鏡 ▲113
’75年、ソ連
原題:ЗЕРКАЛО / Mirror
監督:アンドレイ・タスコフスキー
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ゲオルギー・レルベルグ
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
挿入詩:アルセニー・タルコフスキー
母マリア、妻ナタリア マルガリータ・テレホワ
父 オレーグ・ヤンコフスキー
少年時代の私、息子イグナート イグナト・ダニルツェフ
幼年時代の私 フィリップ・ヤンコフスキー
行きずりの医者 アナトーリー・ソロニーツィン
ナレーション インノケンティ・スモクトゥノフスキー
詩朗読 アンドレイ・タルコフスキー
いやあ、本当に素晴らしかった!すっかり堪能、大満足。
タルコフスキーを見ると眠くなるか、ですって?まさかそんな。それどころか、全画面、眼球を1.2倍ぐらいに大きく見開き、終始画面に釘付けになってしまった。
’私’の現在の姿だけが登場しない。声だけが聞こえる。主観的な、夢のような世界。
いつかどこかで見たことがあるような、もしまだ見ていないとしたら、これから自分が見る風景のような、あるいは夢で見たような、
誰もが心の奥底に持っているような原風景。
集合的無意識に存在していたような、懐かしい風景・・・。
「特別な」画を自分は見ているんだ、と思った。
瞬間瞬間を、より心に刻みつけるかのように、大事に大事にする自分が居た。
ロシアなんて一度も行ったことがないのに、木で出来たお家に住んだことなど一度もないのに。なぜこの画は自分にとって特別なんだろう。
主人公の形が見えない“私の世界”は、そのままそっくり自分の世界にすり替わる。
母の姿を映し出した映像は、見ているだけで何故か辛くなってくるかのような、心の痛む思いがする。
瞬間で場面は変わってゆき、記憶がまた別の記憶を呼び覚ませるかのように、イメージが繋がって、また同じ場面が戻ってきたりする。
小鳥を頭の上に捕まえた子供の頃の自分、と思ったら場面は切り替わり、心苦しみながら横たわるベッドの上では、その手に鳥を握りしめている。
ラストも、不思議な描写だ。まだ自分たちが生まれる前の若かった頃の、父と母の姿。おそらく幸せだった頃の彼ら。
その頃、まだ木は生い茂ってはいない。若い細木の向こうにある家。
と、思うと、老いた母が手を引いて、古くなり鬱蒼と茂った家から出てくる。井戸は古びてびっしり草が生えていて、時間が経ったことを感じさせる。
老いた母が手に連れているのは、小さな子供二人の姿だ。まるで、子供の頃の自分とその兄弟のような、小さな二人。不思議な描写だ・・・。
母に感じる負い目のために、自分の妻がまるっきり母と同じ顔に見える。
母に対する思い、妻を傷つけた心の傷、全て心象風景そのままに、
途中から、まるで主人公は自分であるかのような錯覚すら起こった。
記憶の中の世界を闊歩するかのような、とても美しくて、心に残る映像世界。
“映像詩”という言い方も好きだ。
自分の記憶の中の秘密の場所を覗いているかのような、そんな気持ちになった。
こんな映画だったら、自分も撮ってみたい・・・。
ずうずうしくもそう考えてしまった。

木々に囲まれた木造りの家で母親(マルガリータ・テレホワ)はいつももの悪いに耽つていた。一面の草原にたたずむ彼女に行きずりの医者(アナトリー・ソロ ニーツィン)が声をかけるが、彼女は相手にしない。息子(イグナート・ダニルツェフ)が家の中にいると、外では干し草置場が火事だと母が知らせに来た。 1935年のことだった。その年、父は家を出ていった・・・
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コメント(5件)
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アンドレイ・タルコフスキー「鏡」
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1974ソビエト
監督:アンドレイ・タルコフスキー
脚本:アレクサンドル・ミシャーリン、アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ゲオルギー・レルベルグ
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
出演:…
ついに『鏡』がきましたね〜〜
ワタシもすごく好きな映画です。
好きというより
>「特別な」画を自分は見ているんだ、と思った。
そういうことですよね。
タルコフスキーの中でもっとも直接彼が表現したかったものに触れることが出来る映画なのだと思います。
「私にとって特別な」というものに映画がなるとき、それはとてもスゴいことが起きているのだろうと思います。それこそタルコさんが形にしたかった映画なのではないかと・・
ああ、また観たい。
はらしょー。
これはやっぱり特別ですよね♪
大爆睡した「ストーカー」は観たうちに入らないから保留として、「鏡」がタルコフスキーのマイベストですわー。
記憶、記憶、記憶。
映画の一つの理想型です。
アテネフランセもう一回行けるかなぁ。
manimaniさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
>タルコフスキーの中でもっとも直接彼が表現したかったものに触れることが出来る映画
おお、この言葉、とても納得のいく一言です!
きっとその通りなのでしょうね。
>とてもスゴいことが起きている、〜(中略)それこそタルコさんが形にしたかった映画
そうですよね!
私が一番感じたのは、「客観が主観に成り代わる映画」というものでした。
自分の眠っていた記憶を呼び起こし、自分の一部になりました。
「何かすごい映画」「とにかく惹きつけられる映像」
もうなんだか知らんがすげー、っていう。
これです、これなんです。
かえるさんへ
こんにちは〜♪コメントありがとうございました。
かえるさん、私も『鏡』がマイベストですー!
まだ『サクリファイス』と『僕の村は戦場だった』を見てないんですが・・
>映画の一つの理想形
まさにその通りだと思います。
自分が死ぬ前に自分の人生を振り返ってみるとしたら、こんな風になるんじゃないかな、なんて考えながら見てました。
『ざくろの色』を見た時に、やはり同じように「人の一生の記憶の総括」ということを思ったのですが、あちらが「伝記風に人の一生を描く、とても美しい詩」なら、こちらは「自分の主観的視点から見た、“自分の奥底に残る思い”」かなあ、なんて・・・
内側から描くなんて普通出来ないことですもんね。
>アテネフランセもう一回行けるかなぁ。
今回の特集のことですよね?
私はあと何度か通う予定なんですが、もしかしてかえるさんにバッタリお会いできるかしら