孤独な声 ▲123
’78年、ソ連
原題:ОДИНОКИЙ ГОЛОС ЧЕЛОВЕКА
監督:アレクサンドル・ソクーロフ
原作:アンドレイ・プラトーノフ
脚本:ユーリー・アラボフ
撮影:セルゲイ・ユリズジツキー
タチヤナ・ゴリャチョワ リューバ
アンドレイ・グラドフ ニキータ
V・デグチャリョフ ニキータの父
ソクーロフの初長編映画。大学の卒業作品だったそう。
この作品は反戦的と、公開もままならなかったらしく、そのためタルコフスキーが自ら公開にこぎつけるべく、奔走したとか。
作品の最後には、「この作品の運命に携わることになった、アンドレイ・タルコフスキーに捧ぐ」と書いてある。
とても静かに進む物語。戦争が終わり、無傷に帰省するニキータ。恋人のところすぐ会いにいくが、戦争後のため、お互い凄まじく貧しい生活を送っている。
カツカツで毎日の食べ物にも困る有様の中、何とか二人は一緒になる。
戦争の心の傷が未だ癒えぬ中、それでも何とか二人で居る時は幸せそうに見える。
心の痛みや、肉体的苦痛、そうしたことを一種独特なやり方で表現する映像方法。
物語はほとんど語ることがなく、映像から受け手側が必死に読み取っていかなければならない。
私は、見ている間、食べ物に困ろうとも、どこか幸せを感じようとする二人の映像が心に残った。
「お食事にしましょう」といっても大したものはないので、干物のようなものを包みから出し、水もなく二人で無言でむしゃむしゃ食べる。
私はある種、羨ましく感じた。その貧しさは、“清貧”と私の目に映った。本当はその方が幸せなのかもしれない。お互いが居れば、ただそれだけで幸せなのだから。物欲や、その他の欲望、人を堕落させる欲望などほど遠いところに位置する二人のように見えた。
だが幸せも束の間に、ニキータはリューバに本能的欲望を持つ、つまり肉体関係を持つことが出来ないまま、「自分は死ぬかもしれない」と言って家を飛び出し死の世界を垣間見ようとする。
この苦悩は、自分にはよく分からなかった。助けられたニキータは、苦しみののち、自分のために川に身投げをしようとしたリューバの元へ戻っていく。今度は、幸せになる決意をして。

ソ連の国内戦が終わった年の秋、赤軍兵士ニキータ(アンドレ・グラドフ)は、故郷の村に復員した。そこには年老いた父と幼なじみの娘リューバ(タチャイナ・ゴリャチョワ)がいた。ふたりは共に貧しかったが、心ひかれあい、結婚する。しかしニキータは若妻との肉体関係を嫌悪し、精神的にしか愛せなかった。彼は苦悩の末、家出し、街で放浪する。苦しみの果て、彼が見いだしたものは、新たにリューバとの愛に生きる意欲だった。・・・
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