14●静かなる一頁
’93年、ロシア・ドイツ。アレクサンドル・ソクーロフ監督。
原作は、ドストエフスキー『罪と罰』。
『罪と罰』の興味深い1考察。
ストーリー・・・
霧に濡れそぼったように古びた建物が建っている。その建物の影が水面に浮かび、白い鳥が飛び交う。波止場の階段には人々が佇んでいる。アーチ状の地下通路のような街路を主人公の若者(アレクサンドル・チェレドニク)が歩いている。金を無心にくる男をかわしているうちに、嬌声をあげた女たちの渦に巻き込まれてしまう。遠くでは、老婆殺しのニュースに人々がざわついている。 若者は、聖なる娼婦(エリザベータ・コロリョーヴァ)に出会う。・・・
冒頭の台詞で、「老婆殺し」が伝えられるので、この物語が『罪と罰』を描いたものだと分かるが、最後までラスコーリニコフの名前も、ソーニャの名前もとうとう最後まで出て来ない。出てくるのは、ソーニャの叔母の名前だけだ。
最後のソーニャとラスコーリニコフの会話にしても、原作とは少々違うものになっていて、終わり方も途中で区切っているし、もちろん出だしも違う。
ほとんど、ドストエフスキーを用いて、とても見事な別の作品を撮ってしまっている。
ほとんど言葉が無く、長い長い1カットが進んでゆく。
水から蒸気が揺らめいて、廃墟のようなところを、迷い進んでゆく青年。
罪の葛藤とそれまでの自分の思いとの相克の中で、何かが圧倒的に変わってしまい、苦しみもがく有り様を、全く言葉もなく、ただその映像のみで表現していて、見事な冒頭だ。
私は、この映像を見ていて、頭がおかしくなってしまいそうだった。
とても興味深い。
ラスコーリニコフは、原作ではもっと饒舌で、だが罪の意識に囚われ始める。
その有り様が原作では、一見分からない中に、少しづつ描かれていくのだが、
原作ファンは、この映像を見たら、喜んで声を上げたくなるかもしれない。
こんなやり方があるんだと!
私は、この映像から、ラスコーリニコフの苦悩から、解放されて逃げ出したくなることを見ている途中、本気で望んだし、
一方で、これはいよいよ素晴らしいぞ、と、身を乗り出して見てしまった。
街で「羽根のように軽い」と、襟首を掴まれて、持ち上げられる貧乏青年。
彼は、ほとんど何も食べていなくて、痩せ細ってしまっている。だが、食べることをほとんど思い出さないかのようだ。
次に街に出る時に、傍に転がっていた石をポケットに詰める。少しでも重くするために。
川に立ち上る蒸気は、冷たい川に家庭の排水が流れ込むためだろうか?、と自分なりに考えた。
本当は、人の家庭が、営みが、すぐ傍で行われているのに、それに合い交わることがなく、立ち上る水蒸気。
まるで別次元のどこかに生きているかのように、幻のように霧が包む。
そこが廃墟であるのは、彼の心の中なのかもしれない。
ワイワイガヤガヤ人の声がして、まるで熱病に浮かされた時のように音が遠ざかり、
影法師だけが映る水面。
聖なる娼婦、ソーニャに向かって、宗教など無いと履き捨てる青年。
原作の会話はもっと長いし、かなりソクーロフの味付けになっていて、だいぶ変わっている。
だけど、ソーニャに罪を告解しているうちに、彼の中で微妙に何かが動く、それは一緒だ。
石の像の間にうずくまる青年。こうべを垂れて、前足を片足垂らした石の像は、青年が持たなかった謙虚な心のようだ。
足の間に身を横たえて、その乳房の水滴を舐める青年。
それはソーニャとの会話の後で、禁断のエロティシズムを一時思い、そして不思議に癒される青年の姿だ。密やかに冒涜的でもある。
原作ではその後大地に口づけする、という激しさの手前にあって、ここで区切ってしまう、そのことに驚きを禁じえない。
「静かなる」、とあるが、どうしてどうして。
その一頁には、声高に語られなかった何かが、密やかに紛れもなく、だが大胆に語られている。
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コメント(2件)
前の記事: 13●ボーン・アルティメイタム
こんばんは。
観たい!記事を読んでめちゃめちゃ観たい!になりました。
言葉のない語り、というのがソクーロフ的でいいですね。
「罪と罰」は映画化不可能・・といわれて、「ならばおれが撮る」とソクーロフは言ったとかで?
すごい自信。
manimaniさんへ
こんばんは♪コメントありがとうございます!
見たくなりましたか☆そう聞いて、うれしいです。
そうですね、言葉がないのに、やたらと重苦しさを表現してました。
これから、実は『牡牛座 レーニン・・』見て来ます!
『罪と罰』は映画化不可能、って言われてたんですね!そう言われて映画化しようとする、っていうのがカッコいいですよね。
ソクーロフならではの表現、というのも面白かったです。
ドストエフスキーそのままではないですけど。