88●痴人の愛(’67年)
男と女は、どちらかがより多く愛した方が、負けなんだろうと思う。
「人を愛するのに、勝ち負けなどでは決してない、むしろ損得などを省みない、無償の行為だ」などと言う人もいるかもしれない。
愛し合っているその力の均衡、強弱がバランスを取れていれば、
それは一見美しい形を取っているように見える。
しかし、個人の“我”と個人の“我”が溶け合い、むしろその一個の人間の個性という“枠”から溶け出そうという、この愛って感情は、それほど美しい情念の有り様を保ち続けることが出来ない。
一人の肉体と一人の肉体とがなまめかしく絡み合い、相手に侵入し、溶け合い、閉じられた殻がそこから抜け出して、相手と一体になろうとするその行為。
“孤独”という、そこに留まり続けるには寒々とした“殻”を、一旦とは言え忘れ、それを何か心地いい受け皿として、絶対的な“個”であり続ける代わりに、自我の殻から流れ出し、溢れさせていくその愛という輩。それはむしろ、肉体の法というより、精神的なものとして“実感”することこそ、人が愛と呼ぶものに固執する所以なのではないかと。
本当に愛を知ると、その時その人はもはや一人の“個”ですらない。
相手はむしろ、自分の一部なのだ。
その相手はもはや戦うべき相手ではない。
だけど、本来は個であったはずのその境界線が、オーバーフロウして相手を求め、個とその境目とを失くしていくような、男と女の泥試合・・。
どちらが上に立つか、どちらの個性に呑み込まれていくか、弱い個性である方が、いつしか影響を与えられてしまう。“調教”されてしまう、と置き換えてもいいかもしれない。深い付き合いをしたことのある人なら、経験したことがあるだろうと思う。
’67年、増村保造監督。
原作は、谷崎潤一郎『痴人の愛』。
安田(大楠)道代、小沢昭一、田村正和、倉石功、村瀬幸子
原作が元々大好きで、『盲獣』のメガホンを取った、増村保造監督作品と来たら、それは是非見なければ!と。『盲獣』では、原作をかなり意識して改変、しかもとても面白い作品に作り変えていたので、この『痴人の愛』がどうなっているか、この目で確かめたくなってしまったのでした。
まさか、コメディだったとは・・・。
ちょっと驚いてしまいました。
主人公、譲治(小沢昭一)は、原作では真面目な男として描かれていて・・・
とは言え、年端もいかない若い女を自分の家で育て、一緒にお風呂に入れる、なんて、この人ってやっぱり“隠れ変態”なんだろうな、とは思ってた。
「少女を自分好みの女に育てる」なんて、それはまさに男の夢、理想なんだろうなと。
“谷崎版、『源氏物語』紫の上”と思っていた私。
普通であれば、羞恥である感情を、あまりに上品に、そして耽美な変態の世界を描く、谷崎文学の傑作であるこの作品。
主人公の譲治さんを、眼鏡チビの三枚目キャラにして、ここまで笑える感じにされちゃうなんて、・・・参った。
初めは相手を自分の思うような女に教育しようと思っていたのに、相手の女がアバズレで、到底自分の思うような女には育たず・・・。
だけど、決して相手から離れられることが出来ずに、相手の要求を全て飲み、“お馬さん”になって畳の上を這いつくばる譲治。
もうね、みっともないんですよ、譲治が。哀しさが漂っているんですよね。
惨めだし、阿呆だしね、そこまで相手に全面降伏、全て要求を受け入れるという、プライドを捨て去ってしまう姿が、・・なんだか惨めでみすぼらしくて、そして笑えてしまう。それなのに、何故か涙が止まらないんですよ。そんなプライドを捨てる姿が悲しくて、やりきれなくなった、そんな谷崎の原作だった。
「永遠の夫」なんですよね、なるほど、紫式部でもあり、ドストエフスキーでもあったんだな、と。
この増村作品ではもっと、全編通して、笑いどころ満載になっていた。
譲治役の、小沢昭一が、とにかく表情も可笑しいし、チョコチョコとした動きが、面白くて・・・。
安田道代の大根役者ぶりも、この譲治役とのアンバランスさが妙な味になっている作品だった。
そんな訳で、譲治のアホらしさだとか、どうしようもなさ、
それに負けず劣らず、ナオミの男関係のだらしなさにも呆れながら進んでいったのに、
最後の台詞で、泣けてしまった。
「私にも、アンタしかいないんだよ。」
もう、似たり寄ったりのダメダメっぷりが可笑しくて、喜劇で、
人間存在の阿呆らしさ、シュールな可笑しみ、そんなもので全編押し通しておきながら、最後の最後で急になぜか素に戻って、哀しくなってしまった。
こんなにまで自分を捨てて、誰かを愛することが出来るなんて、幸せなんだろうか?と。
プライドも何もかなぐり捨てて、お馬さんごっこをして、「それでもオマエが好きだ〜」なんて、なんて惨めな男だ、と思うのに、
なぜかこの男が羨ましかったり、この女の馬鹿さ加減も、釣り合いが取れていて、
人間とプライドと愛と調教について、深く深く考えさせられてしまったのだった。
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コメント(7件)
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このジャケットを見ると、昔祖母の告別式後の会食の席で小学生の従兄弟(女の子)にお馬さんゴッコを強要させられた屈辱がよみがえってきます。
人間椅子の曲で『痴人の愛』って曲ありますよね。
「愛しても愛しても 足りな〜い♪
求めても求めても 虚し〜い♪」
愛とは、分散されたそれぞれの個が「一つ」に還ろうとする求心力なんだと思います。
愛が何故、これほどに得がたいものなのかと言うと、
それは「エントロピーの増大」という宇宙の法則に対して正反対の力だからです。
でもそんな毀れゆく世界の中で僕らは一瞬の夢を見る事ができます。
それこそが愛のもたらす錯覚であり、
その刹那の中で僕と貴方が一つになった永遠を手にする。
と、判ったような判らん事をほざいてみました。
ちなみに酔ってません(笑)
安田道代、強気でやり放題ですよね〜。可愛げが見えたかなと思ったら、やっぱりナメてるというかw
でも結局似た者同士で。
もしわたしが彼女のような女に惚れたらまんまと操られそうですわ…。
実はこの原作わたしは何故か苦手なので、かえって映画がコミカル仕立てになっていたおかげで観れたのでした。
プライドと調教、とらねこさんの文章で考えさせられました。
いろいろしつけてもらいたいし教えてもらいたいと思ってるのに、結局わたしのほうが性格はキツイのかな、と思っていたのでしてからに。てへ。
あましんさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
>昔祖母の告別式後の会食の席で小学生の従兄弟(女の子)にお馬さんゴッコを強要させられた屈辱
ギャッハッハ!!確かに、場所が場所だけに、不適切な上、親戚中に見られてしまうなんて・・・
あましんさんてば、それ面白すぎ!!
人間椅子の歌にもありましたよね〜♪
そういえば、今度高円寺のショーボートってすごい小さいハコで、ワンマンライブやるんですよ。
行きたいけど、友達に人間椅子ファンが居なくて、どうしようと思ってたら、もう完売・・。
あましんさん、今度東京に来ませんか(爆)
yesさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました。
>愛とは、分散されたそれぞれの個が「一つ」に還ろうとする求心力なんだと思います
>愛が何故、これほどに得がたいものなのかと言うと、
>それは「エントロピーの増大」という宇宙の法則に対して正反対の力だからです
とってもロマンチックなコメントありがとうございました〜♪
カルノー・サイクルは現実にはまさに低温部から高温部に熱量を移動することが出来ない。うん、まさに夢のスーパー機関である所以ですね〜^^
完全に可逆機関であるということを考えると、実にポイントを突いてると言えるし・・その言い方すごく気に入りました。
愛が一つに戻ろうとする求心力というものが、実在するエネルギーだとして、最初の文がエネルギー保存の法則だとすれば、次の二文目では熱力学の第二法則ってことですけど、でもそれはまず、実存するかしないかの前提条件に委ねられますね!
さすがyesさん、ロマンチストで素敵だな
アンバーさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました!
あの、これアンバーさんもし記事を書かれていて、TBが反映されないんだとしたら、
今度良ければ、コメントのURL欄に、ご自分の記事のURLを入れていただければと思います♪
ナオミ、全く勉強する気がないクセに、一応従順な振りするんですよね。原作で読むと、もっと上品なイメージだったんですよ。
アバズレだけど、決してそういう雰囲気は感じさせないし、自分の非を人になかなか見せないみたいな。
もっと小悪魔な感じだと思ってたんで、増村作品のナオミはコミカルに思えましたw
うーんそうですね、完全なMになる、つまりプライドが限りなく0に近づいていくには、ある程度年月が必要だし、どうしたって資質も関係しますよね・・。
そうそう相手に屈従したくない気持ちというのは、普通だったら生まれますもんね。そのせめぎ合いかな。
「痴人の愛(1967)」
「悪女礼賛 〜スクリーンの妖花たち」
「痴人の愛」1967年 大映 監督:増村保造
記憶は定かでないが「痴人の愛」との最初の出会いはこの映画だったと思う。随分昔にTVでやっていたのを見た。
原作を読んだのは多分、その後・・・