#76.メリンダとメリンダ
N.Y.、マンハッタンの劇作家が、同じ話を、「悲劇と喜劇」両方の視点で映像化してみた、というコンセプトで、繰り広げられるストーリー。
悲劇と喜劇、それぞれの二人のメリンダを交互に描いていく。・・・
私にとっては、ウィル・フェレルが出ている作品なのに、まだ見ていなかった作品、ということで、偶然に手に取ったのでした。
ウディ・アレン作品は少しだけ苦手で、・・・特に、彼本人が出ているものがチョット・・・。
と、ついつい後回しにしていました。
ところが、実はこの作品、先日に観た『主人公は僕だった』と、図らずも似通ったところがあって、なんだか興味深い。
この『主人公は僕だった』では、主人公の人生が、悲劇なのか喜劇なのか、と問うシーンがあるのだけれど、
この作品では、劇作家のそろぞれが、同じ話を、悲劇と喜劇にそれぞれ作り上げる。
その二人のメリンダを、ラダ・ミッチェルが演じ分けているのがまた、見所でもあって。
ちょびっとネタバレで、簡単に言えば、喜劇の方は、男がフラレ、悲劇の方は女がフラレる。
ウディ・アレンお得意のテイストの、男も女も浮気したり、愛憎劇が繰り広げられる。
そんな中、シニカルではあるけれども、笑いのある視線で、温かく人間たちが描かれているので、安心して見ていられるんだ。
・・まあ、正直に言うと、この二つの話。
ウディ・アレンの作品・・・というのもあるせいか、あまり悲劇と喜劇が明確に分かれていない感じ。
正直に言うと、どちらも似通った話が続いていき、双方微妙に違う。
それでも、どこか喜劇の方が楽観的に感じられる・・・かな。
言い方を変えれば、悲劇と喜劇、取りようによっては、どちらにでも取れる、そんな世界を描いているので、シェークスピアが描いたような、悲劇と喜劇の劇的な変化・・・のようなものは決しておきないのだけど。
それでも、悲劇の登場人物にも、喜劇の登場人物にも、どちらにも、嫌な人なんかは決して出て来ないし・・・
どこか似通ったこの二つのメリンダ、気持ちの持ちようで、どっちにでも転ぶのでは・・・なんて思える。
そんなあくまでもウディ・アレンテイストな、セリフの多い作品なのでした。
例えば、途中挟まれるバルトークという、抽象的なイメージの現代クラシック音楽。
これが、悲劇の方にも、喜劇の方にも、同様に、それぞれ使われている。
このバルトークが、曲者で、妙なタイミングでかかるのです。
(私の大好きな、『ウェイキング・ライフ』でも、これと似たような曲が使われているので、「この作曲家がバルトークっていうのね」、と思った。転調を繰り返してゆく、変わった曲なんです。多分同じ作曲家だと思う。)
で、このバルトークが使われるポイントというのは、悲劇と喜劇のそれぞれで、どこかおかしい、という時。
物事にはきっと、「ここぞ」、という時があって、無意識的に、「これはおかしいぞ」と心のどこかで感じているのかも。
その時に、方向を見定めて、出来るだけ冷静に対処していれば・・・
なんて思うのだけれど・・・それは、悲しいかな、本人には分からないものなのかも。
でもやっぱり、この話で出て来たセリフじゃないけど、
「出来れば一度の人生、笑って過ごしたい」。
ツライこともあるし、笑えない瞬間、というものあるけど、そうした悲劇の中にこそ、喜劇的側面も見つかるのだから・・・
悲劇こそ、笑い飛ばすしかないよね。
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コメント(12件)
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メリンダとメリンダ
メリンダとメリンダ
MELINDA AND MELINDA
監督 ウディ・アレン
出演 ラダ・ミッチェル クロエ・セヴィニー
アメリカ 2004
とらんこさんこんにちわ!
この映画は公開時に観たんですけど、
確かに「主人公は僕だった」でウィルが
彼女との顛末で悲劇なのか喜劇なのか
葛藤する場面がありましたね〜この映画と
同じだって気づかなかった^^
あのアクの強い彼がウディ映画のキャラとして
ちゃんと機能していたのが面白かった映画です。
この映画観てたから、「主人公」の方もすんなり
見れたような気が今はしております^^
ほんと人生できれば笑って過ごしたいですよね。
古い記事ですが、TBさせていただきます〜
とらねこさん、
>とらんこ さんって書いてしまってます。
打ち間違えです。大変失礼いたしました!;;
メリンダとメリンダ
近作「さよなら、さよならハリウッド」も、映画を作る過程の物語
でしたが、今回はストーリーを創作する発想についての映画
になってます。
もう70歳になるウディ・アレン、この数年は精力的に毎年1本ペースで
映画を作っているようなんで、頭の中は創作の事で…
kazuponさんへ
こんばんは〜♪コメントTBありがとうございました!
誰も来てくれないところに!嬉しいです〜*^^*
たとえ、“とらんこさん”と書いてあったとしても(・・・あ、冗談ですからね★)
この作品でもウィル・フェレル、普通の役やってて、おっしゃる通り、ちゃんと機能していましたね。
シリアスな役でしたが、アメリカ人にとっては、彼が出てきただけで、なんとなくコメディタッチを想像するようになっているのでしょうね。
『主人公は僕だった』のキャスティング・プロデューサーは、この『メリンダとメリンダ』を観てイメージしたのかな、って思える作品でした★
出来れば自分の人生、喜劇にしたいですね〜♪
メリンダとメリンダ
「メリンダとメリンダ」 2005年 米
★★★☆
ウディ・アレン監督の異色作。正反対の結末をたどる2つのラブストーリー。
物語は、劇作家達の酒場での会話から始まる。
喜劇作家と悲劇作家が互いに「人生は喜劇だ」「いや、悲劇だ」と譲らない意見から出だし…
とらねこさん、こんばんは〜★
TB有難うございましたぁ。
この映画・・・そういえば劇作家の手によって描かれる悲劇OR喜劇のお話でしたね!!
確かに「主人公は僕」に共通点ありあり(^.^)
ところで、私は少々仕事などに疲れ気味で中々コメントできない(言い訳かな^^)のに何なのですが・・・・前から言いたかったの。
リンクさせていただいても宜しいですか?^^
親交を深めたい気持ちと、リンクしておけば直ぐにこれるという(TBとかがなくても見回りにこれます あは♪)便利さで・・・お返事お待ち申し上げます・・・<(_ _)>
おやすみなさ〜い★
とんちゃんさんへ
こんばんは〜♪コメントありがとうございます!
『主人公は僕〜』、なかなか面白かったですよね★この作品は確かに、ちょっと微妙でしたね。
まあ、設定はなかなか良かったんですけど。
リンクですが、どうぞよろしくお願いします。
とんちゃんさんのように一言言ってくださると、とってもありがたいんですよね〜。
リンクしてくれている方を、1週間もTB放置とか、したくないんですもん
メリンダとメリンダ
MELINDA AND MELINDA 「人生は悲劇か喜劇か」「喜劇と悲劇のどちらが深いか」というテーマで盛り上がる4人。 そこで、ある話を悲劇と喜劇の両面から見てみることに・・・ 悲劇のメリンダの場合。 売れない俳優のリー(ジョニー・リー・ミラー)と音楽教師のローレル(クロ…
>悲劇こそ、笑い飛ばすしかないよね
そんな時こそ「I am invincible !」と開き直って気勢をあげる、強気の哀生龍です(苦笑)
哀生龍もどちらかと言うと、ウディ・アレンは苦手です(^^ゞ
しかしながら、良くも悪くもキャストがいつもと違う使われ方をしたり違う面を見せるので、彼の作品は興味深いんですよね。
カレルもフェレルも、見終わった後すぐに忘れそうなぐらい、いつもに比べて印象が薄かったような気が・・・
うーん 物足りない(苦笑)
哀生龍さんへ
こちらにもありがとうです★
ウッディ・アレン、私も割と当たり外れが自分的にはあるんですが、おっしゃる通り、キャスティングが変わってる・・・
なるほど、と読ませていただきました。
そうそう、スティーブ・カレルが出て来てたんですよね、この作品。
あまりに地味で、記事の中で言おうと思ってたのに、出て来たことすら忘れてしまいました〜。
もったいない使い方しますよね・・
でも、今考えれば、言いたいことは伝わる作品だったんですよね。そう、悲劇にするもしないも自分次第ですもんね。