169●クラウド9
東京フィルメックスにて鑑賞。
老齢のセックスを余すところなく描いた、問題作。
ストーリー・・・
結婚30年を迎えた、インゲ(ウルスラ・ヴェルナー)とヴェルナー(ホルスト・レーベルク)は、どこにでも居そうな、幸せな家庭を築いた仲の良い夫婦だった。だがある日、隣に住む孤独な老人、カール(ホルスト・ウェストファル)と突然性的関係が始まってしまい、彼らの生活は一変する。予想だにしなかった不倫関係は、老境であることすら忘れて、とんとん拍子に進んでゆき、インゲの恋は加速してしまうのだった。・・・
’08年、ドイツ。
アンドレアス・ドレーゼン監督。
ここまで赤裸々に老人同士のセックスを描いた作品て、見たことなかったかもしれない、と絶句するような出だしだった。
冒頭5分で始まった、“突然の恋”は、余すところなくその性を描き、見ているものに嫌悪感に近い爪跡を残す。
だが、還暦をとうに過ぎても、セックスは出来ると聞くし、実際、その年になってもなおお盛んにする人々というのも存在するのだろう。
こうして映像としてリアルに描かれることは稀かもしれないけれど。
だからこそ、こうして監督は故意に赤裸々に描いているのだろうと、リアルであるその事にヒヨって、これから目を背けてはいけないのかもしれない、などと思いながら。
老齢の人々がこうして抱き合い、心のままに相手を求め合う・・
自分にとっては、想像をはるかに超えた世界だったけれど、こうしたものをもし「見るに耐えない」など言おうものなら、それは、
高齢の人々に対してあまりに冷酷な一言だと思うし、そうでなくても、自分が加齢してゆく、その事自体に対して、あまりに想像力が無さ過ぎる。
高齢化社会になるに従って、人間の寿命が長くなり、医療は進歩して元気な老人が増えてくれば、
このように何不自由なく、還暦を過ぎてもスムーズなセックスが可能である人も、居るのかもしれない。
老いも若きも変わらず、なのだ。
結婚30周年。
それは、何を意味するのか、自分には想像するより他はないが。
「どこかの誰かと出会って、突然の恋に落ちる」。
この事は、どんな幸せな結婚生活を送っている人達にとっても、そうでない人にとっても、どこか心の遠くで、思い描く夢幻なのかもしれない。
「まさか、自分が」。
インゲは、老齢で、眉毛も無く、髪もクシャクシャなお婆さんで、お世辞にも美しいとは言えない。まさにどこにでも居そうな、普通の高齢者だ。
こうした辺りも、怖ろしいほどのリアリティがあって、特筆すべき美を備えている人でなかった、しかしこれも監督の意向なのだろうと思う。
恋に落ちたインゲが、「彼に会いたくてしょうがないの」、「頭の中は彼のことでいっぱいよ」という姿は、10代の若い少女と全く同じだ。
そして、「自分は恋してはいけないの?」「そういうことを考えてもいけないの?」と素直に自分の感情を表す姿に、ショックを受けたりもした。
確かに、老人になれば、朽ちて死んでいくものと我々は思っている。
そうでない老人が居たら、「醜い」と思う・・・。それは違う。
だがこれは、「老いも若きも、恋だ。」という作品ではない。
不倫関係は、若い頃の火遊びとも違えば、
ミドルエイジ・クライシスにあるような、中年の男女に訪れた、飽和した人生に彩りを添えるような、色めく艶事でもない。
後先を一切考えない向こう見ずな主人公の行動は、悲劇を呼ぶ。
この物語のラストには、私たちは悲しくなり、頭にすら来てしまう観客も居るかもしれない。
だが一番問題なのは、どんな幸せな時にあっても、それをブチ壊すような行動を取ってしまう私達の方なのかもしれない。
賢い人達は、そうせずに一生を終える人達もいる。
では、人間は間違いを犯さないか?
賢い人間は、常に正しい行動を取るか?
・・・これも違うのだ、悲しいかな。
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