ボヴァリー夫人 ▲176
’89年、’09年
原題:Spasi I Sokhrani
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:グスタフ・フローベール
脚本:ユーリィ・アラボフ
撮影:セルゲイ・ユリズジツキー
音楽:ユーリィ・ハーニン
美術:E・アムシンスカヤ
編集:レーダ・セミョーノワ
’89年に製作され、フローベールの没後130周年を記念して公開された作品。オリジナルからは40分カットしたらしい。
自分にはとても興味深く、そういう解釈なのね、と1シーン1シーンを堪能することが出来た。もう大満足。
これまでにもジャン・ルノワール、ヴィンセント・ミネリ、クロード・シャブロルによって映画化されたという、この作品。
ソクーロフの映画では、『静かなる一頁』にとても痺れた私。ドストエフスキーをこんな風にしちゃう手腕があるのだもの、この作品も、もっと期待して見ても大丈夫だったのに!w
いや〜私が不安だった理由に、原作が何しろ大っ嫌いだった、ということがあって。私が読んだのは19歳の頃だったのだけれど、読み終わった後、あんまり頭に来て、思わず日記を書いたほどだった。(ああ、ちなみに、同じようなことはココにも書いてます)
私が読んだのは、新潮の『世界文学全集』で、フローベールの『ボヴァリー夫人』とモーパッサンの『女の一生』が、セットになった巻だった。どちらも、女性の一生を、自然主義の描き方でその長い人生を描ききった2作。『ボヴァリー夫人』の方は、読んでいるうちにもうイヤでイヤで堪らなくなって、だけど怒りが収まらずについつい最後まで読んでしまったという代物だった。
まず、この作品では、原作の途中から描かれているのだけれど、にしても大胆な!まず、蝿の音がブンブン唸り続ける。映画全体を通して、不快な蝿の羽音が鳴っているのだけれど、この音は実は、ボヴァリー夫人が棺の中に入れられ、そこでようやく蝿の羽音が止むのだ。
正確に言うと、一つ目の棺に入れられて、蝿の羽音は少し遠くになる。二つ目の棺に入れられて、蝿の音はかなり遠くに、囁くほどになる。そして三つ目の大きすぎる棺に入れられて、完全に聞こえなくなる。とこんな風だった。
何度か映し出されるシーンの、鳥かごの中に鳥は居ない。彼女自身が人生という檻に閉じ込められた行き場のない鳥、だが翼を持たない生き物なのだ。
台詞に全く無くても、ボヴァリー夫人の精神が感じられるような映像だった。このボヴァリー夫人は、ロシア語と時々フランス語を話して、思わず「エッ」と不思議に思ってしまったぐらいだったけれど。鼻が異常に高かったり、痩せぎすだったりするエマ・ボヴァリー。いかにも人知れず田舎でその精神が死んでゆきそうに見えた。その鬱陶しさをその周りの空気に纏った彼女が、浮気相手との情事の後、その埋もれそうな思いから開放され、「私には恋人がいるのよ」と嬉しそうにつぶやく。
エマ・ボヴァリーが不貞を働くのは、単なる肉欲や、凡庸な冒険心を満足させるためでもないのだった。精神が瀕死の波打ち際に居る、一人の儚げな感覚を持ち合わせた美しいひとが、何かどうしようもない理由の中で、現実から逃げるために偶然にも出会った、一つの発見。こんな風に思えた。彼女の演技は、あの口調には、絶大な説得力があった。なんだか、破滅的なエロティックさ、やけっぱちさを感じるあのギスギスした体型。どうしようもない渇望と満たされない現実とのはざまで、圧し潰されないように手を伸ばしたのが、あの買い物熱、一時の情事だったのだ。それらに追いつかれた時、生活の倦怠に押し潰された時、彼女の精神も肉体も破滅を迎えるのだった。
彼女の感じる倦怠は、私たちが現代生活の中で感じる空虚感と、あまりによく似ている。私たちの中に、どれだけ多くのボヴァリー夫人が居るのだろう。
ソクーロフのボヴァリー夫人は、凡庸で薄っぺらい価値観を持った“第二の性”である女性、夢見がちで、田舎に住むのが耐えられない、傲慢な女性だから、
という理由を与えることなく、より普遍化した倦怠と渇望を描くのに成功しているのだ。

修道院で育ったエマは、新しい世界に夢を抱き、医者のシャルルと結婚。だが凡庸な夫との田舎生活は退屈なものだった。そんな中、エマは青年レオンと出会う・・・
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コメント(6件)
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いつぞやのイメフォなうは何を観たのかと思ったんですが、これだったんですね。
結局のところ、ご覧いただき、満足してもらえてよかったー。
ブログ巡回をめっきりサボっていた私ですが、このタイトルを見つけて、久しぶりに訪問。
やっぱりソクーロフはいいですよねー。
倫理的には共鳴してる場合ではないであろう夫人の生き様なんだけど、ホント豊かなのに寒々しいイマを生きる現代人な自分だからこそ、彼女の渇望の思いに共感してしまうようなような・・・。
「ボヴァリー夫人」アレクサンドル・ソクーロフ
ボヴァリー夫人SPASI I SOKHRANI
1989/2009ロシア
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:ギュスターヴ・フローベール
脚本:ユーリー・アラボフ
出演:セシル・ゼルヴダキ、ロベルト・ヴァープ、アレクサンドル・チェレドニク、ヴィアチェスラフ・ロガヴォイ
圧倒的な…
かえるさんへいつぞやのイメフォなう。いやあ、この作品見るの、ずいぶん遅くなってしまいましたね。
こんばんは〜♪コメントありがとうございました!
そーなんです
普通だったらソクーロフ作品は速攻で見に行きそうなものなんですが、原作嫌いなため思わず遅くなってしまったんですね
ブログ巡回、私も最近サボリがちです〜。特に、ツイッター始めてからすっかり。
ボヴァリー夫人の渇望ややるせなさを、ようやく共感することができたような気がします。自分は若かったんでしょうか、、、
『ボヴァリー夫人』 Spasi i sokhrani
芸術の秋の極み。アレクサンドル・ソクーロフのつくり出す独創的な世界に耽溺。フランス文学の傑作であるギュスターヴ・フローベール(1821??80)の「ボヴァリー夫人」(Madame Bovary)をアレクサンドル・ソクーロフが1989年に映画化。当初167分のバージョンであったものをこ…
とらねこさ〜ん、こんばんは!今年もあと1日になりましたね。とらねこさんは、年末年始ゆっくりされますでしょうか!?わたしは、気をつけないと”もち太り”しそうなくらい、ダラダラと過ごしそうです(笑)
ところで本作に興味を持ちました。最近は、原作が古き名作というクラシック映画に心惹かれるようになり、たぶん今後は、そういう作品ばかり観るようになると思います。映画の好みって、年々歳々変わるような気がします。
とらねこさん、今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。どうぞ、良いお年をお迎えくださいませ♪
JoJoさんへ
こんにちは〜♪コメントありがとうございました!
今年もすっかりお世話になりました!
こちらから、また改めてご挨拶に伺いますね^^*
そうそう、私も餅太りしそうです(笑)
私、普段から餅が大好きなんですよねw
今年は親に、送ってもらわないように言おうかな?と毎年思いながらも、ついつい無いと寂しい気がしてしまって、断ることが出来ないんです(爆)
JoJoさんも、文学を原作にした映画が最近気になってきましたか?
そうですね、自分の興味や嗜好性って、少しづつ変化していくんですよね。
私も本当にそう思います。共感できるポイントというものも、大人になるに従って変わっていくものですしね。
ああ、JoJoさんと、「『ボヴァリー夫人』という事象」について語りたいなあ。
こちらこそ、大変お世話になってしまいました!
今年もわずかですが、どうぞ良いお年を〜♪