愛を読むひと ▲99
’08年、アメリカ・ドイツ
原題:The Reader
監督:スティーブン・ダルドリー
製作:アンソニー・ミンゲラ、シドニー・ポラック
製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン
原作:ベルンハルト・シュリンク 『朗読者』
脚本:デヴィッド・ヘア
撮影:クリス・メンゲス、ロジャー・ディーキンス
美術:ブリジット・ブロシュ
編集:クレア・シンプソン
音楽:ニコ・ムーリー
ケイト・ウィンスレット ハンナ・シュミッツ
デヴィッド・クロス (その後) レイフ・ファインズ
マイケル・バーグ
レナ・オリン ローズ・メイザー / イラナ・メイザー
ブルーノ・ガンツ ロール教授
アレクサンドラ・マリア・ララ イラナ・メイザー
む、どうしたことでしょう・・・。自分の場合、これを見てあまり心が動かされなかった。
普段、こういうタイプの映画が私は、大好きなはずなのに。自分の中でいろいろと構築していく世界観、全然嫌いじゃないのに・・・。そこまで没頭することが思ったほど出来なかった。
私にとっては、この物語、そもそもラブストーリーですらないんじゃないの?と思う。
肉欲イコール恋愛感情ではない。それはオーケー。ハンナにとって少年期のマイケルに対して持つ感情と、当時のマイケルにとってハンナへのそれは違っていて当然のこと。そのスレ違う様が描かれていた少年期は生々しくて、まだ良いのだけれど・・・。
自分にとって、公判を見て何十年後にマイケルがハンナにした行為は、ハンナにその意味を分かってもらいたいから、それが理由だったと思う。“無償の愛”と書いてあったのを後で知って「えっ!?」て感じ。
私は公判の間中、ハンナがそもそも、何故そこまで無自覚的になれるのか、ずっと不思議だった。「空きがなければ次々来る大勢の人を収容できないでしょう」(”空き”の字幕が、“開き”になっているのが気になったんですけど)、と平気で言うハンナ。
まるでアイヒマン裁判みたいだ。命令されたことを、もくもくと行い、その意味について考えなかった、“事務処理能力抜群”の、最もたくさんのユダヤ人を殺したアウシュヴィッツの所長。
アイヒマン裁判に関しては、自分にとって、アウシュヴィッツについて調べていた時に、とても興味深い物事の一つ。未だに忘れられない。
話が変わるのだけれど、私の以前の友人のダンナさんが、ナチス親衛隊のコスプレ服なんかを扱っているグッズショップを経営していた。
私は、長い間ずっと黙っていたのだけれど、ある時、つい口を滑らせて、「でもそういうのって、外国の人から見たら、無神経に映ることもあるみたいよ。」と余計なことを言ってしまった。普段から、私はあまり良く思っていなかったのが正直なところだけれど、彼女自身もあまり面白いこと、と思ってないようだったから、つい本音を言ってしまったのだ。
すると彼女は、それまで言っていたこととはうって変わった態度で、「でも、そんなの仕事じゃない!」と言った。「大人なんだから、そんなの割り切っているわよ」とすら言った。とにかく私は「アイヒマンもそう言ってましたよ。」と思わず言いたくなったのだった。
で、話は戻って、ハンナに対しても、そうしたユダヤ人虐殺に関わった無自覚な当時のドイツ人、これを表現しているのだと思う。
しかしこの映画で見ると、ハンナが隠し通したこと、それだけが理由であるかのようにも見えなくもない。いやそこにこそ、そうした無自覚と自己欺瞞が隠れていたのだろう。
自ら感動を覚えたりせず、目の前の事実に対し、自分で判断したりしないハンナは、自分の感情を物事と切り離したような冷たさがある。
そのハンナが、物語を自ら語るようになって初めて、おそらく感情の持つ意味を理解した。
そこがこの物語の核心なのだろう、と思う。

1958年のドイツ。15歳のマイケルは21歳年上のハンナとの初めての情事にのめり込む。ハンナの部屋に足繁く通い、請われるままに始めた本の朗読によって、2人の時間はいっそう濃密なものになるが、ある日、ハンナは忽然と姿を消す。1966年、大学で法律を学ぶマイケルは傍聴した法廷の被告席にハンナを見つける。裁判に通ううちに彼女が必死に隠し通してきた秘密にようやく気づき、衝撃を受けるのだった・・・
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愛を読むひと
『愛は、本に託された』
コチラの「愛を読むひと」は、全世界500万人が涙したベルンハルト・シュリンクのベストセラー小説を映画化した6/19朗読の日に公開されたPG-12指定の大河ロマンスなのですが、公開初日に早速レイトショーで観てきちゃいましたぁ〜。第81回アカ….
Reservoir catsさん
この映画はドイツが舞台ですが全編英語で演じられていますね、「ワルキューレ」もナチスドイツの映画ですがトム・クルーズはともかくヒトラーが英語で話します。
ハリウッド映画は何も考える事無く外国の物語を英語で製作してしまいますが、これが違和感を感じてどうも素直に見られません。
「シャネル」が丁度アメリカとフランスで同時に作られていますが見るならやはりフランス版と思います。
とらねこさんはいかがですか。
映画「愛を読むひと」
原題:The Reader
ハンナ役を引き受けていたニコール・キッドマンが妊娠発覚により降板したといういわくつきのこの映画、焦点は年上の女性への憧れか親子の断絶か・・・!?
当時15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)とハンナ(ケイト・ウィンスレット)が初めて出…
tatsuさんへ
二度目まして、こんばんは〜!コメントありがとうございました。
私は『ワルキューレ』の方は、トム・クルーズが出ているというのに撃沈して、思わずスルーしてしまいました!やっぱりトム・クルーズ以外でも、違和感ありありでしたか。そうですよね、ヒトラーが英語なんて!w
ただですね、私の場合、この作品は、監督のスティーブン・ダルドリーのこれまでの作品が、好きなものが多かったんですよね。
『めぐり逢う時間たち』に『リトル・ダンサー』、どっちも好きで・・・特に自分は『めぐり逢う時間たち』が本当に好きでした。
なので、本当はドイツ語なのに英語劇か、と言うただそれだけで、判断をするつもりはなかったんです。
ただ、その気持ちは十分、分からなくはないんですよねー!やっぱり、ドイツ語の話だったらドイツ語で見たいよなあって、どうしても考えてしまいますよね。
『ココ』の物語ですが、ちょっと話は飛ぶんですが、
どうやら現在、フランス版の『ココ・アヴァン・シャネル』、ココの指から煙草を消すことを拒否して、CMが締め出しをくらってるんですってね!
ふーん、やるじゃない、なんて思ってしまいます。フランスの映画は強気でいいなあ!
私、シャーリー・マクレーン結構好きなんですよ、ただ、やっぱりきっと映画を見ている間中、「うーん、ココ・シャネルはフランス語で喋って欲しいなあ」って思っちゃいそうです。
でもどっちも見ようかな、なんて思います!だって気になっちゃって・・・。
比べるのも良さそうですね♪
とらねこさん、こんばんは
こちらの記事を読んですごく観たくなりました。そういう映画なのか〜
>「アイヒマンもそう言ってましたよ。」
これは言っても大丈夫なんじゃないかな。どこかで謹んで使います。これ。
ところで最近ブルーノとアレクサンドラはいつも一緒の映画に出ているのですが、なんなんでしょうね〜〜〜〜〜〜〜?
こんにちはとらねこさん。
私、この原作読んで感動したものですから、映画は別物として鑑賞しました。
ハンナはやはりドイツ人でもっとデーンと構えている人の方が・・・・・。でもケイトも熱演していましたね。
ストーリーの展開も原作とは「力」が違っていてイマイチ感動できない部分がありました。
名作を映画化するのは難しく、先日観た「MW」も同じように原作とは別物だと感じたのですが・・。
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
愛を読むひと
公式サイト。原題:THE READER。スティーヴン・ダルドリー監督、ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デヴィッド・クロス、アレクサンドラ・マリア・ララ、レナ・オリン、ブルーノ・ガンツ。冒頭近く、ヨーロッパ文学のカギは“秘密”にあり、それは奥に隠された真実…
manimaniさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
おお、なんだか分かりずらい文を書いてしまったかな、なんてちょっと反省していたのですが、さすがmanimaniさん。よくぞこれだけで言いたいことが分かってくださって、・・ありがとうございます><
>アイヒマンもそう言ってましたよ
ナチ戦犯と一緒にするのもどうかな、って思うんですが、やってることの意味を考えずに仕事にする、ってなんだか疑問に思えて仕方がなかったんです。
>ブルーノとアレクサンドラ
本当、『コッポラの胡蝶の夢』とこの作品、次の『バーダー・マインホフ』まで一緒なんですねえ!
バーダー・マインホフ、こないだ予告で見ました〜!マルチナ・ゲデック!と心躍りました♪きっと見ます。私。
cinema_さんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
おおー!cinema_61さんも、原作を読んでそれに感動していらしたのですね!
なんだか私、主人公の気持ちがあまり理解出来なかったんですよ。私も友人も同じで、「これ、原作読まなければ分からないところがいっぱいだね」なんて話していたんですよね。
そうか、力の入っている箇所が違うのですね。それだと、原作を読んだ人には物足りなく思えてしまうのかもしれませんね・・・。
『MW』も映画はいまいちなんですね。しかし、cinema_61さんも、結構幅広い映画の見方をされますね!私は『MW』は全くチェックしていませんでした!
「愛を読むひと」キュートで切ない愛
奇しくも今回、第二次大戦中と大戦後のドイツを舞台にした映画を、立て続けに観ることになった。
テーマは全く違うけど、悲しい過去は、確かに消せないのだ・・・・
匿名さんへ
はじめまして、こんばんは!コメントありがとうございました。
ええと、匿名さんは、他の方のところにも全く同じコメントを書かれていらっしゃいますよね?
ごめんなさい、単にコピペされただけなのかな、と言うことですと、私の感想を読んでいただいているのか、ちょっと疑問に思ってしまうもので。というのは、私が書いたことと全く逆のことをおっしゃられているものですから。
まず、ハンナが冤罪であるとどうして言い切れるのか、冤罪の定義に当てはまると、あなたが考える理由が知りたいです。
私はハンナは、深い罪を犯していたと思います。確かに、彼女は裁判の場で、同じ立場にいた人たちによって、責任者であるかのような、重要な罪を押しつけられてしまいますね。それは、他の人が無罪でないのと同様に、ハンナに罪があったことに違いはないのですが。ハンナが他の人と決定的に違っている点が一つだけあります。
それは、ハンナは罪に対して、他の人がそれを自覚していたのと違い、無自覚であったということです。ハンナが隠し通した、文盲であったこと、これは果たして、「罪を犯していない」ことになるでしょうか?いいえ、もちろんなりません。
そこにあった文字は確かに読めなかったかもしれません。でも、目の前で行われていることに対して、「居なくなった人たちがどこに行くのか」、「自分が人を選んだ結果、その人たちに何が起こるのか」、それについて想像を巡らせることがなかったのでしょうか?
私がハンナの気持ちが分からないのは、そこなんです。原作を読んでいないので、映画を見ての感想だと言うのは、あらかじめ申し上げておきますね。
で、「文盲であることをひた隠しにする」という頑固なつまらないプライドは、自分が大きな罪を犯していることに対する、無自覚さから来ているため。そこが、他の看守と圧倒的に違っている点であり、そこがこの物語の胆であると。
愛を読むひと
愛は本に託された
こんにちはー。
私はこの作品、結構好きでした。そのポイントは、「世の中はこんなもんだなー」感があったところです。
ちなみに私が一番疑問だったのは、「文盲ってのは、そこまでして(自分の刑を重くしてまで)隠さなければならないほど、恥ずかしいものなのか?むしろ恥ずかしい以外の理由があったのでは?」というところでした。しかし、公判での彼女の発言は、「罪滅ぼしのために、より深い罰を受けよう」などという感じではありませんでしたし、「ううむ?」と思ってしまった次第でして。
それにしても、「アイヒマンもそう言ってましたよ」は痛烈な一言ですねぇ。(言ってないみたいですけど)私は劇中での話で言えば、ハンナの行為は「しかし、そうしなければ自分が親ユダヤとのレッテルを貼られて殺されてしまいかねない」であるから故で、それは仕方がない部分もあったんじゃないかと思い、とらねこさんほどには違和感を感じませんでした。「あぁ、でも自分が同じ立場なら、ハンナと同じことをしてしまうかも知れない」と。
そうなったことがないから分からないのですが、人間って極限状態になると、自己(精神)防衛のために思考停止状態になっちゃうんじゃないか、などと思ったりもしますし。同じ程度の無自覚さでありながら、あの時代にあの場所で生きたから「大罪」を犯してしまったハンナと、平和で豊かな時代に生きているからあまり罪を犯さずに済んでいる自分を比較して、あまりエラソーなことは言えないな、と思ってしまうところがあります。もちろん、ある種の事柄については、「自分が出来ようが出来まいが、○○であるべきだ」と主張しなければならないことも理解はしているつもりなのですが。
それにしても、フツーのラブストーリーだと思っていたので、前半のソフトAVかっというくらいのエロっぷりと、後半の重さ、そして両者のギャップには参りました。
愛を読むひと
現在公開中のアメリカ・ドイツ合作映画、「愛を読むひと」(監督:スティーブン・ダルドリー)です。TOHOシネマズ六本木シアター3で観賞しました。
例によって予備知識ゼロで観た…
時代が変われば正義や美学も変わってしまいますからね。
ハンナが行った行為も今の正義で見れば「悪」ですが、当時の時代背景から見れば一概に「悪」とは言い切れないんですよね。
これは神風特攻隊が当時は美学でも今は愚行と思われているのと似ていると思います。
背景を考慮しない正義は時と場合によっては「悪」にも変わる。
そう思うと「アイヒマンもそう言ってましたよ。」という言葉にちょっと恐怖を感じました。
『愛を読むひと』
朗読がある種の性行為なら、読書は自慰行為かも知れない。そう思えるほど大人で知的で官能的な愛の映画でした。
一般的にはこの作品でオスカーを受賞したケイト・ウィンスレットに注目が集まると思いますが、個人的には年上女性が好きな男心を丁寧に描いた名作だと思いまし….
『愛を読むひと』を観たぞ〜!
『愛を読むひと』を観ました幼いころに恋に落ち、数年後に劇的な再会を果たした男女が、本の朗読を通じて愛を確かめ合うラブストーリーです>>『愛を読むひと』関連原題: THEREADERジャンル: ドラマ/ロマンス/戦争上映時間: 124分製作国: 2008年・アメリカ/ドイ…
『愛を読むひと』 THE READER
原作が好きなので・・・。アンソニー・ミンゲラ監督で「朗読者」が映画化されるんだってという情報を聞いたのはずいぶん前のこと。私がその原作小説を読むよりも、そのニュースを知ったことの方が先だったかもしれない。ベルンハルト・シュリンクの小説「朗読者」を読んだの…
愛を読む人■歴史といかに向き合うのか?
原作となった「朗読者」は評判がいいことは知っており、また周辺から薦められているが未だに読んでいない。ハンナを演じることは、女優にとっては願望ではないだろうか。もし、80年代であれば、メリル・ストリープが演じていたのではなかろうか。2000年代ではケイト・ウィ…
マサルさんへ★
こんにちは〜♪コメントありがとうございました!
>文盲以外の理由があったのでは
裁判の場面で初めてそう気付くような描き方であれば、私もことによるとそう考えたかと思います。
ですがこのシークエンスの前に、以前にもそうしたことがありましたね。車掌の仕事を長年続けたハンナが、忠勤を称えられ事務職への昇格を告げられた途端、行方をくらましましたが、あの事件があったために、文盲に関するハンナの気持ちはハッキリ明確に描かれていたと思います。
また同時に、この職に就いていればハンナはユダヤ人強制収容所で働くこともなかったのかもしれない、と考えてしまう一因にもなりますし、一体なんでまたそんな場所で働くことになってしまったんだろう、とやるせない気持ちになりました。
私はこの主人公の気持ちが分からない、と言っておりますが、実のところ「分からないより分かりたくない」のが本当だったりします。
そうした状況にもし自分が出くわしたら、一体どの様な行動を取ったのだろう、ということに関しては『ヒトラーの贋札』の時にマサルさんのところでお話した議論と大体似通うかと思いますので、ここでは割愛させていただくことにしまして。
上の「匿名さん」のコメント返しのところで文字数制限に掛かってしまいましたので、言い切れなかったことについて少しお話しさせて下さい。
「イノセント」という言葉が有りますよね。私はこの主人公、イノセントであったか?と考えると「イエスでありノーである」と思います。
イノセントは「純粋である」とも「悪意がない」とも「無実である」と訳すことが出来ますが、主人公に悪意があってした罪ではない、それは確かです。でも無自覚であったが故によりいっそう罪深いという、二重の構造を見ることが出来ました。
つまり贖罪以前に、まず主人公は目覚めなければいけないのです。
> あの事件があったために、文盲に関するハンナ
> の気持ちはハッキリ明確に描かれていた
私もそれは理解していたんですが、「それでも」裁判の場面でも隠すというのは、ちょっと違和感ありまくりで….。「どっか見落としたっけ?」とか思ってしまいました。
「悪意のない罪」は、「悪意のある罪」と対比して、社会がそれを抑える(減らす、根絶する)のが難しいものです。「やっかいなもの」と言っても良いでしょうか。ミクロでいえば「善」であるものが、マクロでは「悪」となることもままありますし。どのあたりに視座を構えるべきなのか、あるいは視座が変わろうとも不変の「善悪の基準」を自身の中にいかに構築すべきなのか。我々が歴史から学ぶところは、単純な記憶や経験値の積み上げではなくて、「判断基準の可変性/不変性」といった「モノの見方・考え方」にあるのだということを、この映画およびとらねこさんのコメントから教わった気がします。
愛を読むひと(アメリカ/ドイツ)
アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞だからね。
ってことで「愛を読むひと」を観ました。
( → 公式サイト
)
出演:ケイト・ウィンスレット・レイフ・ファインズ・デヴィット・クロス、レナ・オリン
上映時間:124分
15歳のマイケルは21歳も年上の…
にゃむばななさんへ
こんにちは、コメントありがとうございました!
ところで今回は、出かけていたもので、お返事が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした!
>当時の時代背景から見れば一概に「悪」とは言い切れないんですよね
その辺りに納得できかねます。ナチスが行った残虐行為というもの、特に強制収容所において行われていたことは、
「当時の時代背景で見て悪と善との区別のつかない」というものでは断じてない、と思います。
よく戦争に勝った方が正義で、負けた方が悪だ、と言う言い方をする時がありますが、ナチスドイツの行った行為は、そうしたことを凌駕するものであった、ということは、ハッキリ認識すべきことだと思うのですが。
当然、当時の帝国日本軍の精神性や、神風特攻隊と一緒に語るべきものではないでしょうね。
だからこそ大戦終了時に、そうしたナチ戦犯の裁判が、実際に実行に及んだ人物というまでに、被告人の検挙される範囲が拡がり、行われたこと。その辺りについて、少しご自分なりに掘り下げる必要があるかもしれません。
とらねこさん、こんにちは♪
相変わらずかるーく受け止めた感想しか書けませんでしたがTBさせていただきました。
ラブストーリーなのかと思ったら全然…。
最後のハンナの選択は私には重たすぎて息苦しくなっちゃいました。
と、軽いコメントしか書けませんでした。ごめん。
マサルさんへ
マサルさん、再びこんばんは。コメントありがとうございます。
私ちょっと出かけていたもので、マサルさんのところへの訪問が遅れてしまいまして、そのためにもう一度こちらへコメントをいただく形になり、申し訳ありませんでした!実家にPCがないんです・・。うう・・。
>罪と悪意について
罪における悪意の介在性に関して、善悪の価値基準、ということを置いて、また別の見方が描かれているところがこの作品では興味深いと思うので、そこに注目してみませんか。
“ハンナはむしろ、悪意はなかったが、想像性に欠けていた”と描かれていましたね。
この想像性の欠如こそが、何百人もの人を処刑しておいて、その事実に関して追求することさえしないという・・。つまり、当時のナチスドイツの精神性を表していたものがこれであった、というある種文学的な描き方をしていたと思います。
文盲であったことはハンナにとって耐え難いコンプレックスであったように描かれていますが、ハンナが本当に可哀想である理由は、単に文盲であることでしょうか?
私は、文字を認識する以上に、創造性、感受性を持つことのなかったハンナがそのままに死んでゆくことの方が彼女の魂にとって真の意味で可哀想なことだと思いました。
彼女は自分の罪を自覚して死んでゆきますが、彼女自身が贖罪についてまず目覚め、認識すること、これが描かれていたと思います。
私は、彼女の魂を本当の意味で救う行為が、マイケルのした行為だと思っています。マサルさんがおっしゃったように、それは二重の意味を持っていて、逆にそれによって彼女には苦しみを与えられました。
マイケルのした行為には、私にはそれだけの深い意味が込められていたと思います。
キリスト教的な考え方においても、その最後に関しては意見が分かれそうですし、日本人には少し分かりずらい世界観であったかもしれない、と思います。
たびたびスミマセン。ちょっと衝撃を受けてしまったもので。m(__)m
> マイケルのした行為には、私にはそれだけの
> 深い意味が込められていたと思います。
そ、そうか…私はこの映画の真意を完全に見落としていました。マイケルの行為は、「愛情」なのか、それとも彼なりの「贖罪」なのか、あるいは「哀れみ」に近い感情なのか..と思っていましたが、(彼が意識していたかどうかはともかく)ハンナに「自分がしたことの愚かさ、重大さ」を知らしめ、それによって彼女を真に罪に向き合わせるという意味があったということだったのか…。だからこそ、最後に缶を残し、それを遺族に私に渡米するシーンにつながっていくわけなんですね…。
今回はもう、ほんっとうに恐れ入りました。m(__)m
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わずか1ページで終わった恋が、永遠の長編になるーーーーー。
6月20日、東宝シネマズ二条にて鑑賞。ケイト・ウィンスレットが本作でアカデミー賞主演女優賞をゲットした。いやあ彼女が立て続けに賞を受賞しているので、驚きです。勝利の女神が彼女に取り付いたのかもし…
AnneMarieさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
いやいや・・・軽いコメントで全然構わないッスよ〜^^;
私の方こそ、コメント欄にいろいろ書いちゃいましたが、結局それほど面白いと思ってない、というのが本音だったりして
大きな声じゃ言えませんが(アセアセ)
しかしこれ評判いいみたいですよね・・不思議です。
マサルさんへ
いえいえ、たびたびありがとうございます♪
そうなんですよ。マイケルのした行為は、とても深い意味がそこにあったのだと思います。
遺族が缶のみを受け取ったところは、とても素晴らしいシーンだったと思います。
文盲であることを告げたところ、「それが理由になるの?」と言っていましたが、マイケルが他の誰にも言わなかったことですものね。
お金を受け取ることは出来ないが、その錆び付いた紅茶の缶だけは受け取るのですよね。
イラナ・メイザーの深い怒りは感じましたが、缶を受け取っただけでも、彼女の深い人間性を同時に感じることが出来ました。
ハンナの真意はどこか心の奥では通じていた、そう思えたシーンでじわっと感動しました。
私も原作は知らなかったので、前評判や宣伝から感じた
印象とは随分違って、ちょっと驚きました。
ハンナが自分の命がかかってる時にも、隠し通すことに
驚きましたが、この辺は結構リサーチされているようですね。
非識字者は驚くほどひた隠し、露見しないような行動
パターンを徹底的に取るようです。
またマイケルの立場でも好きな人の窮地なら、幾ら好きな
人が頑なに隠していることでも、それを尊重することは愛なのか?
なぁんて見ていた時は思ってしまい、後半から2人にはあまり
共感できず、また何故そんな行動にいくのかよくわからなかった
のですが、モヤモヤと反芻するうちに、少しづつこれは
「無知(非識字であることも、また想像力の欠如した無自覚で
あることも)の罪の大きさ、その愚かさ」を描いているのかな、と
思えてきました。
ただ、それはハンナひとりの問題ではなく、裁判長も
答えられなかったハンナからの「貴方だったらどうしますか?」
という言葉も同時に強く観客に問うているように思います。
あと、とらねこさんはハンナが「車掌」→「看守」の仕事に
就いたと受け取ったようですが、これは時代を考えると
もしかして逆なのではないかな?という気もします。
出会った時点ですでに戦後のような印象だったので。
そして、そうすると、1泊旅行で訪れた先の教会でハンナが
(マイケルが近寄れない位に)大泣きしていた意味も強く
なってくる気がします。彼女にとっての教会の意味が。。。
余談ですが、この作品に限らず、英語圏以外の国が舞台になり、
その地の登場人物が描かれているにも関わらず、英語劇に
なっているというのは、洋画では結構な頻度で見かけますが、
この映画の場合は、原作者自身も英語劇になることを
望んでいたようです。そうすることで、より多くの人に
見てもらえ、考えてもらえる機会になるから、と。
ochiaiさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。ちょっとお久しぶりです!コメント嬉しいです。
なるほど。真実を語ると誓った裁判の場ですら、文盲であることを隠し通すこと、さらにその後何年も刑を受けることに対して、見ている間はやはり疑問に思っていました。リサーチでは、文盲であることを隠し通す傾向があるのですね。
ただ私は、現実に即しているか、リサーチの結果よりも、“それが何を表現しているのか”、象徴表現としてそれが気になりました。
それから、ハンナの職が、看守→車掌の順番だったこと、なるほど、と思い至りました。マイケルが会った時が15歳で、その後公判で見たのが大学か、大学院の授業もしくは実習、と考え、だいたい20歳前後かなと、その間の時間の経過を思ってあまり考えておりませんでした。
そしておっしゃる通り、自転車旅行で、教会でハンナが泣いていたこと、その1シーンがありましたね。私は無自覚、と言いましたが、無自覚というより、“思考停止”もしくは自覚しない状態に自分を持って行く、非自覚と言った方がより正しいようですね。
ハンナはその罪を、“文盲”を隠す裏に、その記憶あるいは悔恨の情、真実の追求、それらを追いやっていたのでしょう。普段感情を殺した状態、“思考しない・想像しない”固い心に閉ざしていた。
文盲の後ろにあった様々なことが、“創造性”という裏に全て押し殺されているという表現だったようです。この頑なさ、おそらくハンナは墓場まで持って行く覚悟だったのでしょうね。少年の頃のマイケルが出会ったハンナがどこか冷たい、心の死んだような冷たさに溢れていたのも、それが理由だったのでしょうね。
英語劇になることで、英語圏の人全てに見てもらえる可能性が増えるのですものね。やはりそれは大きいことですよね。そう望んでもおかしくないことと思います。
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