ロープ ▲86
’48年、アメリカ
原題:ROPE
製作:シドニー・L・バーンスタイン
製作・監督:アルフレッド・ヒッチコック
脚本:アーサー・ローレンツ
撮影:ジョゼフ・ヴァレンタイン、ウィリアム・V・スコール
音楽:レオ・F・フォーブステイン
カデル氏 ジェームズ・ステュアート
ブランドン ジョン・ドール
フィリップ ファーリー・グレンジャー
ケネス ダグラス・ディック
ジャネット ジョーン・チャンドラー
デビッド ディック・ホーガン
Mr.ケントリー セドリック・ハードウィック
劇中時間と現実時間を一致させるという、ヒッチコックの野心的な一作。1シーン1カット、ほぼ編集していないように見せるというやり方の今作。
物語は、一人の共通の友人の殺害をした、まさにその劇的なシーンから始まる。二人の男たちが殺しというのをやってのけ、その後、恐れを知らないブランドンは更にスリルを味わうためにパーティーを開く。死体をチェストに入れて隠し、その上にテーブルクロスを敷いて、その上で食べ物を振舞う、などということを思いつく、傍若無人な若者だ。一方、一緒に殺人を手伝ったフィリップの方はオドオドと落ち着きがなく、グラスを思わず割ったり、怯えていて二人は両極端。
残念ながら見事!というほどの驚くべき何かを感じるサスペンスではなかったと思う。キャラクターの心理描写や、事件の露見するハラハラドキドキする緊張感、といったものは特に感じることが出来なかった。
ただ実験的な手腕を試したかった、という一作品のよう。ストーリーは単純で、いかにもフィリップは今にもドジを踏みそうであり、ブランドンは人間的でないまでに堂々としすぎていて、彼のその殺人論・・・「優位性を示すために殺人を犯した」にも特に面白さや目新しさを感じないせいかもしれない。
ただこの論理は、ラスコーリニコフと同じ動機で殺人を犯していると言える。『罪と罰』では、感じていなかったはずの善悪の観念、揺るがないはずだった信念、社会性や道徳性を“超えた”と思っていたはずの主人公が、自分自身気付かぬうちに自らの罪の重さから逃れられなくなっていくところが興味深い物語だった。ここ至るまでに長い時間が経過していて、その自らの罪の意識に苛まれる辺りを地獄のように感じたものだった。
こちらの物語ではそうした深いテーマ性は当然なく、その80分という短い時間の中で、殺人者の意識が変わっていくドラマではない。ただ罪が発覚するだけで物語が終わってしまう。その人間性を冒涜した論理だけが宙に浮かぶのだった。
ヒッチコックでなければ、単なる凡作の扱いに終わるだろう作品。
でも、この時代における実験意識だけは評価できる。

自分達を優れた人間だと誇示したいブランドン(ジョン・ドール)は、学友のフィリップ(ファーリー・グレンジャー)を誘って、同じく学友だったデビッドを「劣った者」としてロープで絞殺します。 殺人が露顕するスリルを求めるブランドンは、その晩、殺人現場であるその部屋でパーティーを予定しており、死体を隠したチェストを急遽テーブルの代わりに使うことを思いつき実行。やがてパーティーの客が訪れ・・・
2009/06/12 | 映画, :サスペンス・ミステリ
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コメント(2件)
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またまた 立て続けに コメントさせていただきます。
映画の作品の中には 実際に起こった事件を基にしたのもあります。 「ロープ」も そのひとつです。
「ロープ」自体も みました。 なんとも身勝手なふたりだ。なにが 優れた人間だ(怒り) チェストの中に死体を入れてパーティ・・・ 頭自体は良くても 人間的には 劣ってる大バカ野郎ですよ。
この映画の題材になったのは 1924年に発生した「レオポルド&ローブ事件」です。
大学の同級生のふたり レオポルドとローブの弟の同級生を身代金殺人で殺してるけど
犯行現場に レオポルドは 自分のメガネを落としているんですよ。
しかも 誘拐身代金の要求に 書いたタイプライターの活字がレオポルドが大学のゼミで使っているタイプライターのものと一致してるんです。
はぁ~ なにやっとんのぉ~ と つっこみたくなるくらいお粗末な証拠残しです。
動機は 自分たちが 他の人たちとは違い、選ばれた者たちである とだれか忘れたけど その著書「超人思想」に くだらん影響を受けて その証明のために 誘拐身代金殺人を実行し このありさま…。
それでいて 警察で取り調べでは「彼が殺人を実行して 僕は 運転手の役です やったのは彼です。」
と おたがいの責任転嫁してやがる。
「なにが 超人思想だ!トロ過ぎる」 ばれたら ただの”人”に過ぎない。自分の優位性を証明しようとした 代償は あまりに 大きい。とらねこ様 どう感じますか?
zebraさんへ
こちらにもコメントありがとうございます〜♪
おお!まさかここへコメントをくださる方が居るとは思わなかったので、意外でとても嬉しいです(笑)
zebraさんは、この映画の元になった「レオポルド&ローブ殺人事件」にとても詳しいのですね!
うーん、聞けば聞くほど、なんだかお粗末な事件のようですね。
あまり計画を綿密に行わず、ただ自分の哲学を実証するために行ってしまった、
いかにも思慮の足りない若者の行った事件のように思えます。
眼鏡を落としたり、実は自分の罪をお互いに軽減しようとして、仲間すら裏切るとか・・
超人思想はニーチェですかね?私がこの作品を見た時は、むしろ選民思想だと思いました。
こういう考え方って、自分が人より優れていると考えがちな、頭でっかちな若者が陥りがちな論理だと思います。
こういうのって、頭で考えるだけなら意外に誰もが考えそうなことなんですよね。でも、それを実行してしまうところが人間性や、倫理観の違いなのでしょうか。
でも、実際に殺人を行うという際に、いかにもお粗末なミスを犯してしまう辺りが、実はすごく人間らしいのかもしれませんね。
それが、ロープを持つ手を震わせるのかも。
後に引けなくなるその一瞬を、この映画ではもっと象徴的に見せるべきだったように思います。