使われてたけど、アレ何だっけ・・・と 探したら、ヒッチコックの『知りすぎていた男』だった。実はこの曲、私のお気入り。カラオケでも時々歌うぐらいだし、歌詞だって覚えていてソラで歌えちゃうぐ らい。
今、映画製作会社や配給会社、映画館など、映画業界の不況や倒産の相次ぐこのご時世なだけに、
思わずこうしたことが実際にありそうだな、とつくづく思ってしまう。
そして、グレゴワールが、芸術のために妥協をしなかったことについて、思わず考えてしまう。
これは一個人の問題ではないのかもしれない。フランス人の感覚と、映画に対する思いという点では、日本はだいぶ違いがあるような。

独立系映画のプロデューサーとして精力的に飛び回るグレゴワール。妻のシルヴィアや、クレマンス、ヴァラン ティーヌ、ビリーの3人の娘たちと過ごす休暇中も携帯電話を手放せないほど多忙だった。ところが、経営する製作会社ムーン・フィルムが多額の負債を抱え、 進行中の企画すら完成の目処が立たない苦境に追い込まれたある日、自ら命を絶つ。遺された妻と娘たちは悲しみの中、最愛の父が生きた証を再確認してゆく・・・
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コメント(11件)
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映画予告編で
映画館に行ったら予告編でいきなりこの曲がかかったので・・・
とても観たくなりましたが、予告編を最後まで観ると、私が見るような映画ではなさそうなので、今回は曲だけ。
この映画、予告編で見ましたけど「ケ・セラ・セラ」の他に「Egyptian Reggae」が使われてましたでしょ。
何故なんでしょう?TBしておきましたから、もし解ったら教えてください。
すっトボけた感じがとても好きな曲なんです。
imaponさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
ん?エジプシャン・レゲエ。やーゴメンナサイ。
ちょっと覚えてないです^^:
これって有名な曲なんでしょうか?
やあ。また見てない映画のコメントをするのだが、、、うちの父親が、まさに、この1/100ぐらいスケールの小さい、映画関係の仕事をしていたのだが、、、
>苦境に追い込まれたある日、自ら命を絶つ
だったんですよね。ブハハハハ。重〜い。。。
>あの畳の感じ
そうそう、すっごい血が染みこんじゃって(手首いったのよ)。。。
>これは一個人の問題ではないのかもしれない。フランス人の感覚と、映画に対する思いという点では、日本はだいぶ違いがあるような。
まあ、ボクの父親という人は、そんな仕事しているくせに、映画などまったく見ないという不思議な人で、、、
>グレゴワールが、芸術のために妥協をしなかったこと
とっとと妥協して、、、リスカは失敗〜救急車乗って病院でちょっと縫ってそのまま帰宅、、、けっきょく元気に自己破産!! いまも元気にやってま〜す(パチンコ屋の景品交換所で)。。。
ボクはそんな父親が、大好きですよ。
以上が、あの『スパルタの海』をめぐる全真相です。。。ナムー。
あと、細かいことを言ってすまんのだが『知りすぎていた男』じゃ。。。
『ケセラセラ』はスライ〜のバージョン知ってる? スローテンポで、聴いてるとほんとにすべてがどうでもよくなってくる。。。
『あの夏の子供たち』 Le pére de mes enfants
フランス映画祭で観たのは三月のことだけど、時間がたってしまったからと流してしまうことはできない今年出逢った大切な映画。大好きな映画。シネマの生命の輝きを抱きしめよう。
☆☆☆☆☆
妻と3人の娘と暮らす独立系映画のプロデューサー、グレゴワールの経営する製…
ブログコメは久しぶりー
アジサイの中のチェブかわゆす。
一時は変な邦画がかかりがちだった恵比ガーシネですが、今年のラインナップはかなりいいぞ!って感じで。
ケ・セラ・セラを予告で使っちゃダメじゃーんと思いつつ、それでもエンディングは感涙しちゃう名曲ですねー。
劇内では北欧の監督という設定だったけど、タル・ベーラなんですよね。
タルの映画も好きな自分としては複雑な思いも持ちつつ、家族の静かな再生にただただジーン。
映画にかかわる仕事が博打みたいなものというのがなんだかおそろしくもあり、それでも形にしようとしてくれる人がいるのはありがたいす。
映画・芸術のこともそうだけど、死は生の一部という捉え方を日本でももっと受け入れてほしいかもってふと思いました。
延命措置とかそういう時、モゴモゴ・・。
裏山さんのコメントを読み始め最初ドキッとしましたが、今もお元気ということでよかったです。
よせみてー
裏山&さんへ&
こんにちは〜♪コメントありがとうございました。
そっかー・・・。
こないだ、お父さんが大変なことに・・・って言ってたけど、あれは4,5ヶ月前だっけ?まだ最近だったよね。
そんなことがあったら、さぞかしびっくりしただろうし、ショックだっただろうね
でも、一命をとりとめて本当に良かったね!お父さんといろいろ葛藤があっただろうけど、「そんな父が大好き」って、冗談にしろ、言える気持ちになって良かった^^*
こんなことぐらいしか言えないけど。きっとうらやまちんも、いろいろ苦しんだんだろうなあ・・・。
でも本当にその時死ななくて良かったよ!
私はこの映画より、実は『息もできない』の時に、裏山ちんのこと思い出してたんだ。
もちろん、何があったかは分からない頃だったし、ただ何となく思い出しただけなんだけど、
父親のために何キロも歩いてしまった、というのを聞いて、『息もできない』の時にね。キミのこと思い出してた。
『息もできない』と、この映画、良かったらキミも見てみてよ。
>『知りすぎていた男』
知ってるよ!高校生の頃に見たもん
>スライの『ケ・セラ・セラ』
へー。スライ& the Family Stoneのバージョンがあるんだ。
今度聞いてみよう。
かえるさんへ
こんにちは〜♪本当、ブログのコメントすごく久しぶりです!ありがとうございました〜♪
チェブ柄も雨の時期バージョンに変えたんですけど、誰もツッコミ入れてくれなかったので、嬉しいっ
これ、イラストを描いてくれたのが、そこにいる裏山さんなんです♪
あじさいの丸のツブツブ感がいいですよね^^
ケ・セラ・セラ、本当予告ばかりでなく、劇場内の、始まる前の音楽でもずーっと流れてたんですよね。
作品内で実際にかかった時は、今日何回目?って感じだったかも
アンベール・バルザンという実在のプロデューサーの話だとは調べて分かったのですが、「北欧の監督」はタル・べーラのことだったんですね!
ではもしかすると、『ヴェルクマイスター・ハーモニー』とかあの辺は!!
なるほどー、ではなんだか複雑な思いに駆られますよね。しかも最後に、「その監督は訴えるつもりだ」、と管財人の人に言われて終わっているし・・・。
(あれにはちょっとビックリ)。
私は、『倫敦から来た男』はすごく好みの作品でした!
映画に関わる仕事で、アートのために自分の信念を曲げない人、というところで、余計自分にはグッと来るものがありましたよ。
ここでの死の捉え方、共感できましたよね。
本来は生の一部・・・。
そんな風に考えると、自然と生の捉え方も違ったものになるはずですよね。
ヨセミテは明日ですー。楽しみ。
明日は一日が長くなりそうです。ふー大変・・・。
こんばんは。
今日見てきました〜(仏文科出の友人と)
その後のストーリーは、観る人の想像力にゆだねるというフランス映画・・・好きです。
そして、亡き父親も残された母親も子供たちも「ポリシー」をきちんと持っていることに心打たれました!
日本でも同じような形で倒産する映画制作会社が多いのでしょうね。(ミニシアター愛好者にとっては寂しい)
cinema_さんへ
おはようございます〜!
おおっ、ご覧になりましたか。
本当、芸術に対する考え方が全く違うなあ、と思いましたね。
あのポリシーの貫き方!
本当、ミニシアターを好きでいる者にとっては、もう人事じゃないですよね。
映画業界の倒産が相次いでるこの時期ですもん。なんていうタイミングだったんでしょう!
あの夏の子供たち
恵比寿ガーデンシネマで上映されていたときは見逃してしまった『あの夏の子供たち』が、吉祥寺バウスシアターで再度公開されるというので見に行ってきました。
(1)この映画は、ちょうど真ん中あたりで主人公シルヴィアの夫グレゴワールが死んでしまうため、前半と後半に分…