ダウト あるカトリックの学校で ▲48
オフ・ブロードウェイでの演劇作品の映画化。
トニー賞&ピューリッツァー賞をW受賞したという、ジョン・パトリック・シャンリィ監督。’08年。
見ごたえのある台詞の応酬によって成り立っていて、思わず時間を忘れてしまった。

1964年のニューヨーク。ブロンクスにあるカトリック学校セント・ニコラス・スクールでは、校長のシスター・アロイシス(メリル・ストリープ)が厳格な指導を信条に日々職務を果たしていた。一方、生徒の人気を集めるフリン神父(フィリップ・シーモア・ホフマン)はストイックな因習を排し進歩的で開かれた教会を目指していたが、唯一の黒人生徒ドナルドと不適切な関係にあるのではないかという疑惑が持ち上がり、シスター・アロイシスによる執拗な追及が始まるのだった・・・
’08年、アメリカ
ジョン・パトリック・シャンレー監督
「信じること」と「疑うこと」。
この二つは、文字通りの意味だけでなく、キリスト教圏の人々にとってはもっと深い意味合いを含んだ言葉で、そこに得も言われぬ奥深さがある。
人を信じる事は、神を信じることに通じるものがあったり、疑いの念を持つ、ということに関しては“不信心”に繋がる。
シスター・アロイシスが「自分にも疑う気持ちが芽生えた」という言葉を告解して終わるラストは、フリン神父を信じることに対する疑いの念、つまり「本当は彼は正しかったのかもしれない」というもの、
それと同時に、そのような行動をした自分自身に対する疑いの念も芽生えている。だが、天にとって一点の曇りのない自分ではないかもしれない、というそのこと自体、信仰に生きる者にとっては至極深刻な問題である。自分にとっての“神との距離感”なのだ。
しかし一方で、ようやくこうして「疑い」を持ち始めて初めて、「では今までの信仰こそ盲信ではなかったのか」という問題に突き当たり、そこに真に向かうことが出来て初めて、自分の信仰に真に向き合う、こうしたことを予感させるラストだった。
それこそが、フリン神父が冒頭近くのスピーチで言っていた「疑うことで、信仰に自分自身をコミットさせる」ということ、この意味を改めて知ることになるのだ。
それから、教会やキリスト教に変革の風が吹いている、という設定の’64年当時、そうした時代性こそそっくりそのまま、今現在の自分たちの社会にも繋がってくる。
人を疑い、十字架の名の下に人を弾劾するシスター・アロイシスは、そっくりそのまま、戦いと犠牲の血を求めて荒れ狂うブッシュ政権を思わせる。
人間が人間を疑う、というミニマリズムの表現の中で、そのまま世界という大きな機構を表現する、この表現がとても興味深い。
ただ、この奥の深さは、正直キリスト教権でない人々にとっては、“神にとっての距離感”や、信仰についての思い・・・そうしたことに思いを馳せることが出来ず、ただ表面的に文字通りの意味で捉えてしまうと、正直キリスト教圏以外の国にとっては、理解が及ばないということになりそうだ。
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コメント(22件)
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Doubt (2008)
邦題:ダウト 〜あるカトリック学校で〜
監督:ジョン・パトリック・シャンリー
出演:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイヴィ
元々は舞台の成功作なだけに、めちゃくちゃ神経がキリキリ、俳優達が熱血で内容がド…
いやぁ〜本当に興味深い映画でした。
キャストの演技、会話の巧妙さにすごく引き込まれ、
あたしも時間を忘れるほどだったのですが、
確かにこのお話の深淵さは到底理解しきれてないかもしれません。
でも、すっごい見応えがあって、それでいて考えさせられる
ところが多くてあたしはめっちゃめちゃ好みな映画でした。
ダウト〜あるカトリック学校で〜
『それは、人の心に落とされた「疑惑」という名の一滴の毒… 神聖なはずのカトリック学校で、 何が起こったのか? トニー賞&ピュリッツァー賞W受賞の舞台劇、 衝撃の映画化。』
コチラの「ダウト〜あるカトリック学校で〜」は、1964年のNYブロンクスのカトリッ….
信仰と疑惑を絡めるあたりがキリスト教ですよね。
仏教とはまた違う意味合いを醸し出してくれますもん。
本当に見応えのある映画でした。
これこそ映画ファンが見るべき作品ではないでしょうか。
ダウト〜あるカトリック学校で〜
疑惑を持ち続けるには確信がいる。しかし確信は不寛容を生み出す。そして不寛容は疑惑を増幅させる。
メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン、エイミー・アダムス、ヴィオラ・デイビスという4人ものアカデミー賞候補者を送り出したこの作品は、カトリック学….
miyuさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました!
miyuさんもこちら、めちゃめちゃ気に入られたのですね!
私もそれを聞いて嬉しいです。
本当、演技と台詞によって、これだけの時間を退屈しないで見ることができましたよね!
舞台を見ているような感覚に陥ると同時に、台詞にはイギリスの古い小説を読んでいるかのように、含蓄豊かな言葉がたくさん使われていて、もうすっかり満足してしまいました。
にゃむばななさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
そうですね、“信じること”に対して“疑いを持つこと”、という言葉がどういう意味を持つか、というところで、ただ文字通りの“疑惑”では片付かないところがあるんですよね。
映画ファンが見るべき映画かどうか?は人それぞれだと自分は思うんですけど、
少なくても英米文学に親しんだことのある人間だったら、これはきっと面白く見ることができそうだ、と思います。
『ダウト 〜あるカトリック学校で〜』
監督:ジョン・パトリック・シャンリー CAST:メリル・ストリープ、フィリップ・シーモア・ホフマン 、エイミー・アダムス 他
196…
ダウト 〜あるカトリック学校で〜
神聖なはずのカトリック学校で、
何が起こったのか?
原題 DOUBT
上映時間 105分
原作戯曲 ジョン・パトリック・シャンリー 『ダウト 疑いをめぐる寓話』
監督 ジョン・パトリック・シャンリー
出演 メリル・ストリープ/フィリップ・シーモア・ホフマン/エイミー・アダム…
こんにちは!
法衣の下の生身の人間を感じさせる、
メリルとフィリップ・シーモア・ホフマンの演技でしたね〜。
ただ、予告で見所とか予想が付いていて、少年の母のシーン意外は
驚きがなく、そこが不満の残るところでした
やはり映画的面白さをどこかで待ってたんでしょうね
kiraさんへ★
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
>法衣の下の生身の人間を感じさせる
おー!素晴らしい表現ですね!
確かに、厚みのある人物描写だったと思います!
確かに予告を見てしまうと、それだけで話の予想がついてしまう、ってよくあることですよね〜。
映画をあまり見ない時期だと、自分の場合下手すると、映画を見た気にすらなってしまって、そのまま見なかったりすることもあるぐらいですよ。・・・
ダウト 〜あるカトリック学校で〜
校長のモチーフはあいつか?
【Story】
1964年、ブロンクスのカトリック系教会学校。校長でシスターのアロイシス(メリル・ストリープ)は、…
ダウト あるカトリック学校で
1964年。ニューヨークにあるカトリック学校の校長シスター・アロイシスは、厳格な性格で生徒達や他のシスター達を厳しく躾けていた。上級生を担任するシスター・ジェイムズは、教え子の異変をアロイシスに報告する。アロイシスは、教会のフリン神父が生徒に猥せつな行….
こんにちは。
とにかくインパクトのある映画でしたね。出演者達の演技力も素晴しかったですが、主役であるシスター・アロイシスの理不尽ぶりには驚愕しました。全体のために自分は規律を破るというのは、見方によっては良い事なのかもしれませんが、没収したラジオを使っていたりと、結局自分のためにしている事なんですよね。そのあたりも理不尽さに拍車をかけていました。
海外の映画は、その国や宗教の知識がないとちゃんと理解できない場合がありますよね。僕はそういう知識が無くてもこの映画を楽しむ事ができましたが、知識があればより深く理解できたでしょうね。
えめきんさんへ★
おはようございます〜!コメントありがとうございました。
本当、理不尽でしたよね。しかもあれだけ確信しているというのが怖い。
でも、こういう人って居そうですよね!
>没収したラジオを自分でも使用している
なるほどそうですよね!教師としての立場で生徒のものを取り上げたのだから、とりあえず学校に置いておくのが筋なのに、それを自分でも平気で私用に使っているんですよね。権力を我が物顔にしていて、その区別がついていない彼女の本質、これを表していたと言えますよね!
えめきんさんもこの作品を楽しむことができたのですね!
映画を見ていると一つの作品の裏に、その国の文化や宗教、習慣などが見えることもありますね。
こんばんは♪
あの『ハピネス』や『その土曜日〜』でお馴染みのホフやんが疑惑の神父を熱演て、あーた!
そんなもん疑惑ちゃうわー
やっちゃってるに決まってんだろッ!
と思ってたら、メリルの局の不寛容毒にあてられてホフやんが「ほんとはイイヤツ」にみえてくるからあら不思議!
エイミーたんが突然歌いだしネズミやゴキブリを召喚して、そりゃもう学校は大騒ぎさオチを夢想したんですが、そんなピンポイントでわたくし好みのレシピに仕上げてくる訳もなく重厚で考えさせられる良作でした
>神との距離感
お〜!なるほどそっか!
最後の告解はそうつながるのかと目からウロコですわん
舞台が神学校ですし確かにキリスト教圏のお話ですやね
80万光年くらい隔たりあるので思い至らず(笑)
みさま
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
本当!初め、「ホフやんだったらどう考えても怪しくしか見えない」と(爆)「これ、キャスティング間違ってないか!?」ぐらいに思っていたのに、彼のイメージすらキャスティングのうちだったとは!
『ハピネス』の印象が大きいですねー。あのイタ電が忘れられない!
今回、まさかの白判定・・元々の顔が怪しい、って、役者としては美味しすぎる資質なんですね。
エイミー・アダムスも、おぼこ新米女子教員の役がピッタリでしたねー。
『魔法にかけられて』。ネズミやゴキブリとゴキゲンに歌うシーンが、私は大好きでした!みさまってば嬉しいところをついてくれますね!
中には、あのシーンがダメだった、という人もいたのですが、私は大喜び。ホラーファンて、怖いものが何もないのかもしれません!えっへん。
そうですね、神との距離感、普通は言われてもピンときませんよね。
私は、フリン神父の説教がなかなか面白くて、その辺りからしてもう惹き付けられてしまいました。ただフリン神父のアプローチは、頭の固い信徒やシスターには、考えが及ばないような深遠に向かうため、ダメな人にはダメだろうなとは思いました。
天才型の神父だったと思います。あんな説教だったら私は毎週教会に通ってもいいなあ、なんて思いました。
「ダウト あるカトリック学校で」
確信なき信仰のぶつかり合い。M.ストリープとP.シーモア・ホフマンの競演と聞いただけで胸が躍るのだが、期待に違わぬ作品だった。冒頭にフリン神父が教会でとうとうと行う説教の場面。テーマはいきなり核心の「疑惑(DOUBT)」である。落ち着いた素振りと力強い言葉で聴…
『ダウト ??あるカトリック学校で??』
ここ最近、映画の感想が観た直後にあげられていない作品がチラホラ。。。
ということでいまさら感はありますが、『ダウト ??あるカトリック学校で??』の感想をアップしまーす。
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劇作家ジョン・パトリック・シャンリィが9.11の衝撃とその余波が大
ダウト 〜あるカトリック学校で〜
神聖なはずのカトリック学校で、何が起こったのか?
発売予定日は2009年8月19日
「ダウト 〜あるカトリック学校で〜」
主演二人のゾクッとくるくらいの名演技
『ダウト あるカトリック学校で』’08・米
あらすじ1964年、ブロンクスのカトリック系教会学校。校長のアロイシス(メリル・ストリープ)は、厳格な人物で生徒に恐れられていた。人望のあるフリン神父(フィリップ・シー…