#197.再会の街で
キックボードに乗って街中を走り回るアダム・サンドラーの姿、これを見てすっかり見る気満々だったこの作品。
アダム・サンドラー出演作、それほどたくさん見たわけではないけれど、ここまでシリアスな演技が上手な人だったんだ?!なんて驚き。予告ですっかり感動してました。
ストーリー・・・
ニューヨークの歯科医アラン(ドン・チードル)は美しい妻と二人の娘に恵まれ、さらに仕事は順調、他人もうらやむ生活を送っていた。ある日アランは大学時代のルームメイト、チャーリー(アダム・サンドラー)を街で見かける。彼は9.11事件で妻子を亡くして以来、消息がわからなくなっていたのだ。後日アランは再びチャーリーと遭遇するが、彼は昔のことを覚えていない様子。だが、自宅アパートに招待してくれた。そこは何とも言えない不思議な空間で。・・・
9.11事件で家族を失くしてしまい、心に深い傷を抱えた男が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)のために、自分の記憶すら失くしてしまっている。
そして、社会生活すらまともに送れなくなってしまい、・・・という設定。
大変に重いテーマだったけど、俳優の演技がどうしても観たかったので、観ることにしました。予告は半年前から流されていたかな?前述したけど、何度も繰り返し繰り返し観たために、セリフまで覚えてしまうぐらいだった。
チャーリー(アダム・サンドラー)の苦しみは大きすぎて、立ち直るにしてもどこからキッカケがつかめるのか、それは分からないくらい。ほとんど、一人の男として、後退し、少年時代に戻ってしまったかのようなチャーリー。TVゲームに夢中になり、人との交わりを全て経って、キッチンのリフォームばかり何度も繰り返している。
一方、幸せの全てを手にしているはずのアラン(ドン・チードル)も、その幸せの中、男同士の遊びを禁じられ、良妻にいつの間にか上手に手綱を握られて、彼自身、気づかぬところで息苦しさを感じるくらいになっていて。
それは、近くに住む精神科医(リヴ・タイラー)に立ち話がてら、心の問題らしきものを相談するところでようやくそれを感じ取ることが出来るくらい。
大体、一見何の問題もなさそうに見える人が、「自分の友達でこういう人が居て・・・」と相談をもちかける場合は、大概自分のことを話している、ってよくいうけど、この場合もまさにそれ。アランは、はじめにこの女医に話しかけた時、「自分の友達で、男らしい遊びを禁じられていて・・・」と始めるんだ。この時は、詳しくは分からずに、二度目に女医を待ち伏せる際になって、この人も内心何かを抱えている、あれは彼自身の問題を話していたのだと分かる。
全てを失った男と、全てを手にしている男。
正反対の二人。その二人が心を寄り添わせていく辺りが、やはり心に沁みてしまう。何も、心の大きな問題の、その悲惨さばかりがフォーカスされているわけではなく。
大人として、社会人としての、対社会向けの顔。こうしたものが強すぎてしまうと、本来の“自己”というものの存在が、窮屈だよ、苦しいよ〜ということになってしまう。
アランは、心に問題があったわけではなくて、男同士の話が出来る相手が本当は欲しかっただけ。コミュニケーションの問題はいつも、それぞれのパーソナリティの問題と絡んでくる。
だけどやはり大筋では、深く心に病を抱えるほどに傷ついてしまった男の哀しみに、全体が色取られている。
PTSD(心的外傷後ストレス障害)って私には、自分自身が経験した大規模な事件・事故、強姦や何かの事件の目撃・・・“自分自身が”といった辺りで解釈していたのだけれど、やはり大きな意味では、解釈の波紋は拡がって、被害者の家族の受けた傷、というものもそのPTSDにあたるんだなあ、と思った。
ヒキコモリのようになってしまっているチャーリーの交通手段は、電動式キックボードで、それを英語でなぜかスクーターと呼んでいるんだけど。
二人がキックボードに初めて一緒に乗るところでは、ようやく“動き出した感情”、というものを感じさせる。これが無理なく描かれていて、好感度が高かった。音楽も丁度良く、歌詞等で感情を表しているようだ。
やっぱりこういうのを観ると、女には男がとても羨ましくなってしまう。
バカバカしいことで笑い合える、男同士の友情って、本気で羨ましいよ。
一方、なぜ女同士の友情は、上手に保ち続けることが出来ないんだろう?
バカみたいなギャグは私だって、男に負けず劣らず好きだし、精神年齢が下げまくった状態でフザケるのって大好きだけど、そういうのについて来てくれる女の人ってあんまりいないかも。だから男と話してる方が気楽でいいなあ、なんて思ってしまったり。
あと、話は変わるけど、心に傷を持っているか否かに関わらず、不用意なプライベートな話題を聞きたがる人って、私も本当にキライだな。
どの程度が相手にとって許容出来る範囲か、その距離感や遠慮、そういったものに気を配るのは本当に難しいことだけれど。
まるで面接みたいに色々と聞き出そうとする、好奇心旺盛な人には本当に嫌な思いをさせられる。
「年は?」「職業は?」「出身校は?」「出身地は?」「親はどんな人か?」「兄弟姉妹は?」・・・
会ってすぐに、延々と質問されたことがあり、すごく疲れてしまったことがある。
人と本気で打ち解けあうには、自分のことを話さないといけないのだけれど、何より自分のことを話すのがもう、おっくうで、退屈だ・・・。
やっぱり、自分のことを話さずにコミュニケーションしたいなんて、無理だろうか。
でも、やはり、本来、学生時代なんかは、時間を十分にかけて、人と仲良くなっていったはずだと思う。
一対一で、本気で心を打ち解けあえる仲になるには、時間がかかって当然だよね。
昔の友達に会いたいな・・・。
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『再会の街で』’07・米
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