#85.nothing
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督’03年の作品。
これまた、前衛的な設定モノ。ただ、“『CUBE』を期待して”見てしまった人の中の半数はきっと、ガッカリするであろう作品。
“次第になくなってゆく画面の映像・・・!”なんて思ったら確かにソチラを期待してしまいがちだけど、これが似ているのは、むしろ、不条理系アングラ演劇、なんて言えるのでは?
ストーリー・・・
9歳からの親友同士の、デイブ(デビッド・ヒューレット)とアンドリュー(アンドリュー・ミラー)。引きこもりのアンドリューの、高速道路の傍に立った家が、打ち壊しになることになった。その一瞬、世界は家を残して、真っ白の何もない(nothing)空白世界になってしまった・・・!
『CUBE』の出演者の二人、デビッド・ヒューレットとアンドリュー・ミラー二人による出演で、ほぼ全編、物語が進行する。
デビッド・ヒューレットは、『CUBE』(’97)他5作の、ヴィンチェンゾ・ナタリ作品に登場。専属の俳優、といったところかな。
(他登場作品は、『カンパニー・マン』(’02年)、『Elevated』(’96年←『CUBE』のDVDの後ろに入ってた、短編作品。)、“Mobse(原題)”と、この作品。)
それから、アンドリュー・ミラーも、『CUBE』に登場の出演者であるほか、この作品の脚本も手がけている。ちなみに、アンドリュー・ロワリーと二人で、“ザ・ドリューズ”という名の、プロデューサーとして、現在プロデューサー活動をする人でもある。
そんな、ちょっと毛色の変わった、前衛作品。
いかにも、合う人・合わない人の、ハッキリ分かれる作品で、先ほども言ったように、決して『CUBE』が好きだから、というだけの理由で見た人は、中にはガッカリしてしまうようだ。
奇天烈な不条理世界に放り込まれた二人の物語。
扱っていることは、実は心の中のことだ。
でも、それを象徴を使って表現しているので、分からない人にはサッパリ分からない映画になってしまうんだろうなあ。
「世界なんか、全てなくなってしまえばいいのに。」
そう願ったことのある人には、分かるかなかな、と思う。
引きこもりの男が、自分の世界以外のものを(親友を抜かして)全て“消す”というのは、一体どういうことだったのか・・・
そういったことが心に引っかかって、胸に響いてくる人にしか、きっと分からない世界観だ。
ドアを開けたら、そこは、真っ白な世界。
な〜〜〜〜んにも無くて、ただ空白と、“トウフのような”弾力のある地面がずっと続くだけ。
この世界を探検しても、そこには家しかない(←自分がヒキコモっていたところの家)、ということが分かって、
そして、この世界では、「念じれば物は消えるのだ」ということを発見し、彼らはこの消す(out)能力を“力”と呼ぶ。
この能力は、ただ物や、空腹感、といったものを消す(out)だけでなく、嫌な思い出も、消す(out)ことが出来、嫌な思い出がなくなった分、ようやく自分の自信を取り戻していく、アンドリューなのだ。悲しいことに、そうした経験は、アンドリューにとっては、初めてのことなはず。
そりゃ、そうだよね。トラウマなんて、消すことは普通じゃできないから。
その後二人は、この奇妙な世界で、自分の好きなゲームをして、神さま気取りだ。
自分の安全な世界だけで生きていたら、幸せなのだろうか?
人もいない、車もいない、仕事もない、・・・そうした状況だったら、幸せになれるだろうか?
全て消え去ったら、残るのはなんだろう?
この人生というゲームから降りる(out)するには、自分が死ぬのが一番早い。
だけど、そうせずに、要るものだけ残すとすれば・・・?
ラスト、まさか泣かされてしまうとは思わなかった・・・。
考えさせる内容でありながら、それを微塵も感じさせずに、脱力して見ることが出来るこの映画。
素晴らしい表現力を内に秘めている作品だった。
ヒキコモリ、という言葉はこの’03年当時にはなかったかもしれない。だけど、この映画が描いているのは、間違いなくヒキコモリの人の世界観。
まさに、家からout出来ない人についての物語だ。
“トウフ”やら、“TVゲーム”(格闘技系ゲーム・・・『鉄拳』かな?)、日本の刀等が出て来る、日本とカナダの共同制作の映画とのことだった。やっぱり、こうしたメンタリティは、日本に住む私たちには陥りやすいものなのかなあ・・・なんて思ったりもする。
だけど、これはカナダとの共同開発だったし・・
最近見たホラーの『アパートメント』でも、“ヒキコモリ”と発音してた。
2007/06/15 | 映画, :SF・ファンタジー
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とらねこさん、こんばんは。
この作品観たことないんですけど、とらねこさんの感想を読んでいたら、昔「世にも奇妙な物語」で騒音の嫌いな男が最後には自分を殺してしまうというのを思い出しました。
全く関係なくて申し訳ないです
ヨゥ。さんへ
こちらにも、コメントありがとうございます!
ヨゥ。さんのおっしゃる、『世にも奇妙な物語』のその回、私も見ましたよ!
確か、作曲家の男(渡部篤郎でしたっけ?・・・自信ないですが)が、音楽を作るという仕事に集中できなくて、
この世界にある音という音の一切ない、無音の空間を作り出し、
その中でいざ作曲しようとしたら、自分の心臓の鼓動がうるさくて、それすら止めてしまった、っていう話でしたね!
うん、なるほど。そうした発想をされたのもよく分かりますよ☆
私は、実は『パフューム』を見た時に、この世にも奇妙な・・の話を思い出したんですよ〜。
こんばんは、TB間違えましたー(涙)
すみません、削除お願いいたします。
こんな、泣ける作品(すいません観てませんが)にこんなTBを(大反省)
わかばさんへ
こんにちは〜^^
わかばさん、こちらの記事をちゃんと読んでくださったんですね〜♪
嬉しいです。
誰もTB飛ばしてくれないので、間違い記事ですら、ちょっと嬉しかったんですが(←ぉぃ)、まあ、削除してくださいとわざわざおっしゃってくださったので、削除しました^^;
泣ける作品、というよりは、とても風変わりな、アバンギャルドな作品でしたよ。
ま、好き嫌いはありそうですが、評価は半々みたいなので、面白いかな、と思います!
マッタリとナタリ
ヴィンチェンゾ・ナタリ監督作のファンです!
遅れ馳せながらNothingをみた…。
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NOTHING ナッシング
『扉を開けると、世界は消え始めていた。』
コチラの「NOTHING ナッシング」は、公開当初から気になっていたんですが、Kaz.さんの記事で忍耐を要する映画との事だったので、ちょっと躊躇しちゃってました。
「CUBE」のヴィンチェンゾ・ナタリ監督のデリート・サス….