ストーン/クリミアの亡霊 ▲41
’92年、アレクサンドル・ソクーロフ監督作品
ストーリー・・・
ある一軒の家(チェーホフの館)で番人(ピョートル・アレクサンドロフ)が、浴室に男(レオニード・モズゴヴォイ)を見つける。彼は水を求めてやって来たチェーホフが甦ってやって来たかのようだった・・・
どうやら、『セカンド・サークル』(’90年)と、この作品、そして『静かなる一頁』(’93年)で三部作だとか。
自分は知らずに三作品を全制覇していました。
この3つの中でも、一番実験的かつ難解なのがこちら。しかし、映像は何とも幻想的だった。
斜めに歪んだ映像がずっと続いたり、チェーホフが現れ消えてゆく、墓場の中の砂嵐の映像がすごい。
気づいた時に、人物の形を取っていたものが影に変わっていたり、砂嵐の中で白と黒がいつしか反転するその瞬間なんか、「あっ」と驚いた。
ベッドの上の人影のような形がいつの間にか黒い鶴の姿を取っているところも不思議で、幻想的。
どうやらチェーホフと思われる人物、これは亡霊というより、“肉体を伴って甦った”ということのようだ。何故そう言い切れるかと言うと、肉体の悦びを語るから。
思うように体が動かせず、ぎくしゃくとした動きから、着ていた服を着替え、正装をしていく内に、自分自身を一瞬取り戻す。その瞬間に、音楽が流れるが、(チャイコフスキー『エフゲーニ・オネーギン』かな?違ってたらごめんなさい、教えて。)ここがとても素敵だった。まさに“生の悦び”を思い出した瞬間として描かれていたように思う。音楽のある人生、それは生の喜びだ!
番人の青年とチェーホフは揃ってワインを飲み、乾杯をする。ほんのわずかな一かけらのつまみと、食器棚の奥にあった半分飲みかけのワインとで。
「あちらの世界はどんな感じなのか教えてくれ」と尋ねる青年と、「昔は自分もたくさん好きなものがあった・・・」と語るチェーホフ。
このシーンを見ながら私は、ゆっくりこんな風にワインを傾けたいものだ、と思っていた。生の悦びを感じるのに、ディナーとワインはなんと素晴らしい組み合わせだろう。音楽の流れる人生が有り難いものなら、ワインと一片のつまみとで人生を感じたって悪くない。
ワインを流し込むために、一片のチーズを少しづつ有り難く・・・。この少しづつが嬉しいのだ。食事は食べ過ぎても、酒は呑み過ぎても美味しく感じなくなるもの。
チェーホフの苦悩に満ちた顔つきは、まるでゴヤの自画像みたいに皺だらけ。「どうやったらこんな顔になる?こんな興味深い年輪の刻み込まれた人物が出来上がるのは、どんな物ごとの結果なのだろう」と、その皺を本のように読んでみたくなった。
『静かなる一頁』で水が滴り、水蒸気が上がる映像は、私は心を奪われた。まるでタルコフスキーのよう。
こちらの映像もまた、素晴らしく傑出していて、何とも実験的で、幻想的。
『静かなる一頁』とこちら、この二つの突出したモノクロの映像美は何とも私は好みだった!
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