愛の奴隷 ▲95
’76年、旧ソ連
原題:РАБА ЛЮБВИ/A SLAVE OF LOVE
監督:ニキータ・ミハルコフ
脚本:フリードリフ・ゴレンシュテイン、アンドレイ・コンチャロフスキー
撮影:パーベル・レベシェフ
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
エレーナ・ソロベイ オリガ・ニコラエヴナ
ロジオン・ナハバトフ ポトツキー
アレクサンドル・カリャーギン カリャーギン
コンスタンティン・グリゴーリエフ フェドートフ憲兵隊長
オレグ・バシラシヴィリ ユジャコフ
『十二人の怒れる男』のリメイク、『12人の怒れる男』のニキータ・ミハルコフ監督作品、脚本に彼の兄である、コンチャロフスキー。
“白夜映画祭Ⅲ”にて見て来ました。
全体的にはメロドラマとして進む物語であるものの、その切り取った時代というものは、ソ連にとって非常に難しい時期でもある。ロシア革命後の混乱を極めた1918年。レーニン率いるボルシェヴィキがロシア=ソヴィエト連邦社会主義共和国を樹立するも、連立政権であった左翼エスエルが離脱し、ボルシェヴィキは首都モスクワに留まる。経済的にも貧困にあえぎ、農民たちの武装蜂起も各地で決起する最中、社会主義建国の理想は遠く、内紛は混乱を極めた。(参照サイト ; 1917年のロシア革命)
無声映画のヒロイン、オリガやその監督たち、映画製作陣は黒海沿岸へと拠点を移していく。だがフィルムが届かなかったり、主演男優が来なかったりと、映画製作は座礁に乗り上げてしまう。そんな中、一人冷静なカメラマン、ポトツキーとオリガは、毎朝散歩に行くようになっていく。ポトツキーは共産党員であることをオリガに指摘されても隠そうとせず、逆にオリガに今何をすべきかをハッキリと諭すのだった。これまで何も考えていなかった人気女優のオリガは、そんな自分に気づくのだった。
こうして、時代性を追いながら物語のあらすじを整理していると、その言葉と実際の映画のテイストが、全く異なっていることに我ながら驚いてしまう。
どこか能天気な、可笑しさすら感じさせるような雰囲気と、女性を主人公にした、ラブストーリーであるメロドラマ。それらと社会主義の革命というものが、まさに芸術の自由さともいうべき妙味のある、世界観を作り上げている。
明らかに、ミハルコフが立っているのは、レーニン率いる、ボリシェヴィキの理想的社会主義提念だ。しかし、そこはおそらく重要ですらない。ミハルコフはヒューマニズムの人である。そして、単に娯楽である“中立の”芸術の中途半端さ。これをひしと感じる。
随所随所で感じるハッとするような映像の美しさ、面白さは目を惹かれるものがある。
特に、ラストのトロッコの描き方はとても印象深い。ずっと心に残りそうだ。

メロドラマの巨匠が、革命の嵐に翻弄される無声時代の大女優をヒロインに描く撮影所物語。首都の混乱を避け、疎開先の黒海に映画製作の場を移しながらも、時代の変化も政治情勢も、大衆の嗜好の変化すらも感じ取れない業界人の俗物ぶりを皮肉な眼差しで描きながら、木漏れ日やシルクシフォンに彩られた麗しい女性像に陶然とさせる・・・(下高井戸シネマ説明文より)
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