7●女衒 ZEGEN
こんなのも今村昌平が撮っていたなんて・・・。
これはまた、一風変わった人物一代記。
どことなく可笑しさ漂う男の一生。実在した人物、村岡伊平治の自伝を基にしたフィクションだ。
’87年、今村昌平監督・脚本。
男として一旗挙げようと、18歳で香港に密航する村岡伊平治(緒形拳)。長太らとともに、赤ふんどし一丁で九州は島原を後にし、顔・体中ススだらけ、海に飛び込んでの密航。
私は『長州ファイブ』を思わず思い出した。こちらも、志を抱いて海に渡った九州男児。だが、その後の歩む人生は全く違ったものだった。
村岡伊平治。1867生まれ、1945没。
明治維新と同時に生まれ、太平洋戦争終結と同時になくなった男だ。
まさに裏の日本史を歩んだ男とも言えるのかもしれない。
香港に到着した彼は、その後、中国各地、シンガポール、カルカッタ、ハノイ・・・東南アジアを転々と過ごす。
そして、大日本帝国領事館で、陸軍大尉・上原(小西博之)に出会う。
生きるために、宿屋、理髪師、なんでもやった男だったが、上原大尉に会って、村岡は、「忠君愛国」「富国強兵」の精神を学ぶ。
その後、いかなる時にでも、上原大尉と、母国で別れた恋人・しほに手紙をしたためている。
そして、香港の海賊に売り飛ばされた、日本のからゆきさんを助けている内に、自らが女衒となってゆく。今度は自分が日本から女性を連れ去って来て、娼館を築き、財産を作ってゆくのだった。・・・
明日の富める日本を作るために、「銭を稼げ」と娼婦にハッパをかける村岡伊平治。
この辺りの神経は一体どうなっているのか、と疑問に思うのだが、彼には大真面目なのだ。
彼にとっては、それが国のため、と頑なに信じている。
こうした表現、いやこの男を描くことそれ自体、今の日本の倫理感からしてみたら、とんでもないことなのかもしれない。
だが、そうしたこと全てを包むヒューマニズムを感じさえして、どこか爽やかでもある。
晩年の彼は、現地妻を何人も囲い、さらに人食い人種の娘とも結婚しているそうだ。
そして、「産めよ、増やせよ」、それが「お国のため」と信じて、村を一つ築くぐらい、子供を大量に作る。とんでもない男だ。
だが、この妙にパワフルで、ひたすらがむしゃらな男をして、「馬鹿な男だ」と一蹴する気にならない。どこか、このまっすぐさ、スケールの大きさが、羨ましくてたまらない。
こういう男を見ると私は、男が羨ましいな、と思う。
それから最後に、伊平治は、しほ(賠償美津子)を手放してから、どこか彼の中で、均整が取れなくなっていったようだ。このことについて、考察してみるのも、この作品をまた別の観点から眺めることになる、ポイントの一つだ。
伊平治は、下半身で事業を成していながらも、金儲けのみに目をやり、他の女に目もくれなかった、純情な男だったのだ。
伊平治と10年近く生活を共にしておきながら、自分の残りの生を、新しい商売をやるために「自分の可能性に賭けてみたい」と、かつて一番愛した男と逃げる、しほ。
この女はこの女で、私にとって、眩しくて仕方がない。
道徳観に欠けている、と批判された作品だったそうだ。
だが私には、なぜかこの作品が忘れられなくなりそうだ。
緒形拳も、まさに体当たり、お尻丸出しで役にぶつかっている。
初めに密航したあたりは本当に若く見える。そしてだんだん年をとってゆくのだけれど、まさにその年相応の姿にしか見えないのが、本当にすごい。
おかげで、緒形拳のこの収録時の年が、一体どれが本当に近いのか、分からないくらいだ。
賠償美津子もすごく良かったな。こういう一本筋の通った女が、本当の魅力的な女、っていうんだろうな。
香港・台湾・マレーシア・北海道でロケをした作品。
三池監督は、助監督の3番目に名前が載っている。
2008/01/15 | 映画, :文芸・歴史・時代物
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コメント(12件)
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日本の名優緒形拳と日本の名監督今村昌平ですか。
最近今村昌平監督の「復讐するは我にあり」で緒形拳と三國連太郎の素晴らしい競演を拝見しました。
台湾人さんへ
おはようございます。初めまして!コメントありがとうございました。
そうなんです!緒形拳も今村昌平もお好きでいらっしゃいますか?
それを聞いて嬉しいですね!
実はまだ『復讐するは我にあり』を見ていないんですよ。でも、三國連太郎との共演だったら期待できそう。今度借りて見てみようと思います。
今たくさん見なければいけないDVDが溜まっているんですが、リストに入れておきますよ!
台湾では日本やヨーロッパの映画を見るのが困難なので時々考えるだけでマジ腹が立ちます。
1979年に放映された「復讐するは我にあり」は私にとって初めての今村昌平の作品です。
緒形拳、三國連太郎、清水紘治など日本には素敵な俳優さんが沢山いるので、本当に羨ましく思います。
最近は緒形拳、エリック・ロメールやクロード・シャブロルなどの訃報が矢継ぎ早に報じられたので本当に感無量です。
緒形拳、三國連太郎、清水紘治、ジャン・ルイ・トランティニャン、ジャン・ポール・ベルモンド、ファニー・アルダン、ナタリー・バイ、アンナ・カリーナ、ジャクリーン・ビセットやシャーロット・ランプリングなどの俳優は1983年生まれの私にとって本当にカリスマ的で伝説的存在としか言いようがありません。
台湾人さんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございました!
そうなんですかー。台湾では見れる映画が限られてしまうのですね。
こうしてズラッと並べられた俳優たちを覗くと、日本映画とヨーロッパ映画が並べられているのですね。
台湾人さんは古い映画がお好きらしいのに、お若い方だったのですね。ビックリ。
たとえ限られた環境の中でも、気に入った映画を見つけ出すのは素晴らしいですね!
訃報は本当多いですねー。どうしてこう続くのでしょう。
伝説的・・そうですね、まだ生きているけれど伝説的と言えるような人たちかも。
こちらこそ毎回お返事本当にありがとうございます。1990年代の終焉と共にますます昔の1990、1980、1970、1960と1950年代の日本、フランスやイタリアの文化と歴史に憧れるようになりました。
私も出来れば少なくともモニカ・ベルッチみたいに1964年あるいはサンドリーヌ・ボネールみたいに1967年に生まれて日本に生まれたかったのが本音です。
ドラえもんやキテレツ大百科みたいにタイムマシーンさえあれば私は躊躇せずに1990、1980、1970、1960と1950年代の日本に戻って生活したいと思います。
私も2010年の映画「アリス・イン・ワンダーランド」のアリスと同じ結構変った子なので、台湾では常に抑圧感を感じています。
台湾人さんへ
おはようございます~♪コメントありがとうございました!
イエイエこちらこそ、何度も来ていただいて、とっても嬉しいです。
台湾人さんはとっても日本語がお上手ですよね。
漢字はだいぶ違いがあるので、戸惑われるのではないかな?と思うんですが、
正確に使っていて素晴らしいと思います。
ところで、日本の映画は台湾でどのようにして探していますか?DVDで普通に手に入りますか?
私は実は、古い日本映画を見始めるようになったのは、本当にごく最近のことなのです。以前は、古い日本映画は面白くないと思ってました。
ところが逆で、古い日本映画は今の日本映画より何倍も面白いものがあるので、驚いてしまいました。
90年代の終わりは、私はひたすらマリリン・モンローにハマってました(笑)
67年に生まれてみたかったのですね。そういうのありますよね(笑)
私は、69年に20歳ぐらいが良かったです。学生運動やサイケデリック・シンドロームを経験したり、ヒッピーになりたかった、なんて昔よく言ってました。
それと似たようなものですね?笑
台湾人さんは憧れの女優さんがたくさんいらっしゃいますね。私はあまり女優に憧れなくなってしまいました。
今一番好きな女優はマルティナ・ゲデックです。
タイムマシーンと言わずに、是非今の日本にも来てください!w
台湾は1949年に戒厳令が施行され、ロシアのスターリンによる大粛清みたいな一連の独裁政治が始まり、伯父や伯母の1940年代、両親の1950年代、私より年上の従兄弟や従姉妹の生まれた1970年代そして私の生まれた1980年代までの台湾人は恐怖に怯えながら生きていました。
沢山の罪のない人達が牢獄に投じられ、更に政府に異議を持つ者は何時命を奪われて消されてもちっともおかしくない時代でした。国民党の特権階級の連中を除いて一般庶民には海外旅行や留学などは一切許されず、一方国民党の連中は好き勝手でやりたい放題に圧政を私達に押し付けながら、彼等の多くはアメリカ合衆国やカナダの国籍や永住権を容易に手に入れることができ、すぐに海外へ移住したり、自分の子供たちには台湾の暴力的な体罰や受験戦争を味わって欲しくないため、子供がまだ小さい時に海外へ送り出してついでに特権を使って兵役まで免除させてやるので考えるだけですごく腹が立ちます。
私は台湾で子供の頃から腹黒い教師や意地悪な生徒にさんざんいじめられ、おまけに親や親戚など周りの大人には幼い頃からいつも小ばかにされてきたので、こんな夢や希望さえ見えない後進国にはもうこれ以上期待できず、モニカ・ベルッチみたいな伊仏バイリンガルでフランスとイタリアを行き来しながら活躍する彼女にすごく憧れていました。イタリア語の伊もフランス語の仏も分からず全く基礎がない私なので、長い間強烈なコンプレックスと屈辱感を抱いてきました。
台湾人さんへ
おはようございます~♪コメントありがとうございました。
台湾人さんの子供の頃から現在に至るまでの、様々な思いや、
その政治的背景についても詳しく書いてくださり、とても気持ちが
伝わって来ました。そうしたことは、本や新聞でただの「知識」として
読むのとは全く違って、こうして誰かの口から「自分が実際に感じたこと」
として聞くと、全く違うものですネ。
兵役に関することや圧政については、本当に悔しい思いを
されたことでしょうね。
たくさん書いてくださりましたが、きっと、ここに書いた以上に
書ききれない思いがあることだと思います・・。
モニカ・ベルッチが母国語のイタリア語ばかりでなく、
フランス語まで喋れるのと同様に(英語も喋れるかもしれませんが)、
台湾人さんも日本語がとてもお上手じゃありませんか?
私から見ると、とても素晴らしいと思いますよ。
急に大変失礼ですが、本日の大地震で東北地方で大きな被害を蒙ったそうですが、そちらの方は大丈夫でしょうか?
テレビで見ていると本当に心が痛み残念に思えます。
台湾人さんへ
こんばんは〜!コメントありがとうございました。
「大変失礼ですが」だなんて!とても嬉しいです、ありがとうございます。
私の住んでいる東京では、電車が止まったりして、今ちょうど、真夜中過ぎてようやく帰宅したところです。
東北地方の友達には連絡がつかず、どうしているか本当に心配で。
あと、実家が埼玉なんですが、母や妹にも連絡がつかず仕舞いで、まだまだ眠れなそうです。
わざわざ心配していただき、本当に嬉しかったです!ありがとうございました。
お久しぶりです。兵役はこの前の9月23日金曜日が最終日で平穏無事に終了しました。
9月17日土曜日から連続三日間の外交官の国家試験を受けていました。国際法と国際経済の二科目は数文字しか書けず殆ど白紙状態に近かったので、その翌日月曜日の口答試験は受けても何の意味もないと思いつつ、有終の美を飾ろうという気持ちで最後まで受けました。
今は就職に備えて色々と準備中で正直言うと不安と緊張に見舞われております。最近は幾つかの試験と面接を受けていたのですが、今はただ日本語を使える仕事が最低条件だということしか分からず、自分は一体どのような仕事が出来るのか向いているのかはいまいちまだよく分からないので困惑しています。
台湾人さんへ
お久しぶりです!コメントありがとうございます~♪
今ちょうどブログの工事中で、コメントが反映されず、気づくのに時間がかかり、すみませんでした。
そうですか、ついこの間、兵役がようやく終わったのですね。
おめでとうございます!お疲れ様でした。
長い間ですもんね、すごく辛かったと思います・・。いろいろなことを考えられたでしょうね。
兵役の前と後とで、考え方が変わったりなど、あるのではないでしょうか。
と言っても、勝手に想像するだけなのですけれど・・・。
外交官の国家試験!ずいぶんと難しいものに挑戦なされたのですね。勉強の方もずいぶんと大変だっただろうと思います・・・。
日本語を使うお仕事に就かれる予定なのですね!台湾人さんほど、日本語が堪能だったら、きっとどんな分野でも活躍出来るのではないかと思います。
自分に何があってるか、模索段階なのですね。
私も実は今、資格試験のためにたくさん勉強しなければいけない状態です。
考えれば嫌になるほどなのですが・・。
また出来れば、お話聞かせてくださいませ!