※12.『臨床美術 -痴呆治療としてのアートセラピー』
この世界は色に溢れていて、私達は、何色もの色を享受することが出来る・・・。
それなのに、そんな幸せにほとんど気づかずに、私達は過ごしているように思う。
たくさんの色を、実際に自分自らの手で描き、色と色を重ね合わせる、・・・
そうした描画の、本当に基本中の基本を体験する、それだけで、私たちの心は自然に“動く”し、“喜ぶ”ように感じるもの、なんですよね・・。
これは、実際にやってみた私の感想でした。
自らの手で描く・・・“創造する”、ということ。
大げさのように聞こえるし、自分の目の前に描いた、このシンプル極まりないりんごの一つの絵。
あまり上手にも描けていないし、それほど人に見せたいというような作品、というわけでもない。
だけど、これは紛れもなく“自分”だ、ということが出来るように思う。
一つひとつの線、一つひとつの色、自分にとって大切に作り出したものだから、「これは自分である」、と言えることが出来るように思うのです。
誰でもピカソ、という精神のこの臨床美術。
いちいち使う色でサイコセラピーを施す、他の流派と違うために、“臨床美術”としているこのアートセラピーでは、解釈を施すことを嫌います。
使う色そのものや、描かれた表現で心を分析するのではなしに、行うというその行為そのものが、自らを癒していく・・・
この考え方は、スイスの心理学者カルフが作った箱庭療法、そして河合隼雄が日本に導入したそれを、思い出させました。
この臨床美術が、実際に痴呆患者の方のMMSEを改善し、脳機能が有意に活性化された、という「結果が出た」という事実は、今後、この治療が躍進していく上で、とても重要なことになるでしょう。
またその他、現在のところ、進行を遅くすることは出来ても、回復させることの出来ないと考えられている、アルツハイマー病に対し、予防と、早期の治療に75%の有効率がある、という調査結果は、注目に値することです。
イギリスにおいて、アートセラピストが国家資格であり、評価されている一方で、「計測で効果が証明されたことよりもまず、第三者が効果ありと認めている点が評価されている」、という、この事。これがまず、面白いように自分には思います。
日本においても、介護者を抱えた家族の大きな心の負担を、一緒になって取り組んでいく、という形で進んでいく、臨床美術。
医師・カウンセラー・臨床美術士が三位一体となって、それぞれの分野をカバーし支えてゆくのに対して、被介護者とその家族までも巻き込んでゆく、というやり方に目を見張る。
10人の患者さんと、その家族10人が一同に会して、それぞれのアートワークを行う、というこの臨床美術。
たった一人で介護を行っていると、「迷惑ばかりかけられる」と否定的に思いがちな家族の人であったとしても、そえぞれの患者さんが表現したアートワークを見たら。・・・その人を、改めて思い直してみたり、「ハッと」させられることがあるのでは・・・?なんて思います。
介護を行う方も、される側も、それぞれが同じ立場で同じアートワークを行う。
だけど、表現は、その方独自の表現があるのだ、ということに気づくでしょう。
それぞれの持ち味である“個性”、“自己表現”。つたない手で行われたものであっても、その人の気持ちでその色を選び、悩みながら引いた線、そうしたものが現れているのですから。
昼のそうしたアートワークを通じて、話のキッカケ作りにもなるかもしれませんし、その人の別の面に気づいたり、ということがあるかもしれない。
そうした個性を受け入れていくための器作りである、そうした臨床美術は、本当に一人ひとりがアートと接するための場であるように思えました。
まず、万人のためのアートである、という考え方があって、
その人それぞれの個性の表現を、そして自由を、尊重し、大切にしてゆく・・・。
臨床美術が根ざしていることは、そのまま、カウンセリングの大前提と、同じことのように思います。
そしてカウンセリングと違うのは、言葉にしなくてすむアートが媒介である、ということ。
言葉にしない自己表現によって、自然と生まれるコミュニケーション、というものも、そこにはあって。
とても温かくて、優しい“芸術”がそこにはあるのだなあ、と思った。
2007/08/10 | 本
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コメント(2件)
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こんばんは
臨床美術、興味深いですね
どうしても解釈分析したがりな理系の悪い癖があって、バウムテストみたいなネタ好きなんですが…
そっか、癒し、治療ってアプローチもあるんですね
一時期、ヘンリー・ダーガーやマッジ・ギル等のアウトサイダーアート(アール・ブリュット)にはまって「絵を描く」という行為の持つパワーについて考えてたことがあるんですが、また本読み直してみよっかな…
>その人それぞれの個性の表現を、そして自由を、尊重し、大切にしてゆく
そうそう、コレ大事なことなんですが簡単なようで難しいんですよね…
昔なんかの本で読んだ「紫の太陽を描いた子への指導」のケーススタディーを思い出しました
そういえば河合隼雄氏お亡くなりになったんですよね
遅ばせながらご冥福をお祈りします
みさまこんな誰も読んでくれていなそうなところに、コメントありがとうございます〜(T_T)
えーん、みさま〜
そうなんですよ、河合隼雄先生が亡くなってしまったんですよ。私、河合先生が学長やってる、研究所に所属してるんですが、最近全くHPを開いていなくて、全然知らなかったです。お恥ずかしい・・・
こんなところですが、冥福をお祈りします
みさまのコメント、この療法の主旨を完全に理解してくださってますね。そうなんです、アートの力そのものによって、自らが癒されてゆくっていうアプローチを取ってるんですよ。
バウムテストご存知なんですね、みさま。うん、私もそーゆー系の解釈の方が、本当は好き系なんですよね。ロールシャッハとかも、意外に深いんですよね。それまではアホらしいとしか思ってなかったんですが★