『魔法にかけられて』二度目鑑賞と、永遠についての話
この作品、吹替えと字幕と、わざわざ二度も見てしまいました!
ネタバレ全開で二度目の感想を。
二度目は、私より一つ年上の友達と一緒に行ったのだけれど、彼女がまた、イイ年をこいてディズニーキャラが大好きな人なんです(笑)。
なので私は、彼女は絶対この作品、気に入るだろうと思ってました。
だって、彼女、「お姫さまナントカ」という、ディズニーのお姫さまだけをたくさん集めたキャラにハマっているんだもの(笑)
この映画、「ヒロインがそれほど若くない」、なんて、巷で結構言われることが多かったようだけれど、自分は、それは狙ってやってるように思えていたりして。
アニメでも何でも、ディズニーが狙っていることって、「いくつになっても人が童心に返れるような作品をクリエイトすること」、だと思うんだ。
その割に、アニメというジャンルであれば子供向けだったり、
そんなことが大前提が必然としてあるために、どうしたって出来る範囲内のことが限られてしまう。
だから、現実世界に来てみたら、ヒロインが実は結構イイ年をこいていたりする、なんていうのは(笑)、
そして決してアニメには出て来ない、ゴキブリだのハエだのネズミだのが出てくるなんていうのは、もうディズニーとして本気のスタンス、これは大人のための物語なんだ、というのが分かる。
「永遠の愛なんて存在しないから、離婚をするのが当然であるという、怖ろしい世界」、である現実。
私自身、恋愛でも泥沼を経験して、その後にようやく付き合い始めた時、
「このまま、“Happily Everafter”で世界が終わればいいのに」、
「このまま死ねたら、どんなに幸せだろう」
なんて言っていた人です。
恥ずかしいね、アホだね、・・・自分。
なんて思うんだけれどね(笑)
「いつかこの恋が終わってしまう日がくるなら、そんな日は永遠に来なければいいのに」って思ってたんだ。
童話みたいに、
「めでたしめでたし、そして二人は仲良く永遠に暮らしましたとさ」(英語にすると“Happily Everafter”)
という世界とは、現実は違うのが残念・・・
そんなことを言っていたのですね。
だからこそ、「愛が叶ったその瞬間に、相手を思って死ぬ」という、『ロミオとジュリエット』という物語が、究極の恋愛物語だ、なんて思う訳です。
まあ、それは話がズレるので置いておいて。・・・
それにしても、永遠を探しても永遠てどこにも見つからないでしょう?
だからこそ、詩人が抱く永遠のテーマだと思う訳だけれど。
(ランボーはそう言えば「見つけたぞ」、「何を」、「永遠を」、「海に沈む太陽だ」と言ったけれど、私の一番好きな天才の詩はこれです。)
さて、少し話は変わって。
たくさんのこれまでの童話の世界が使われているのを、「ディズニーのセルフパロディ」と言う人が多いけれど。
私にはむしろ、セルフパロディというよりも、ミュージシャンが別の曲を自分の曲中に差し挟む、サンプリングというやり方に似ていると思えましたよ(笑)
古い曲を使って、別のフレーズを載せる、でもそれは、そのアーティストに敬意を表している手法であって、パロディを作っているわけではない・・・という。
パロディではなくてむしろ、現実世界にファンタジー世界の要素を持ち込むことによって、よりファンタジーの持つ意味を再確認するかのように思えたの。
プリンセスが現実世界に舞い降りると、オツムの足りないコスプレ女子にしか見えないところが可笑しくて仕方がないけれど、
KYではなくて、とても愛情溢れる優しい女の子なんだ、というところがすごく嬉しい。
ファンタジー世界にしか生きられないわけではなくて、現実生活にも、だんだんと慣れていくけれど、
否が応でも適応しなければ社会で生きていけない、私たち自身と全く一緒。
最後は、愛なんて信じていないはずの離婚弁護士を改心させ(笑)、愛を無理やり教えるのだけれど、
愛し合うのが上手でない相手に対して、こんな風に愛についての概念を与えること。
そういうのが一番大事だなって思っちゃったり。
(ラスト映像の微笑ましいこと!)
王子様の代わりに現実世界に住む別の人を選ぶ、という辺りで、
「誰もが王子様になりえる」
というメッセージのようにも思えるし。
それとは全く逆に、現実ではバリバリのキャリアウーマン、お局さまチック(ちょっと婚期も逃してそう)なナンシーが、アニメの世界の王子様と結婚して、ファンタジーの世界へと愛の逃避行。なんていうのも、すごく見ていて嬉しかったぁ!夢があるなあ。
そう、現実は、携帯の電波で繋がっているのです!
あ。・・・いや、そういう話じゃないか
とにかく、ファンタジーを現実に一度置き換えることによって、もう一度ファンタジーの良さが再確認できる、そんな作品。
単なる“ディズニーの自虐的パロディ”ではない。
2008/04/14 | :アニメ・CG等, :SF・ファンタジー
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コメント(9件)
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皆さんが御都合主義の性善説であるディズニー映画を嫌う理由もわからないではない
でも自分はディズニーもんはほぼハズレなしとゆー感覚の人で、ディズニーランドが近所だからとゆー理由で浦安に住み続けて20年
たしかに「眠れる森の美女」は眠くて全篇通して見ること…
とらねこさんの『魔法にかけられて』論、興味深く読ませて貰いました。
僕はもともとパロディとは、オリジナル作品に敬意と愛情を篭めた上で製作してると思ってましたので、とらねこさんの意見に『なるほどなぁ』と思わされましたね。
今作でのディズニーの凄いところは、そのサンプリングだけで終わらせてなかったこと!
本来の持ち味である基本ベースを最終的に持ってくるところに自信と懐の深さを感じましたね。
本当にあのラストは微笑ましかったです♪
>「誰もが王子様になりえる」
↑ここにも、なるほど!と思っちゃいました☆
Elijahさんへ
こちらにもコメントありがとうございます〜♪
うん、うん♪Elijahさんのおっしゃるように、
「本来のパロディは、諷刺とユーモア、そしてオリジナルに対する愛情こもったもの」というのが、正しい見方だと、私も思います!
でも、欧米と違って、日本では諷刺イコール皮肉、みたいな取られ方をすることが多いかな?なんて感じるんですよね。
音楽で使われる、「サンプリング」うんぬんというのは、正直、とらねこ的「眉ツバ論」です。すいませんw
で、おっしゃる通りですよね♪もともとディズニーの持っている持ち味というもの、それに結局は落ち着くんですよね。
ベースの味が揺るぎないからこそ、安心して楽しめるというのもありますし
現実世界の王子様とくっついちゃうヒロインなんて、童話の世界には今まで一人もいませんでしたもんね。
海の泡になってしまうよりはずっと夢がありますよ!
魔法にかけられて 観てきました。
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【映画感想】魔法にかけられて(エイミー・アダムス)[2009-004]
【鑑賞映画】
魔法にかけられて
魔法にかけられて
この映画、ビデオ屋に行くと
よく貸出中になってるんですよね。
気になったので見てみました。
アンダレーシアで動物たちと暮らすプリンセス・ジゼルは、
運命の人との結婚を夢見ていた。
ある日、怪物に襲われたジゼルはエドワード王子に助けられ、
完璧なデュエッ…
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